フジコ ヘミング 岡山。 ヤマハ

本日は、岡山で国立ソフィア・フィルハーモニック管弦楽団と共演てす。 2017年12月14日(木) 共演 国立ソフィア・フィルハーモニック管弦楽団 首席メンバーによる四重奏団 開演 18:30 会場 岡山シンフォニーホール 皆様のご来場お待ちしております。 皆様からの《いいね!・コメント・シェア》もお待ちしております❗ 次回の公演は、12月16日に長良川ホールでソロ公演です。

フジコ ヘミング 岡山

本名:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ 生年月日:1932年12月5日 出身:ベルリン フジコヘミングさんの年齢は、2020年2月現在で87歳です。 この年でも現役のピアニストで、CDや本を出したりしているのはすごいですよね。 国籍については、長い間無国籍の状態だったとのことですが、現在はスウェーデン国籍です。 フジコヘミングさんの母親は日本人でピアニストの大月投網子さんです。 父親が、画家・建築家でロシア系スウェーデン人のヨスタ・ゲオルギー・ヘミングさんです。 両親ともに芸術家なんですね。 フジコヘミングさんは絵がとてもうまいことでも知られていますが、画家である父親の才能を受け継いでいるのでしょうね。 フジコヘミングさんの弟は俳優の大月ウルフさんです。 大月ウルフさんは現在85歳ですが、今も俳優として活動しています。 フジコヘミングの若い頃がかわいい! フジコヘミングさんは、有名になったのが晩年のため若い頃を知らない人が多いと思います。 ここでは、フジコヘミングさんの若い頃の画像を紹介していきますよ。 何歳の時の写真かはわかりませんが、かなり幼い頃の画像です。 フジコヘミングさんは父親がロシア系スウェーデン人で母親が日本人のハーフですが、 日本人っぽさはあまり感じないですね。 こちらの画像は10歳くらいでしょうか。 おかっぱ頭が似合っていて、かわいいですね。 こちらの画像になると、もうかなり大人っぽいですね。 こちらの画像は40歳くらいのものだと思われます。 なかなか美人ですね。 フジコヘミングの年収は? フジコヘミングさんの収入として考えられるのが、 ・コンサートによる収入 ・CDや書籍などの印税 です。 コンサートによる収入 ピアニストがコンサートに出演すると有名ピアニストなら30万円以上、ソロコンサートを開くレベルの人なら100万円以上と言われています。 フジコヘミングさんの場合は、自分のコンサートなのでこの出演料は当てはまらないでしょうが、フジコヘミングさんの人気からすると、1回の公演で100万円以上の収入はありそうです。 年間で50回くらいはコンサートを開催しているとのことなので、これだけでも5000万円以上の年収はあるのではないでしょうか。 CDや書籍などの印税 CDの売り上げによるアーティストへの印税は1~3%位と言われています。 フジコヘミングさんの「奇蹟のカンパネラ」というアルバムは、現在までに300万枚以上売れていると言われています。 CD1枚3000円・印税3%で計算すると、2億7千万円になります。 CDだけでもかなりの数が発売されていますが、そのほかにDVDや書籍もかなりの数発売されているので、印税収入はかなりの金額になると思われます。 コンサートによる収入と印税を合わせると、年収1億円くらいあるのかもしれませんね。 世界で活躍するフジコヘミングさんだけあって、世界中に家を持っているんですね。 メインの自宅はパリの自宅で、1年の半分ほどはパリの自宅で過ごしているそうです。 パリの自宅は、1889年に建築されたアパルトマンで歴史的な建造物なのだとか。 今から約130年前に建てられたものに、今も普通に住めるなんてすごいですよね。 ちなみに、上の動画に写っているのがパリの自宅だそうです。 調度品にもこだわりが感じられて、素敵な自宅ですね。 パリの自宅は、自分で書いた絵を飾るために購入したそうです。 絵を飾る場所にこだわりがあって、今の場所に落ち着くまでなんと10年もかかったとか。 また、フジコヘミングさんは猫がとても好きで、パリの自宅には猫が20匹、犬が1匹いるそうですよ。 よっぽど大きい家でないと、猫20匹は飼えませんよね。 京都の自宅は京都市の東山区にあって、宮大工にリフォームしてもらったのだとか。 現地の人によると、フジコヘミングさんがたまに京都の家に帰ってくることがあり、ピアノの音が聞こえることがあるそうですよ。 やはり、どこの家でもピアノは弾いているのでしょうね。 下北沢の自宅は、築60年以上たってガタがきてしまっているそうですが、母が他界するまで住んでいた思い出の場所なので、壊すつもりはないそうです。 フジコヘミングさんは想い出をとても大事にする方なんですね。

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フジコ・ヘミング クリスマス@岡山シンフォニーホール 岡山県岡山市北区/イベント

フジコ ヘミング 岡山

最初にお断りしておきますが、これは、フジコ・ヘミングさんを誹謗するものではありません。 音楽家(芸術家)としての あり方についての 私見です。 先月、彼女のコンサートに行ってきました。 友人に誘われたのです。 日本、L. NYC あたりだと $100 ぐらいするそうですが、安かったし、私の住んでいる州にくるので(それなら行こうかな。 )と思ったしだいです。 個人的には彼女のこと、(素晴らしいピアニスト)とは思っていませんでした。 ただ、日本ではかなり人気があること。 You Tube で、(魂のピアニスト、だとか、鳥肌が立ちました。 )などという感想があったため、(どんな演奏かな?)と、聴きにいきました。 はっきり申し上げて、ひどかったです。 ミスタッチだらけ。 ベートーヴェン の Moonlight Sonata 第三楽章にいたっては、ミスタッチだけでなく、テンポもめちゃくちゃ。 おそらく、あの速さの曲はひけないのだろう、と思いました。 十八番の ラ・カンパネラは 上手に弾いていらっしゃいました。 Chopin のノクターンも Interpretation はほとんどなく・・・・。 音楽に全く詳しくない友人も「やる気のなさ、がわかった。 」と言いました。 でも、彼女はミスタッチはわからなかったそうです。 (多分、ピアノを弾かない人はそうかもしれません。 お歳もいかれているので 仕方が無い部分もあるかもしれません。 でも、プロでお金をとっているなら、それなりの演奏をするべきだと思います。 過去の彼女のインタビューに ミスタッチを指摘された際「人間ですもの、間違えるわよ。 」とおっしゃったそうですが、プロならミスタッチを聴衆に分からないようにするべきだはないでしょうか。 あくまでも、私の私見ですが、日本で大人気の disability のピアニストも もし、彼が健常者だったらあれだけの人気がでただろうか、と思います。 スポーツ選手も芸術家も ピークというものがあります。 それを、著しく過ぎた方は潔くRetire するべきだと思います。 音楽に造詣の深い方、フジコさんの演奏をどう 思われますか? 彼女の演奏は鳥肌が立つほど、素晴らしいですか? 