万引き 家族 終わり 方。 「終わり方が、」万引き家族 raidentaroさんの映画レビュー(感想・評価)

【万引き家族】刑事役の池脇千鶴の演技が上手いけど劣化で老けたおばさん?!

万引き 家族 終わり 方

映画「万引き家族」でラストシーン・最後の子供のセリフは何だったのか?見ていきましょう。 映画「万引き家族」の仮題「声を出して呼んで」とラストの意味は? 映画「万引き家族」のラストシーン・最後の2人の子供のセリフは何だったのか、その意味を考えようと思ったときにヒントとなるのは、仮題です。 映画「万引き家族」は最初の映画のタイトルは「声を出して呼んで」というものでした。 主人公である柴田治 リリー・フランキー の欠落・偏重した家族への執着として子供たちから「お父さん」や「お母さん」と呼んでほしいと願い続けるさまが重点的に描かれていたそうです。 つまりこれが祥太や凛が最後に言った聞き取れなかったセリフです。 細かく見ていきましょう。 映画「万引き家族」ラスト最後で祥太のバスのセリフは何? 柴田治 リリー・フランキー たちの偽家族が解散され、子供たちももとの生活や新しい暮らしに帰されていきました。 刑務所にいる柴田信代 安藤サクラ が柴田治 リリー・フランキー に頼んで、祥太を面会に呼び寄せ、祥太の本当の家族につながる情報の話をします。 その後施設へと帰る前に、柴田治 リリー・フランキー の家に祥太は一晩泊まっていく事になります。 同じ布団で背中を合わせて寝ていたときに、家族崩壊の一因ともなった柴田治 リリー・フランキー が祥太を置いて逃げてしまった意味を質問をします。 柴田治 リリー・フランキー は祥太たちに家族であることを望んできました。 偽物で血も繋がらない家族ごっこでしかないけれど、「お父さん」や「お母さん」と呼ばれることを夢見てきました。 それなのに一番肝心なときに父親らしく振る舞ってくれなかったのはどういう意味なのか?と。 柴田治 リリー・フランキー は父親になりきれなかった自分を認め、「おじさんに戻る」と白状します。 次の日、施設へと帰る事になった祥太をバス停へと向かいます。 別れ際に翔太は「自分はわざと捕まった」と告げてバスに乗り込み、発車します。 柴田治 リリー・フランキー が追いかける中、車内から祥太は何かを言葉を発します。 必死に追いかけ、祥太の名を叫ぶ柴田治 リリー・フランキー ですがバスはそのまま走り去っていきます。 柴田治 リリー・フランキー が「祥太」と答えていることや、仮題が「声を出して呼んで」であり、父親として子供に認められることを渇望していたことを踏まえると、祥太は「お父さん」や「父ちゃん」といった言葉を発したことがわかります。 柴田治 リリー・フランキー が昨夜、「おじさんに戻る」と宣言したにもかかわらず、父親と認めることを許せた理由としては祥太の成長が挙げられます。 次のようなツイートがありました。 【 180610 舞台挨拶】 祥太がわざと捕まったことをおさむに伝えた理由を聞かれた是枝監督。 「この映画の中でリリーさんのおさむっていう役は最後まで成長しません。 だけど祥太は違うんです。 途中で疑問を持ち始める。 この作品で、息子は父を追い越して行くんです。 改めて柴田治 リリー・フランキー の口から父親として振る舞えなかった小ささを告白され、祥太はそれを許すことができたのだと言えます。 残酷な言い方をすれば、「家族ごっこに付き合ってあげた」ということです。 そして柴田治 リリー・フランキー はその意味を履き違えたまま、もしかするとやり直せるかも?と思っているところに幼稚さが現れています。 映画「万引き家族」ラスト最後で凛 じゅり のセリフや意味は? バス停での柴田治 リリー・フランキー と祥太の別れのシーンのあと、場面は切り替わり柴田凛 本名:北条じゅり が写されます。 家族の解散後、実の両親の元に帰され再び虐待の被害を受けていました。 映画「万引き家族」の序盤で柴田治 リリー・フランキー と祥太が発見した時のように外の廊下でひとり遊んでいたところ、何かに気づいたかのように身を乗り出して凝視して口元が動きます。 直前の祥太との連続性で言えば、柴田治 リリー・フランキー が現れたことに反応して「お父さん」と発したと考えられます。 「家族だった誰か」を呼ぼうとしたことは確かですが、誰なのか?までは不明です。 映画「万引き家族」子供の最後・その後の様子を解説・考察! 映画「万引き家族」の祥太、凛 じゅり 、亜紀の3人の子供達の最後やその後の様子について解説・考察していきます。 祥太の最後・その後の様子を解説・考察 家族の崩壊後、施設に入ることになった祥太は他の家族たちとは異なり、学校では成績優秀で釣りの知識を身につけるなど一見して明るい未来を迎えることができています。 その後、柴田信代 安藤サクラ の要求から刑務所の面会に柴田治 リリー・フランキー とともに向かい、一晩を柴田治 リリー・フランキー と過ごす際に独白を聞くとともにその幼稚な父性を許すまでに成長しています。 バス停での別れ際で「わざと捕まった」という一言を残し、バスの中から柴田治 リリー・フランキー の名を呼びます。 映画「万引き家族」を柴田祥太が主人公だという視点で眺めると、ただの家族が崩壊していっただけの話ではなく柴田祥太の成長物語としての姿が現れます。 柴田祥太は偽物の家族に対する違和感を抱いていたため、わざと捕まるという試練を家族に与えます。 柴田治 リリー・フランキー は柴田祥太の仕掛けた通過儀礼を乗り越えることができなかったために、父親であることを諦めてただのおじさんになりました。 そうした柴田治 リリー・フランキー のもろさ・弱さを受け入れて許すことによって柴田祥太は大人としての成長をすることができました。 また、柴田治 リリー・フランキー たちと作った家族は本物の家族とは言えなかったものの、システムとして「戸籍や血縁の繋がりが家族ということではない」ということを理解しています。 だからこそ、施設に入った柴田祥太は荒れた生活になるのではなく、環境を受け入れて適応し、学業にも熱心に取り組み、遊びにも熱中することができています。 柴田祥太は釣り好きであり、柴田治 リリー・フランキー との思い出も共有しています。 柴田治 リリー・フランキー を許すことができていない柴田祥太であれば、遊びとして釣りに取り組むという選択肢はあり得ません。 他の家族は崩壊の一途を辿っている中で柴田祥太だけが救われていく理由として考えられるのは、「唯一、家族になることを自発的に望んでいなかった存在だった」ことが挙げられます。 柴田祥太以外の「家族」は、家族となるメリットがありました。 柴田初枝 樹木希林 、柴田治 リリー・フランキー 、柴田信代 安藤サクラ はお互いの幼少期や家族関係での失敗をリセットするため。 柴田亜紀 松岡茉優 は妹・柴田さやかの誕生以来、居づらくなった本物の柴田家から逃げる隠れ蓑であり、両親から受けられない愛情を継祖母・柴田初枝 樹木希林 からもらっていました。 柴田凛 じゅり も、本物の家族・北条家での虐待やネグレクトから救われることを望んでいました。 それに対して柴田祥太はパチンコ店の駐車場で置き去りにされていたところを、泥棒をしていた柴田治 リリー・フランキー に発見されて誘拐された点で、エンディングを他の人間と区別することになったと考えられます。 凛 じゅり の最後・その後の様子を解説・考察 家族の解散後、柴田凛は北条家に戻されて再び虐待を受ける生活を送らされることになります。 