私の感性がおかしいのでしょうか? 私は、ラン・ランのコンサートでは鳥肌がたちました。 ホロヴィッツが初来日した際、「ひびの入った骨董」と酷評した故・吉田秀和氏。 もはや齢80歳、伝説的なピアニストを一目見よう(聴こう)と高額なチケットを求め期待に胸を膨らませて会場に足を運んだ聴衆たち。 ステージで弾いているのはまさしく本人。 今までレコードやCDでしか聴いたことのない遠い存在の人が眼前に。 しかし、肝心な演奏は・・・ミスタッチだらけ・・・そこには確かにかつての世界的巨匠がいるのだが。 もはや骨董と化した伝説の名ピアニスト。 けれど、憧れの骨董品をやっとの思いで所有する喜び。 残念ながらひびが入っている。 価値は下がるがそれでも欲しい・・・ とにかく、生涯にあのホロヴィッツを生で聴けた・・・それが何より重要なのですね。 会場を後にした人たちは恐らく殆どがそんな思いを持ったのでは・・・? で、フジコ・ヘミング。 勿論、第一級のピアニストでもなく、経歴等マスメディアにより持ち上げられた感が多分にあるようです。 ま、純粋なクラシックピアノ・ファンならば彼女の力量・レベル・知名度?を十分理解しているはずですので。 加齢によりテクニックの衰えを感じ自ら引退するか、それでもいいから熱望する聴衆の前に姿を現すか、 そのあたりは時のなりゆきに左右される場合があるのでしょう。 案外、幾つになっても(出たがり?笑)かも。 ミスタッチだらけとしても、見てて(聴いてて)ホロヴィッツなどとは聴衆の受け取り方には明らかに違いがあります。 現に質問者さんもそう思われたのでは? 彼女に関して言えるのはこの位ですね・・・ ご意見、ありがとうございます。 >けれど、憧れの骨董品をやっとの思いで所有する喜び。 残念ながらひびが入っている。 価値は下がるがそれでも欲しい・・・ とにかく、生涯にあのホロヴィッツを生で聴けた・・・それが何より重要なのですね。 会場を後にした人たちは恐らく殆どがそんな思いを持ったのでは・・・? そんな風に思えたのであれば、ミスタッチも容認できますね。 私はコンサートが終わった後、非常に不愉快で (こんな演奏でお金を取るなんて、と思ったのです。 )帰り道も不愉快さ、は残りました。 そして、(これこそが、プロの演奏である。 ) と、溜飲を下げました。 二週間前、ポーランドに行きました。 フィルハーモニア の演奏、バロック(オルガン)・(ハープシコード)もちろんChopin の Piano Concertとコンサート三昧でしたが、フジコさんのコンサートチケットより安かったですが、数倍素晴らしいものでした。 ・・・ポーランドは物価が安いこともありますが。 ・・・ このコンサートの演奏家はフィルハーモニアを除いては、世界的に有名な方々では決してありません。 前回のウィーンのムジーク・フェラインでのウィーン響のコンサートでは、鳥肌が立ち、その夜は興奮で眠れないほどでした。 本来、プロの音楽家というのは聴衆に対して 感動を与え、心を豊かにさせるべきだ、と思います。 そういった意味では 彼女は世界に通用するプロではない、と思います。 アメリカ人のクラシックピアノのセミプロでさえ、彼女のことは誰も知りませんでした。 かろうじて、名前が知れているのは 内田 光子さんですね。 もちろん、アメリカのピアノコンクール(ヴァン・クライバーン)で優勝(?)した、Tさんのことは誰も知りません。 余談ですが、ホロヴィッツの晩年のウィーンフィルとの競演をYou Tube で観ましたが、素晴らしいの一言ですね! 多分、御年 80歳は越えていらっしゃるのでは、と思いますが。 辻井氏に関しては同感。 フジコヘミングの曲の解釈に関しては 私にはわかりません。 でも、私も彼女の人生に興味はありません。 ただ、クオリティーの高い演奏を聴きたいだけです。 私が演奏家に求めているのは、クオリティーと どれだけ、感動できるか、という事です。 感動、という事であれば・・・・ たとえば、日本の若手で有名な 小林 愛実さん。 テクニックはうまい、と思いますが、私の心には何も響かない。 同じ様な年齢の Tiffany Poon (香港出身・ジュリアード出身) の演奏は好きです。 ふたりとも、2015年のショパンコンクールに出ましたが、私は 愛実ちゃんは Chopin 弾きではないと、思う。 Tiffany の弾く、Chopin のノクターンはいい。 表現力では 愛実ちゃんより優れている。 少なくとも、愛実ちゃんの演奏よりは私の心に響きます。 ・・・・以上、私の好みでした。 1 で回答したものですが、 今年の11月にローカルのホールにオーケストラを引き連れて来日します。 昨年は、ピアノリサイタルで、テレビでも「また、フジコさんに会える」と宣伝していました。 今回は、リストのピアノ協奏曲第2番と、ラカンパネラです。 料金は一番高くて一万二千円です。 怖いもの見たさでいきたい気もしますが、今年は辻井伸行さんが、ロンドンフィルとともに来ます。 そちらの料金は、最高が二万三千円です。 最後に一言、こういう質問では最初に「否定派」が出て、次に「擁護派」が出てきて、論点がぐちゃぐちゃになるものなんです。 前者は、技術的な面を指摘するのにたいし、後者は論点が「人生」にすり替わってしまうのです。 コンサートの「需要」があることから、彼女の人生に想いを馳せる方が多いのだと思われます。 演奏会があなたにとって満足できるものでなかったのは残念だった ね。 そうだね。 僕がこの演奏家を評価するきっかけになったのは、ショ パンのエチュード10-12だった。 これまた僕の主観なんだけど、他 の演奏家は革命の争乱を想像させるが、ヘミングの演奏は妙に静か で、革命を想像させない。 現在の有力な説として、ショパンはこの 曲を書いた時、革命のことは考えていなかったのだとか。 ヘミング が譜面からそのことを読み取ったのだとしたら、驚くべきことだろ う。 No.5さんへのお礼欄に書きましたが、2週間前までポーランドに行ってきました。 ここ、数年、自分のお気に入りの作曲家の国を訪ね、その人の人生を少しでも知るための旅をしています。 今年はChopin に会いにポーランド。 質問の内容とは、ずれますが、 Chopin がポーランドを離れたのが1830年で 1944年8月に「ワルシャワ蜂起」 エチュード10-12の作曲年は1831年。 31年に旅の途中でワルシャワが陥落と聞き、この曲を作ったと。 後に「革命」というタイトルをつけたのはリストでも、やはり、彼の心のなかには 故国を思い作曲した、と思えるのですが・・・。 どうなんでしょう? あと、当日の観客ですが、Beethoven の Piano Sonata の演奏の際、楽章が終わるたびに拍手をする、といった、 観客もマナー(クラシック音楽の聴き方)を知らない方がほとんどでした。 赤ちゃん連れの人がいて、ぐずるし・・・。 何なんだ!これは。 と、いったコンサートでした。 今なら 笑えますが、当日はもう、ムカムカでしたよ。 ハハハ。 ご意見、ありがとうございます。 えー、そうなんですか? >職業音楽家たちにも、彼女の芸術性は認めら れているのだ。 私には理解できません。 しつこいようですが、本当にボロボロの演奏でやる気の無さが感じ取れるほどだったんですよ。 たとえば、体調が悪く、やる気がおきないときは返金してでも コンサートをキャンセルすればいいのに、と思った程です。 コンサートを聴いた後で、あんなに不愉快な気分になったのは、海外で「観光客むけのコンサート」を聴いたときぐらいです。 でも、彼女の演奏が好きな人もいるようですから、私にはわからない何かがあるのかもしれません。 演奏家、というのは 聴衆の好みの分かれるものだから。 キーシンの弾く Chopin が好きな人もいれば、そうでない人もいる。 ・・・みたいに。 私は彼女のファンでもないし、絶対に演奏を聴きに行くこともなければCDを買うこともない。 という立場ですが いわゆるショービズ、エンターテイメント、という方向で考えると 人が何かを楽しむためにかならずしもそれがテクニカルや芸術性の方向でなければいけない というわけでもないのかな、とは思います。 外見の良さ、トーク、その人の抱えている背景、ハンディキャップがありながらそのレベルに到達した という背景やストーリー性に感動を覚える、ということはあるかもと思いました 特にピアノや音楽はクラシカルな技術や芸術性が確立していて厳格さが求められますが ロマの音楽みたいな方向性も人を興奮させ楽しませるものでもありますし。 それでリタイアすべきかというと、結局興業は需要と供給でしょうし 例えばこれがオーケストラで、老害がのさばって、若い人いチャンスがまわらないとかだとどうかなあ と思いますが。 たとえばなんていうかエンターテイメントとしては 一流の演奏家の素晴らしい演奏より 孫の発表会のほうが嬉しいという人がいるように その背景やその人にしかできない味みたいなのを喜ぶ人もいるのでしょう。 まったく別系統の価値でしょう。 ただ、スポーツでも日本は純粋にその技術や能力よりも 背景、とくに年若いときから追っている子を持ちあげたり応援する傾向には うんざりですけどね。 福原愛ちゃんだって、同世代でもっと強い選手はいたのに。 たとえば、森下洋子さんは引退すればいいのに、って思ってましたが 老齢下しても舞台に立ち続けたプリセツカヤさんは 老化の限界に、人類代表として立ち向かってる感じや 彼女の経歴抜きにはそれは受け入れにくいでしょうけど。 海外でも受け入れられてはいますね もちろんすでに達した最高峰の技術とか、キープしているものはヘミングさんとは比べようもないでしょうが 彼女であるという背景抜きにソリストや舞台にい続けられたとも思えません。 まあ残念ながら亡くなってしまいましたが。 イギリスの「聴覚障害のある演奏家」もそうですね。 いかに優れた演奏者であっても、なかなかパーカッショニストが個人に日の目があたることって 楽器の特性上はよほどのことがないと稀だと思います 20年以上前に彼女を知りましたがハンデを抱えていなければ遠い日本で知られたり 単独で講演や演奏をしたり、アルバムを出したり、TEDに招かれることはなかったのでは? でもそこに「人間としてのあり方のすごさ、プロレベルになれるほどのことができた」という感動は 人に与えることができるわけですからそれはそれで魅力の一つだと思います 日本だけじゃないのかな、って思います。 正直、音楽もスポーツも背景やストーリー、知名度が重視される日本の文化はうんざりするところはあいrます バレリーナ草刈民代は知っていても吉田都は知らない人のほうが多い! しかし一方で、正当な音楽教育、西洋的な芸術としての音楽しか認めない! っていうクラシックファン層にも結構うんざり。 そしてそれを一緒くたにほめそやして動員するメディアや販売戦略もうんざり。 きちんと、それらは別物で、別々の良さがある、っていうアナウンスなら 自分が求めるものと違うものに引きあたって時間とお金を無駄にすることはないでしょうにね。 ただやっぱりクラシカルな分野でも、ある程度知識や聴き手として練れていないと ある程度のレベㇽのプロであっても最後の人気を決めるのは そういったプラスアルファかもしれず 感動や、楽しみというために音楽を聴いたりするには、それもまたありなのかなとも。 結局耳の超えたハイレベル、マニアな層 きちんと音楽教育を受けたり訓練された層 にかなうだけの音楽、演奏家だけではなく ライトな愛好家たちの支持もなくしては結局衰退するしかないと思いますし… 魂の演奏家、であってピアノの演奏家ではないのでしょう。 しかもクラシックの。 あと日本語の文章に英語混ぜるのはちょっと変かな 英語圏に長いとカタカナ語は違和感あるかもしれませんが すでに日本語になっているし 原語の意味は英語のほうがしっくりくるのかもしれませんが 混ぜるのは英語圏でも日本語圏でも通用しない言語です 日本語由来でそのまま英語になった言語、日本人名でも 英語の文中では表記も発音も英語風にしますしね。 うまく言えませんが、フジコさんのファンは彼女の音楽の正確さやグレードを聴きに行くのではなく、彼女の《人生そのもの》を聴きに行きたいのだと思うのです。 艱難辛苦が多かった人生を歩んできた人たちや、人生の底を経験した人々や、クラッシックなどに無縁の生き物達の琴線に触れる魔法の音色が彼女のピアノには隠されていて、耳や頭に聞こえて来るのではなく、心に聴こえて来るような、そんな気がします。 私はシャンソンが好きで良く歌うのですが、「あなは歌は上手だね」 と褒められても、全く嬉しくないのです。 「あなたの歌って、声は掠れるしたまに音を外すけど、心に触れて来て、なんかイイんだよね」なんて褒められると、飛び上がって喜びます。 彼女の音楽は、底辺を知っている人々を沢山救ってきたような気がします。 フジコ・ヘミングは、今世紀になって、急に有名になったピアニストだと思います。 ケンプ、ギーゼキング、バックハウス、リヒテル、リヒター=ハーザー、エッシェンバッハ、ハスキル、ギレリス、ホロビッツ、ゼルキン、アラウ、... 等々、この様な20世紀を代表したピアニスト達とは、同列に出来無いと思います。 マスコミ、メディアの力によって、急に有名になった存在、だと認識しています。 ですから、私は、フジコ・ヘミングに、何の興味も関心もありません。 ただ、何故回答していますかといえば、ミスタッチの多かった事に、質問者様が疑問を呈している事に、関心を持ったからです。 ミスタッチが多かった、と言えば、晩年のケンプなどもそうでしたし、バイオリンのギトリスなども、そうでした。 フルートのランパルをサントリーホールで聴きましたが、間違いだらけでした。 しかし、ケンプもギトリスもランパルも、全体的な「演奏」としては、聴衆にうったえかける「何か」があったと思います。 年齢とともに技術が衰え、ミスさえ出て来る様になっても、「聴きたい」と思える演奏家は、「技術」以上の「何か」があるのだと思います。 私はジャズ専門でクラッシックについてはくわしくはありませんが ジャズでいえば レコード、CDの名曲を聞くのとライブで聞く違いがあります ライブでCDと同じように演奏しろという話はありません おなじ曲でも毎回まったく違います そこがライブのおもしろさです そこにいなかった人には聞くことのできなかった演奏です ジャズ有名CDでも ライブのクラブ会場の上にニューヨークの地下鉄が通っていて 演奏の途中で電車の音が入っているものもありますし お客の落としたグラスの割れる音が入っているのもあります ライブというのはそういうものです フジコ・へミングのライブを聴いたという経験だけで いいのではないですか でも 今の人気そのものがちょっと異常ですね ふだんは演歌歌手などに聞きに行っている、まったくクラッシックを聞かない人が ヘミングさんの演奏に誘われたことがありましたがもちろんお断りしました クラッシックはだめ?