映画「万引き家族」のラストで外を眺める柴田凛 じゅり が何かを呟いていたことが、その後の展開を予見するものなのか?はなんとも言えません。 ラストシーンで何かを呟く柴田凛 じゅり が発した言葉は柴田治 リリー・フランキー か柴田信代 安藤サクラ を指したものと言えます。 あの場面が柴田祥太と柴田治 リリー・フランキー のバス停での別れから間もない時間軸なのか、もう少し時間が経過しているのかははっきりわかりません。 柴田信代 安藤サクラ が出所しているかどうかに関してはともかく、柴田信代 安藤サクラ は母親として認めてもらえていなかったことを認識しています。 なので再び柴田凛 じゅり を誘拐しようという気にはならないと考えられます。 悲惨な結末としては、柴田治 リリー・フランキー が現れた可能性です。 柴田治 リリー・フランキー はすでに柴田祥太との会話でただのおじさんに戻ることを宣言しています。 しかし是枝裕和監督が言明している通り、柴田治 リリー・フランキー は成長しない人物として描かれています。 中途半端に柴田祥太の最後の言葉に希望を見出した柴田治 リリー・フランキー が柴田凛 じゅり の元に姿を現し、悲劇を繰り返そうとしていると考えられます。 そして、「2回目ならば失敗しない」保証はありません。 亜紀 さやか の最後・その後の様子を解説・考察 映画「万引き家族」の柴田亜紀 松岡茉優 のラストシーンは、誰もいなくなった家族の家に戻り、扉を開けて眺めていました。 親の愛情に欠けて育ち、信じたものに裏切られてきた柴田亜紀 松岡茉優 にとって、自分自身が家族を崩壊させたという後悔とともに、自己防衛としてはつらつとした気持ちや達成感もそこにはあったでしょう。 柴田亜紀 松岡茉優 が家族の解散後にどのような暮らしを送っているのかは明かされていません。 普通に考えると本当の両親の元で暮らしていると考えられますが、柴田亜紀 松岡茉優 のことを改めて迎え入れるだけの余剰は両親のもとに残されていないでしょう。 祥太のように大人になる成長の機会を得るには年を取り過ぎており、そのための通過儀礼になってくれる人間が身近にはいません。 「亜紀」として愛されることに執着していることを踏まえると、常連客の「4番さん」に次なる真実の愛を求めて壊れていくしかないと言えます。 まとめ ・映画「万引き家族」の仮題「声を出して呼んで」とラストの意味は? 映画「万引き家族」は最初の映画のタイトルは「声を出して呼んで」というものでした。 ・映画「万引き家族」ラスト最後で祥太のバスのセリフは何? 柴田治 リリー・フランキー が「祥太」と答えていることや、仮題が「声を出して呼んで」であり、父親として子供に認められることを渇望していたことを踏まえると、祥太は「お父さん」や「父ちゃん」といった言葉を発したことがわかります。 ・映画「万引き家族」ラスト最後で凛 じゅり のセリフや意味は? 「家族だった誰か」を呼ぼうとしたことは確かですが、誰なのか?までは不明です。 ・祥太の最後・その後の様子を解説・考察 柴田治 リリー・フランキー のもろさ・弱さを受け入れて許すことによって柴田祥太は大人としての成長をすることができました。 ・凛 じゅり の最後・その後の様子を解説・考察 中途半端に柴田祥太の最後の言葉に希望を見出した柴田治 リリー・フランキー が柴田凛 じゅり の元に姿を現し、悲劇を繰り返そうとしていると考えられます。 ・亜紀 さやか の最後・その後の様子を解説・考察 「亜紀」として愛されることに執着していることを踏まえると、常連客の「4番さん」に次なる真実の愛を求めて壊れていくしかないと言えます。

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【万引き家族】刑事役の池脇千鶴の演技が上手いけど劣化で老けたおばさん?!