と言われました 違うだろうと思いましたがね いまの人気はそういう人達の人気でしょう ご意見ありがとうございます。 JazzのField の方からの ご意見、興味深く 読ませていただきました。 私はJazz はちょっと苦手なのですが、(私にとっては、不協和音的なところが・・・ごめんなさい。 >ふだんは演歌歌手などに聞きに行っている、まったくクラッシックを聞かない人が ヘミングさんの演奏に誘われたことがありましたがもちろんお断りしました。 そうですか、やはりそういう方々が足を運ぶ コンサートなんですね。 いかなきゃよかった。 でも、行ったからからこそ、わかったので それはそれでいいとします。 (笑) これからは、{安い}と言って 「自分の感性にあわない人」の演奏会に行くのは止めます。 これも、勉強でした。 Q 趣味で、クラリネットを吹いています。 こんなことをいうと、笑われますが、 私は、ずっと以前に教わったクラリネットの先生が、世界最高のクラリネット奏者だと 思ってます。 あえて名前はあげませんが、茨城在住の室内楽にしかほとんど興味のない クラリネット奏者です。 CDを聞いたら、世界でもこんなブラームスのソナタは、聞いたことはありません。 No2しか、録音がありませんが それくらい素晴らしいクラリネット奏者です。 あと、Youtubeでシフリンのブラームスも、素晴らしいと思いました。 でもCDは若いときの録音のせいか、 あまり感動できなかった。 みなさんが、素晴らしい、世界でも最高のクラリネット奏者を教えてください。 A ベストアンサー クラシック・・・ようするに電気を通さないで音が鳴る複数の楽器で構成される曲ということでいいですか? それとも交響曲のように4部構成で。。。 なんて注釈がつきますか? 私は映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズは現代クラシックの巨匠だと思いますが。 もちろんもう齢80を超えてるのですが。 同じように坂本龍一や久石譲、「映像の世紀」でお馴染みの加古隆などもクラシック音楽としていいと思います。 バッハもほぼその時期で1685年3月31日- 1750年7月28日 モーツアルト1756年1月27日 - 1791年12月5日 ベートーベン1770年12月16日 - 1827年3月26日 ビバルディが生まれてベートーベンが死ぬまでにおよそ150年です。 ベートーベンが死んでからおよそ200年経ちますが、ベートーベン死後もたくさん名作曲家はいますよね? バレエ組曲「火の鳥」のストラビンスキーは20世紀の作曲家ですし、「ラプソディ・イン・ブルー 」でお馴染みのガーシュウィンも20世紀の人です。 現時点でビバルディもベートーベンもガーシュウィンも250年間の音楽を「クラシック」という範疇で我々は同じような感覚で聞いていると思います。 ひょっとしたらビートルズのイエスタデイなどもクラシックに入れてもいいかもしれません。 クラシックという音楽ジャンルをどのように捉えるかと思いますが、音楽でも絵画でも映画でもドラマでも、そのジャンルの先駆者たちはやはりすごく、その後に続く人たち。。。 いわゆるフォロワーはどうしても先駆者たちを超えるのは難しいようです。 クラシック・・・ようするに電気を通さないで音が鳴る複数の楽器で構成される曲ということでいいですか? それとも交響曲のように4部構成で。。。 なんて注釈がつきますか? 私は映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズは現代クラシックの巨匠だと思いますが。 もちろんもう齢80を超えてるのですが。 同じように坂本龍一や久石譲、「映像の世紀」でお馴染みの加古隆などもクラシック音楽としていいと思います。 Q 先日、図書館から佐村河内守の交響曲第1番のCDを借りて来たところ解説に驚きました。 高名な音楽学者であっても作曲家の「背景ストーリー」に影響されてしまい、そのことによって音楽を語っているのですが、こういった専門的に音楽学を修めた人であっても、曲だけで語ることはもはや不可能な時代なのでしょうか? なるほど、音そのものには意味がないわけで、たとえば親しみのない外国語は音声としか感じられないし、意味もわかりません。 それにもかかわらず、多くの人達が音楽から意味を読み取ろうとするために、件の音楽学者のような失態を演じてしまうと思うのてすが。 曲の印象としては、3楽章の終わり頃になって突然マーラー的なアダージェットになって鼻白んだのですが、曲の出来としてはどうなのでしょう? 音楽は説明しないと理解できないか?そしてこの曲の評価の2点についてお聞きします。 A ベストアンサー こちらに、私なりの考えを書いてあります。 質問者さんは、この質問の 1 回答者さんですね。 goo. html そこの「お礼」に書かれている「岡田さんの著作」はこちらです。 興味があれば読んでみてください。 新書版で入手も容易です。 amazon. 売れれば売れるほど、解説の執筆者の収入も増えるのでしょう。 執筆者は音楽業界と一心同体なのだと思います。 CDの解説は、学術論文ではなく、拡販PR文章の延長線上です。 もっといろいろ聞いてみたくなる、同じ作曲家の他の曲のCD、同じ演奏家の他のCD、同じ曲の他の演奏家のCDも買いたくなるための。 「セカンド・オピニオン」ではないですが、1つの解説を金科玉条にするのは危険です。 >曲の出来としてはどうなのでしょう? この作品の評価はよく分かりません。 例の「贋作」公表以降、誰も語らなくなってしまいました。 それまで、さかんに涙を流していた人も。 その意味でも、「音楽」として聞かれていたのではなく、「音楽の背景」を聞いていたのでしょうね。 私はNHKか何かで放映された実演を1回聞いただけなのであまり語る資格はありませんが、そのときには「マーラー」と「ショスタコーヴィチ」を折衷したような内容で、曲の内容はともかく、オーケストレーションは職人技だと思いました。 (その意味で、佐村河内氏の経歴からは書けないレベルの筆致で、第三者の手が入っているなと思いました。 新垣氏の筆であることに非常に納得しました) そういう「〇〇もどき」の曲が現代に作られることにも意味や意義はあると思います。 何が何でも「独創性」や「新奇性」がなければ意味がない、ということではないと思いますので。 1980年代以降のペンデレツキなんて、そんな感じですよね。 こちらに、私なりの考えを書いてあります。 質問者さんは、この質問の 1 回答者さんですね。 goo. html そこの「お礼」に書かれている「岡田さんの著作」はこちらです。 興味があれば読んでみてください。 新書版で入手も容易です。 amazon. A ベストアンサー No. 1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。 内外の音大の事情を直接知る者です。 大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、 ランキングはもともと無理で、意味もありません。 たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。 ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、 ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。 一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝統音楽を専攻する邦楽科が、 美術学部には日本画科があります。 これらを専攻した人の活躍の場は主に日本に限られます。 この二つの例からだけでも比較するのが無理だということがわかります。 ネット上の情報を見るときは、注意しなければならないことがたくさんあります。 リンク先のホームページは、公的機関や研究団体のサイトではなく、個人が趣味で作成しているサイトです。 作成者のプロフィールには、楽器も弾けない、楽譜も読めない、とあります。 引用したランキングがどういうものかも調べていないようで、記事そのものの内容も誤解を招くものです。 このランキングを見ると、聞いたことのないインドネシアの大学が並んでいたりして、 不自然であることがすぐにわかります。 調べたところ、この企業のランキング調査の対象に音楽大学が含まれるようになったのは2016年。 リンク先のランキングはその年の結果で、まだデータが集まっていません。 今年のランキングを見ると、東京芸大ではなく東京大学が突然38位に入っており、 大阪大学が100位以内に入っています。 topuniversities. 「kranking」はダジャレで、「krank」は「病気」の意味ですが、 ミュンヘン音楽大学やザルツブルク・モーツァルテウムがこんなに評価が低いわけがないと論評しています。 nmz. wikipedia. B0 つまり、この調査は完全に「学究的見地」から行われているもので、 卒業生が音楽の世界で活躍しているか、コンクールで入賞しているかは反映されていません。 上位にイギリスの大学が多いのは、イギリスの企業の調査による偏りのようにも思えますが、 同時にアメリカの大学がたくさんランクインしていることを考えると、 論文の査読と引用が評価指標の60%を占めることから、 英語圏の大学の評価が必然的に高くなるということでしょう。 東京大学がランクインしているのも、文学部や哲学科の学生や教員が、 芸術関係の論文を英語で書いているから、という可能性が考えられます。 音楽大学の場合は、卒業演奏や卒業作品であり、論文というのは、音楽学専攻をのぞけばほとんど問題になりません。 このようなランキングを発表している機関はほかにもありますが、方法は似た様なもので、 「舞台芸術」で検索しても、上のランキングとは全く異なり、 オーストラリアのシドニー大学が1位表示されたり、なぜか「工科大学」がランクインしたりしてします。 ドイツに優れた音楽大学がたくさんあるにもかかわらず上位に入っていないのも、上のような理由からでしょう。 では実際はどうかというと、ここにもやはり国ごとの学制、価値観、伝統、社会的評価の違いがあり、 単純に比較することは不可能です。 一般によく言われますが、日本の大学は入るのが難しく出るのが簡単、 欧米の大学は入るのは簡単だが出るのは難しい、ということがあります。 音楽大学も例外ではなく、東京芸大や桐朋学園の入試はレベルが非常に高いです。 ヨーロッパは、国と大学によって違うとは思いますが、日本ほどではなく、 入学後の学生全体の技術レベルという観点から言えば、 日本の音大生のレベルの方がむしろ高いかもしれません。 そして、芸大や桐朋で学んだだけでも、国際コンクールで入賞したり、 ヨーロッパの名門オーケストラに採用されるだけの力をつけられたりする可能性は十分にあります。 ヨーロッパの音楽関係者の間でもこれらの音大の名前はよく知られており、 「芸大ならば」、という信頼は持たれています。 しかしその一方、日本の音大生、音楽家は、技術はあるが音楽性がない、という批判は数十年前からあり、 この点はいまだに十分克服できているとは言えません。 たとえば、前々回のショパンコンクールでは、日本人参加者は一人も本選に進めませんでした。 コンクール後の審査員講評では、「日本の参加者は、楽譜通りに弾くだけでなく、もっと音楽を感じて弾かなければならない」 と指摘されました。 前回のショパンコンクールでも受賞者は出ていません。 ヨーロッパの音大で、学内のクラス発表会などを聞くと、 技術的には荒削りでも、音楽的で、一人ひとりが個性的な演奏をのびのびとやっています。 このような日本の音大生、音楽家の欠点の原因の一つは、教え方にあります。 ヨーロッパの大学などでは、技術や音楽表現について、具体的かつ論理的に、 どうしたらよいか、なぜそうなるか、を明確に説明できる教師がたくさんいます。 日本の場合、やや曖昧な精神論で済ますきらいがあります。 教師と学生の関係も、日本では上下関係になる傾向が伝統的にあります。 ヨーロッパの学生は、たとえやっていることが間違っていても、 自分はこう考えたからこうした、という主張をし、教師と議論をします。 日本からの留学生に対する教師の印象も、先生に言われたことはきちんとやるが、 それ以上のことをやろうとしない、という評判を聞くことがあります。 こういった点は、大学のレベルの問題ではなく、民族性や気質の違いに起因するものでしょう。 コンクールでの業績も、必ずしも評価の指標にはなりません。 先ほど挙げたショパン・コンクールなどは、「ショパンの演奏はこうあるべき」という権威の認める演奏スタイルがあり、 それからはずれた個性的な演奏をすると、技術的、音楽的に優れていても落とされます。 そういうこともあって、現在ショパン・コンクールはヨーロッパの学生の間では人気がなく、参加者も減っています。 アジア人の入賞者が増えるのは、アジアの音大のレベルが上がったというより、 参加者の比率が変わったことに原因があります。 すべてのコンクールが不当な評価を下しているとは言えませんが、 審査員の中の特に力を持つ人が、自分の弟子を入れるためにほかの参加者を落とすとか、 審査員の息子が優勝したのが問題になり、次の回から、審査員の家族、親族は参加できないという規約に変更された例もあります。 コンクールの裏事情については、信用できる話からデマに到るまでいろいろあります。 ヨーロッパの若者には、当然、審査基準の不透明なコンクールよりも、 実力で地道にキャリアを積む方がよいと考える人が多くなります。 むしろそういうやり方が本来の行き方で、コンクールが盛んになるのは現代になってからですが、 そういう伝統が残っているヨーロッパと違い、日本などはやはり経歴や受賞歴が重視される傾向があるので、 どうしてもやらざるを得ないという事情はあります。 