万引き 家族 終わり 方

【2018年6月19日最終更新】 かるび( です。 6月8日に公開された是枝裕和監督の 新作映画「万引き家族」を見てきました。 すでにネット上には、熱心なブロガーさん達によって先行上映が始まった6月2日頃から最速レビューがじゃんじゃん上がっていて、正直出遅れ感満載です(笑) でも、行ってみて本当に良かった。 毎回、違う設定・新しい切り口で「家族の肖像」を描き続ける是枝監督。 前作「三度目の殺人」で日本アカデミー賞作品賞を獲ったと思ったら、今作はカンヌ国際映画祭で最高賞「パルムドール」まで獲得するなど、その活躍は留まるところを知りません。 早速ですが、感想・考察等を織り交ぜた映画レビューを書いてみたいと思います。 できれば、映画鑑賞後にご覧頂ければ幸いです。 1.映画「万引き家族」の予告動画・基本情報 【監督】是枝裕和( 「海よりもまだ深く」「海街diary」他) 【脚本】是枝裕和 【配給】ギャガ 【時間】120分 これだけ騒がれ、ストーリーにかなり複雑な設定があるにもかかわらず、本作は予告編のバリエーションが極端に少ないのが特徴。 ショートバージョンも含め、ネット用に制作された国内向けプロモーション動画はたった2本だけです。 予告編なんか見てないで、とにかく映画館に見に来い!ってことでしょうか(笑) ということで、海外版の公式予告も探してみたら、 1本だけ収録シーンが日本版予告と大幅に違う海外版公式予告を見つけました。 今年のシドニー映画祭(Sidney Film Festival/略称:SFF のために製作された限定版公式予告です。 英語版の字幕が入っていますが、吹替ではありませんので日本人なら誰でも違和感なく見れます。 事前に映画の雰囲気をより知っておきたいのであれば、こちらのSFF版も是非チェックしてみてくださいね。 さて、本作でメガホンを取ったのは、今や世界の 「Kore-Eda」となった、是枝裕和監督です。 引用:Wikipediaより 本作で原案・脚本・編集を担当した是枝監督は、第71回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを見事受賞。 日本人監督作品としては、1997年の 今村昌平監督「うなぎ」以来21年ぶりの受賞となりました。 パルムドール受賞で、世界の「Kore-Eda」に! 引用: 是枝監督といえば、その2ヶ月前、2018年3月には前作「三度目の殺人」にて、日本アカデミー賞作品賞を見事受賞したばかりでした。 こちらは、是枝監督の新境地となった「法廷もの」。 ラストの解釈は鑑賞者に委ねられ、様々な謎や心理の読み合い、映画ならではの映像的な仕掛けもたっぷり入った社会派サスペンス・ドラマでした。 今や飛ぶ鳥を落とす勢いである是枝監督が、「万引き家族」にて取り上げたテーマは、監督が長年取り組んできた「家族」です。 これまで、是枝監督は過去作 「海よりも深い場所」「そして父になる」「海街Diary」など、作品ごとに「家族の肖像」を、それぞれ全く違った切り口やテーマ、ロケ地で味わい深く描いてきました。 前作の法廷ミステリーを経て、今作は再び原点である「家族」を描いた作品へと回帰した是枝監督。 果たしてどんな作品に仕上がっているのでしょうか? 2.映画「万引き家族」主要登場人物・キャスト 是枝監督は、どの作品でも「是枝組」常連メンバーを核に、必ず水準以上の演技力を持つ役者を選びます。 また、選ばれたキャスト陣は、しばしば「是枝マジック」にかかり、自身のポテンシャルを全開させるような迫真の演技で新境地を開拓することも多々あります。 今回、「柴田家」のメンバーに選ばれた6人も、子役2名の選定を含め、大納得のキャスティングでした。 柴田治(リリー・フランキー) 是枝組常連メンバーの筆頭格。 大根仁監督、白石和彌監督なども自身の映画作品で常連として重用しており、2018年度は現在待機作も含め、9作品に出演中(!)