あとは、個々の音大の特徴や長所、短所があります。 ジュリアードなどのアメリカの音大も、どちらかというと技術は優秀ですが、 ヨーロッパの本格的で伝統的な演奏法とは少し異なる部分があると思います。 しかしその一方、ジュリアードなどは、かつて名教師と言われる人がいて、 そういう教師を求めてやって来る生徒がいました。 ヨーロッパの音大生にしても、一つの大学で学んだあと、特定の教師にさらに習いたいということで、 その教師が在籍する大学に移ってさらに研鑽をつむのはごく普通の道です。 芸大、桐朋の卒業生でも、海外で活躍しているような人は、 さらに欧米の音大で勉強をつづけた人が大部分と思います。 欧米の一流音大の学生でもダメな人はたくさんいますよ。 結局のところ、個々の学生が、何を学びたいのかという明確な目標意識を持ち、 それに一番適した大学や教師を選び、自分で道を選ぶものであって、 大学全体のレベルや名前による格の違いという話題は、通俗的なものになりがちです。 1の回答で充分と思って見ていましたが、どうも簡単にはいかなそうなので、少し詳しく解説します。 内外の音大の事情を直接知る者です。 大学というのは、それぞれ設置している専攻科目も違うので単純比較はできず、 ランキングはもともと無理で、意味もありません。 たとえばウィーン国立音楽大学は、「演劇・音楽大学」が正式名称です。 ヨーロッパでは、テレビドラマや映画よりも演劇の方が重要で、 ここの卒業生の多くが舞台俳優として活躍しています。 一方東京芸大には演劇科がく、音楽学部には日本の伝... yahoo. 論文が近く、米科学アカデミー紀要に掲載される。 このチームは5年前、ストラディバリウスと現代の楽器を弾いた演奏家でも、 音の評価に大きな差がなかったとする研究を同紀要で発表している。 チームは 今回の研究で「バイオリンの作製技術が上がったのか、あるいは一般に信じら れているほどの音色の違いがなかったのかもしれない」とコメントしている。 実験は、パリ郊外と米ニューヨークのコンサートホールで、音楽の批評家や作 曲家などを含む聴衆計137人の前で行った。 ストラディバリウス3丁と現代 のバイオリン3丁を、演奏者にはどちらのバイオリンかわからないようにして ソロで弾いてもらい、どちらの音色がよく響くかなどを、聴衆が評価した。 yahoo. 論文が近く、米科学アカデミー紀要に掲載される。 このチームは5年前、ストラディバリウスと現代の... A ベストアンサー 所謂、ブラインド(カーテン)テストで、わりと昔から公開実験のようなかたちで楽器(ヴァイオリン)やオーディオ機器(スピーカー等)の聴き分けに用いられてきました。 工業製品であるオーディオ機器と違い、製作者やその中でも個体差による出来不出来も大きくかつ歴史的にも貴重なヴァイオリンはこのようなテストでは常に興味深く、万人の関心を集めてきた経緯があるようです。 さて、件のストラディヴァリウス(以下、ストラド)と現代の楽器との比較ですが・・・ ある有名な老舗弦楽器専門の楽器商(過去1万本以上の古今のヴァイオリンを扱ってきた)の言葉を借りれば「腕9割、楽器1割の世界」だそうです。 つまり、演奏者の腕=奏者固有の音色・個性を表現するにあたりそれを楽器から引き出すテクニックが重要なのであり、それを助けるのが残り1割ほどである楽器だというのです。 なるほど、名演奏家などは幼いころから日々切磋琢磨し厳しい練習に励み、プラス生まれ持った才能も手伝ってコンサートやCDで聴けるあの音を出せるのです。 これは天才は99%の努力と1%の閃きという有名な言葉どおり。 そして、完璧で素晴らしい腕に相応しい表現力ができる楽器を必然的に求めるのですね。 それが名器といわれる17~18世紀のストラドやガルネリ・デル・ジェス(デルジェス)を頂点にした著名楽器群と言われています。 この両者はヴァイオリンという楽器の黄金時代を築き、その形・音いずれも歴史的に見て頂点を極めた名工の名器に違いありません。 では、それに対し現代(近代)の製作者が作る楽器はどうでしょう? 結論から言って、ストラドやデルジェスに十分対抗出来る楽器は存在すると思います。 具体的な製作者名はここでは省きますが、例えば、オイストラフ、メニューイン、アーヨ、アッカルドといった著名な名演奏家やわが国の某ヴァイオリニストなども近代、現代の楽器を愛用し、実際にコンサートや録音でも使用しています。 但し、彼らがストラドやデルジェスといったこれらの中でも屈指の名器を所有し、愛用していた(いる)のは勿論です。 やはり、素晴らしい楽器であることは事実であり、古今の大作曲家たちの素晴らしいヴァイオリン音楽を表現・演奏するのにこれ以上のものはないのでしょう。 これらの楽器の歴史的価値、それに伴う貴重さゆえに美術品・絵画並みにとてつもなく高額であり、しかし、国家や財団が芸術のために特に彼らに終生貸与した例も内外数あります。 古い楽器と新しい楽器、この両方を持ち合わせている演奏家は普通に沢山います。 前者と後者をそれぞれ、枯れて柔らかく優しい音、みずみずしく反応に優れ健康的な音、というふうに捉えて楽器を作曲家・曲目により使い分けているのも表現上ごく自然のことです。 尚、ストラドとデルジェスの両方を持っていた(いる)幸せな演奏家もいますし。 何より、名器を所有するというのが一流演奏家の証、そして夢であり=「いつかはストラディヴァリウスを・・・」、ブランド力というか、所有することにより本人の絶大な精神的支えになり、下世話な話ですが集客の大切な要素にもなります。 特に欧米では名器所有はわが国以上に昔から多大なステータス性を持っています。 (わが国以上に完全に階級社会ですので) ですから、プロフィールなどにもまず名器といわれる古い楽器を一番に挙げ、サブとして近代・現代の著名製作者の楽器も所有というのが一般的です。 本来の質問の趣旨に戻ります。 実はこのようなブラインドテストでは実は微妙な問題が含まれています。 具体的に、 ・ストラディヴァリは生涯数百本のヴァイオリンを製作。 現在、世界中に存在する彼の楽器の中でも名器といわれているのはその中でもごく僅か。 それらは代々、名演奏家から名演奏家へ、名家から名家へ、コレクターからコレクターへと渡っていき、まずこのような一般的な場所に出ることはない。 ・だからこのような所に出るのはストラドの中でもまあ普通~それほどでもない出来の楽器か・・・また彼には二人の息子がいてそれぞれいい楽器を残してはいるが父を超えることはなかった。 彼ら、または弟子の手による楽器に父親のラベルを貼ったものや後世になって全く他人が作った古い楽器にラベルを貼った贋作など、疑えばきりはない。 ・楽器そのものはよしとして、演奏者が名手・一流でなければテスターや聴衆の聴き慣れてる所謂「ストラドの音」に聴こえない可能性も。 せっかくの名器も可哀想。 また、演奏者と楽器の相性もかなり重要で新しい楽器は鳴らせても古い楽器からは持ち味は引き出すことが出来なかった。 テスト当日、演奏者はこの現代の楽器が手に馴染みいい音が引き出せた。 ・このテストでのそれぞれの楽器の出来と純粋な音の評価はそもそも現代のものの方に最初から軍配が上がっていた。 仮に優れた個体のストラドと演奏者の場合、当然そちらに勝ちがあったかと。 等々・・・ というわけで結論は出ませんが、こういった考え方もあります。 作られてから300年も経っている楽器です。 いくら名工が名器を作ろうとも経年とその間に修復を繰り返す内に、この先やがては朽ちてくるのは目に見えています。 そうなればそれに続く第2第3のストラド、デルジェスと云われるその次の年代の楽器たちがそれに取って代わるでしょう。 また、現代の名工が作った楽器もいいものは残りやがては価値が出てくるのでしょうし・・・ ただし、はっきりと言えることは、 名器というものは誰が弾いてもある程度、素晴らしくいい音が出るものなのですね。 (注:誰=一応、一定の演奏レベルを持った人) これは古い・新しいを問わずです。 しかしながら、「ストラディヴァリウス」というブランド=付加価値が付くと誰しもその神秘的な魔力にかかり、他を排斥しがちな風潮にこのようなテストは科学的・客観的な観点から極めて意義のあるものではあると思われます。 所謂、ブラインド(カーテン)テストで、わりと昔から公開実験のようなかたちで楽器(ヴァイオリン)やオーディオ機器(スピーカー等)の聴き分けに用いられてきました。 工業製品であるオーディオ機器と違い、製作者やその中でも個体差による出来不出来も大きくかつ歴史的にも貴重なヴァイオリンはこのようなテストでは常に興味深く、万人の関心を集めてきた経緯があるようです。 さて、件のストラディヴァリウス(以下、ストラド)と現代の楽器との比較ですが・・・ ある有名な老舗弦楽器専門の楽器商(過去... A ベストアンサー No. 2です。 「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。 引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R. シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。 いくつ分かるかな・・・。 youtube. ・ピアノ協奏曲第1番の冒頭は、ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情」の引用。 「リスペクト」ととるべきか「パロディ」と考えるか。 ・有名な交響曲第5番の第1楽章第2主題は、提示部では短調なので気づきませんが、再現部で長調になるとビゼー「カルメン」のハバネラの合唱にカルメンが乗せて歌うオブリガートの引用であることが分かります。 スターリン死亡直後の交響曲第10番や弦楽四重奏曲第8番など。 ・交響曲第11番「1905年」に、たくさんの革命歌を引用。 体制へのすり寄りか、革命の原点へのオマージュか。 (ショスタコーヴィチ自身は父親も含めて革命に共感していた) ・弦楽四重奏曲第14番は、弦楽四重奏曲を初演してきたベートーヴェン弦楽四重奏団の創設以来のチェロ奏者「セルゲイ・シリンスキー」に献呈され、自作のオペラ「マクベス夫人」からのカテリーナが愛人セリョージャを歌うアリアがチェロに引用されます。 「セルゲイ」の愛称が「セリョージャ」なので。 ・最後の作品となったヴィオラソナタには、ベートーヴェンのピアノソナタ「月光」が引用されます。 バルトークは、亡命先のアメリカで死の病の中で作った「管弦楽のための協奏曲」で、第3楽章「悲歌」に自作のオペラ「青髭公の城」から「涙の湖」の主題を引用するとともに、第4楽章「中断された間奏曲」に、直前にアメリカ初演されたショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」第1楽章の主題(侵攻の主題、これもレハール「メリー・ウィドウ」の引用)を嘲笑するように引用しています。 体制を鼓舞するショスタコーヴィチを揶揄していると言われていますが、むしろこの曲のアメリカ初演権を争ったトスカニーニ、ストコフスキー、クーセヴィツキーやセンセーショナルに取り扱ったアメリカ音楽界を揶揄したのでしょう。 思いつくだけで、いろいろな引用がありますな。 2です。 「引用」と「パクリ(盗作・盗用)」は別物でしょう。 引用は、あくまで他の作品を意図的に使うわけで、いちいち許可を得ることはしないのが普通だと思います。 ルチアーノ・ベリオの「シンフォニア」(1969)の第3部は、マーラーはじめドビュッシーやラヴェル、R. シュトラウスなどを引用した「コラージュ」という手法で作られています。 いくつ分かるかな・・・。 youtube. Q 私は吹部でフルートを吹いています。 それで疑問に思ったのですが、なんで吹奏楽はフラットばかりの調なの?と言うことです。 私は小さい時からピアノを習っていて、ピアノなら初級の頃からシャープが付く曲が出てくるのに、吹奏楽では一向に出る気配は有りません。 それと吹奏楽は管楽器だらけなので、音程が合うはずもないのに、先生は音程が悪いと理不尽なことを言います。 最近気づいたのですが、全日本吹奏楽コンクールに出てくる大学は偏差値40台のFランですが、偏差値60台の大学はオーケストラの方が有名です。 私も大学にいったらオーケストラに入るつもりです。 話が長くなりましたが、吹奏楽で音楽的な事は学べますか?フラットの曲ばかりで嫌になるし、音も吹奏楽は汚くて悲惨です。 それに対して、弦楽器は、E、A、D 、G、C、とかに調弦するので、必然的にシャープ系の曲が多くなりますね。 吹奏楽という構成は、それはそれで魅力はあるとは思うのですが、いかんせん、オーケストラに比べて歴史が浅いのと、(そのせいもあって)天才作曲家があんまり吹奏楽の構成の曲を書いてないので、吹奏楽ならではという名曲があんまりない、ってのは否定できない部分がありますね。 あとは、日本独特の「吹奏楽コンクール」の功罪もあるんでしょうね。 オーケストラには、コンクールなんてものはないわけで(全くないわけではないですが)。 A ベストアンサー No. 3です。 言うまでもないと思いますが、「~-er」「~-ist」にして「~をする人(もの)」にするのは、演奏、楽器だけに限りません。

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フジコ・ヘミングのピアノは、なぜ人々の心をとらえるのか。魂のピアニスト:イングリッド・フジコ・ヘミング特集

フジコ ヘミング 岡山