出過ぎでしょ(笑)それなのに俳優業だけでなく、小説もイラストもデザインもできて・・・ってどんだけマルチタレントなんでしょうかこの人は! 柴田信代(安藤サクラ) 引用: 第1子出産後、復帰第1作となった作品。 映画「百円の恋」で日本アカデミー賞主演女優賞を獲得し、実力派女優として知名度は全国区に。 ヌードや役作りのための体型変化も厭わないプロ意識と、どんな役柄でも器用にこなす卓越した演技力は誰もが認めるところ。 この人がキャストに名を連ねるだけで、「ちょっと見てみようかな」という気にさせられます。 そう言えば映画「追憶」に続いて、お義父さん(=柄本明)との共演となりましたね(笑) 柴田初枝(樹木希林) 引用: ご自身は「死ぬ死ぬ詐欺」と自嘲的に語りますが、全身に癌が転移して久しく、75歳にして実は満身創痍の身。 毎回映画作品で見るたびに、命を削って作品に打ち込む姿勢が垣間見え、迫真の演技は冴え渡るばかりです。 先日公開された 映画「モリのいる場所」でも抜群の安定感でしたし、今作でも要所要所で素晴らしい存在感を発揮していました。 1作見るたびに、次もまたスクリーンで見ることができるのだろうかとハラハラさせられます。 柴田亜紀(松岡茉優) NHK朝の連続ドラマ「あまちゃん」でのご当地アイドルリーダー役や 映画「桐島、部活やめるってよ。 」出演あたりからブレイクし、近年では TVドラマ「水族館ガール」、映画「勝手にふるえてろ」など主演作も相次いでゲット。 TVドラマ、映画、舞台、CM等で超多忙な日々を送る、若手実力派女優の代表格になった感があります。 あまちゃん見てる時は、ここまで成長・出世するとは思わなかったな~。 柴田祥太(城桧吏) 引用: 撮影初期と後期で、明らかに顔つきや身長などが違って見えるなど、長期に渡る撮影がちょうど思春期の伸び盛りにあたった子役。 内に秘めた憂いある表情が味わい深かった演技力と監督好みの(?)整った顔立ちは、今後一気に伸びてきそうな気配を予感させます。 数年後、スイーツ映画の主演級で登場してくるかも?! ゆり/りん(佐々木みゆ) 引用: オーディションで、部屋の隅でポテトチップスを食べるシーンを演じてもらった時、食べ方が気に入ったから起用したとのこと。 公開後の舞台挨拶でも、沢山の観衆を前にマイペースで物怖じしない振る舞いが話題になっていました。 映画内でもセリフは少ないながら、自然でスムーズな演技ができていたと思います。 3.途中までの簡単なあらすじ 東京の下町、隅田川のほど近くに住む柴田家は、特殊な「家族」だった。 それぞれが人には言えない事情を抱え、お互いが寄り添うように依存しあって古くて狭い家に集まってきた結果、擬似的な「大家族」のようになっていたのだった。 2月のある寒い夜、治と祥太はいつものようにスーパーで見事な連携プレーを決めて、万引きを済ませて帰宅する途中、団地の廊下で震えている小さな女の子を見かけた。 不憫に感じた治は女の子を家に連れ帰り、女の子から事情を聞いた。 女の子はゆりと名乗った。 信代はゆりの手足や体に、日常的に両親から虐待を受けている痕跡を見つけたが、信代と治は一旦はゆりを両親の元へと返しに行った。 しかし、ゆりの家の中から聞こえてくる凄まじい夫婦喧嘩の様子を聞いて、そのままゆりを柴田家で引き取ることに決めた。 彼ら家族にはお金がなかった。 主な収入源は、初江が定期的に受給する老齢年金と初江のクリーニング工場でのパート代、そしてたまに治がこなす危険な日雇い建設業の仕事だけだった。 収入が足りない分は、治と祥太が必要最低限な分、日々万引きを繰り返し、なんとか生活を成り立たせていたのだった。 家族の中で、亜紀は初江から許され、生活費を入れていなかったが、亜紀は近場のJKリフレでのアルバイトにて遊ぶ金を稼いでいた。 ゆりはすぐに柴田家になじんだ。 