michihideito がシェアした投稿 - 2020年 1月月14日午前2時32分PST 名 前:フジコ・ヘミング 職 業:ピアニスト 誕生日:不明(推定1930年前後) 年 齢:80歳後半 フジコ・ヘミングの幼少時代 フジコ・ヘミングさんは、ロシア系スウェーデン人男性と日本人女性の子供であり、ベルリンで出生しています。 その後間もなく日本に移住していますが、父親は日本に馴染めなかったようであり残念ながらスウェーデンへ帰国しています。 母親はプロピアニストで、フジコ・ヘミングさんに6歳の頃から1日2時間のピアノレッスンを開始しています。 その内容は大人向けとほとんど変わらないもので、かなりのスパルタ教育であった模様です。 その成果によってピアノの腕はメキメキと上達し、ラジオ放送に生出演してのピアノ演奏や、東京芸術大学音楽部への進学などを果たしています。 フジコ・ヘミングの学生時代 NHK毎日コンクール入選 文化放送音楽賞受賞 大学卒業の後は本格的なピアニストへの道を志し、ベルリン音楽大学へ留学しています。 ただ、実は帰国子女として日本に滞在中に当時の規則によってスウェーデン並びに日本国籍のいずれも入手していない状態であることが判明しました。 その為、無国籍状態でドイツに渡っていたとされています。 ドイツでの生活は苦しく、食べ物はギリギリまで切り詰められ、1週間を砂糖水のみで過ごしたこともあったと言われています。 そのさなかでもピアノの修練は続けられていましたが、 あまりの貧しさによって風邪をこじらせた後に聴力を失うという致命的なアクシデントに見舞われてしまいます。 このことによって音楽家としての道は一時保留せざるを得なくなり、 耳の治療のかたわら音楽教師をしながらヨーロッパ各地でコンサート活動を行うことで少しずつ実績を積んでいます。 フジコ・ヘミングの日本での活動 ヨーロッパから日本に帰国したのは1995年であり、母親が帰らぬ人となったことが原因の帰郷であるとされています。 当時既に60代であり、フジコ・ヘミングさんはヨーロッパで目が出ないままの帰国と考えていたそうですが、その実力と功績はその後日本で結実し、そこから目を見張るような活躍を見せています。 fuzjko. hemming がシェアした投稿 - 2019年11月月8日午前6時32分PST 実際、フジコ・ヘミングさんは60代になってから広く有名となった人物であり、そうした噂が流れるのも無理はないでしょう。 ただ、 幼少の頃よりスパルタで特訓を受けており、下手だったということはないとされています。 フジコ・ヘミング たまたま来日中のサムソン・フランソワは日比谷でフジ子のショパン・リストの演奏を聴き絶賛。 その後、ベルリン国立音楽学校を優秀な成績で卒業。 以後、長年にわたりヨーロッパ在住、演奏家としてのキャリアを積む。 ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドウーラ・スコダに師事。 今世紀最大の一人といわれる作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナにウィーンで才能を認められ、彼のソリストとして契約したことは彼女が最も誇りとしているところのひとつである。 ちなみにこの成約に際しては、彼女の演奏に感銘を受けたレオナード・バーンスタインからの支持/援助もあった。 jvcmusic. html) ヨーロッパ留学の際には大きなチャンスに恵まれておらず、運が巡ってこなかったというのが適切な評価と言えるでしょう。 フジコ・ヘミングは下手という評価 ただ、 ネットでフジコ・ヘミングさんの演奏について下手ではないか、とする意見もいくらか見受けられます。 それはフジコ・ヘミングさんが昔の演奏スタイルを現在でも使っていることに起因する模様です。 「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか? では、その犬猿の仲である両者がどうして「フジ子批判」ではタッグが組めているのでしょうか? 一つには、ヘミング女史の演奏スタイルが、現代の基準からは外れているということがあります。 まず現代のピアノ演奏は、メカニックの面での技術革新が進んでいます。 これは1970年代に「ポリーニ、アルヘリチ、ベルマン」といったピアニスト達がプロに要求される技巧的な水準を一段引き上げてしまい、現在はそうした「上手い」演奏を当然のように聞いて育った若手が、更にメカニカルな安定度を競っているわけです。 newsweekjapan. php) 現在音楽の観点を重視する方達からは、上のような理由で批判が起こっています。 フジコ・ヘミングの音楽に対するコメント ただ、そういった批判のみでは、フジコ・ヘミングさんの高い人気について語り切れないのも事実でしょう。 フジコ・ヘミングさんは自身の音楽について、以下のように語っています。 フジコ・ヘミング特集 「誰が弾いても同じなら、私が弾く意味なんてない。 だから私は私だけの音を大切にしているの」 (中略) 「ぶっこわれそうなカンパネラがあったっていい。 魂が燃え尽きるほどのノクターンがあったっていい。 u-canshop. フジコ・ヘミングの年収 ピアニストとして活動するフジコ・ヘミングさんの年収はいかほどなのでしょうか。 音楽CDの印税 コンサートの収入 ここでは上の2要素を考えながら、年収についてまとめました。 フジコ・ヘミングの年収:印税 まず音楽CDの印税です。 音楽CDの印税は、以下のような取り組みがあるとされています。 レコード会社からの収入 印税というのは、本・CDなどが売れたら、売れた枚数に応じて作った人に支払いますというお金です。 ロイヤリティともいいます。 アーティスト印税は、ケースバイケースですが、大体CD定価の1~3%くらいです。 新人だと1%が普通です。 htm) こうしてみると、一般的な歌謡曲を歌うミュージシャンと変わらない取り組みであることが窺えます。 フジコ・ヘミングさんは百万単位の売り上げ枚数を誇るピアニストであり、大成功を収めたミュージシャンの印税額と変わらないことが推測されます。 やはり数千万円の年収がある、と言えるでしょう。 フジコ・ヘミングの年収:コンサート 音楽家のコンサートでは、売れている方なら50万円ほどの収入があるとされています。 フジコ・ヘミングさんは年に50にものぼる回数のコンサートを開催しており、ざっと見積もって2000万~3000万円の収入がある、と推測されます。 フジコ・ヘミングの年収をまとめると 以上の結果を総合すると、フジコ・ヘミングさんの年収は数千万円と言えるものです。 ひょっとしたら億に届くこともあり得ますね。 フジコ・ヘミングが事故にあった話 フジコ・ヘミングさんは2018年に交通事故にあったと言われています。 その事故によって左足を怪我したと言われており、それ以降のコンサートでは手押し車を使って移動する姿がたびたび目撃されています。 bellamieannex がシェアした投稿 - 2019年12月月30日午前3時33分PST また、ピアノのペダルを踏むときにもかなりつらそうな様子が報告されています。 日本での音楽活動から20周年を迎えているフジコ・ヘミングさんであり、今後も活動を続ける旨を発表していますが、高齢で事故に遭われたことは心配ですね。 フジコ・ヘミングの健康へ意識 健康に関してはフジコ・ヘミングさん本人も気にしている模様で、ピアノ練習と折り合わない難しさを語っています。 「愛されるより愛したい」手押し車のフジコ・ヘミングは走り続ける!CDデビュー20周年アメリカ公演開催 毎日ピアノを4時間欠かさず弾くヘミングさんが、今、気になっているのは健康だ。 「腰が曲がっちゃって、今では手押し車で歩かなくてはならないの。 医者からは体操をするようにと言われている。 でも、座ってピアノを弾いてばかりいるからますます悪化しちゃって。 yahoo.

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