唯一警戒心を顕にしていたのが祥太だったが、ゆりに「おにいちゃん」と慕われ、いつしか本当の兄妹のようになっていた。 ゆりが来て2ヶ月後、季節は春になっていた。 ワイドショーで「荒川区にて5歳の女の子が行方不明」というニュースが飛び込んできた。 ゆりだった。 ゆりの両親の言動に不審なものを感じた児童相談所が警察に通報したことで発覚したのだ。 しかしゆりは両親の元へ帰ろうとせず、柴田家の一員であることを選んだ。 彼らは、ゆりを「りん」と名付け直した。 夏になると、治は工事現場で怪我をして、働けなくなった。 労災も下りず、万引きすら満足にできない体になった。 信代もまた、クリーニング工場を解雇された。 いよいよ経済的に困窮した彼らだったが、縁側で花火大会を楽しんだり、ささやかな日帰り小旅行で海水浴を楽しんだり、彼らには貧しい中でも笑顔が絶えなかった。 微妙なバランスの上に成り立っていた柴田家のささやかな幸せが崩れるきっかけとなったのが、 日帰り小旅行の翌日朝、初江が亡くなっていたことだった。 本来、初江とは何の法的な関係もなかった彼らは、経済的な理由もあって死体を自宅地下に埋めるしかなかった。 初江が亡くなったあと、嬉々として初江が残したへそくりを家探しし、年金を不正受給し続ける治と信代。 それを見た亜紀は、この家族のあり方に疑問を抱くようになっていた。 一方、祥太も駄菓子屋で万引きを咎められて以来、少しずつ無自覚に軽犯罪を重ねる治の姿勢に疑念を持つようになっていた。 そんなある日、祥太とりんが地元のスーパーで日用品の万引きを行おうとしたところ、祥太が店員に追いかけられて右足に大怪我を負ってしまう。 病院に駆けつけた治と信代は、事情聴取に病院へ来ていた警官に住所・名前をうっかり伝えてしまう。 祥太への事情聴取から柴田家の秘密や過去の不正・軽犯罪が露見することを恐れた治たちは、急いで家を出ようとしたが、自宅の門の前には警察が張り込んでいた。 彼ら5人は、警察へ勾留されてしまったのだった。 果たして治や信代たち、柴田家の5人はどうなるのか?犯罪でしかつながれなかった家族に訪れた結末とはーーー? スポンサーリンク 4.映画内容の簡単なレビュー!(感想・評価含め) だれがどう見ても上質な映画作品。 ごてごてした状況説明的なセリフは一切なく、時系列に沿って小出しに提示されていく状況描写やわずかな映像的な手がかりから、家族のつながりやストーリーの全体像を読み解いていかなければならないという、映画的な醍醐味に溢れています。 また、作品自体も様々な観点から重層的に解釈できるように作られており、着眼点を変えて、様々な視点から何度も映画を楽しんで解釈できるように脚本・演出に至るまで細心の工夫が重ねられていました。 以下、個人的に感じた本作の見どころを紹介します。 見どころ1:丁寧に描かれた家族6人の心情描写 引用: まず、本当に素晴らしかったのが彼ら「万引き家族」6名の揺れ動く心情描写です。 それぞれの心の内に打算や思惑を秘めながらも一つ屋根の下に集まり、身を寄せ合うように暮らす彼らの間には、血縁関係は一切なく、格式張った親子関係もありません。 大人たちは日常生活の中で気軽に万引きや不正に手を染めるなど、適度に人間として問題がありますし、お互いの存在に対して打算的な思惑を隠そうともしません。 そんな中でも、この奇妙な共同生活の中で、彼ら家族ひとりひとりが本当は家族のぬくもりを切実に求めていることが伝わってきました。 擬似的な家族ごっこに過ぎなかったのかもしれませんが、でも、6人でいた短い夏の間、縁側から花火を全員で味わった夜や、海水浴場へ全員で小旅行へ出かけた日、そこには確かに幸せな家族の空間が広がっていました。 引用: 海辺で見せた彼らのくつろいだ表情を見ていると、「貧困」への強烈な問題提起がなされている映画でありながら、「幸せであること」と「お金があること」の間には厳密な関係性がないのかもしれない、とも思わされます。 彼らに訪れた一時的な多幸感。 いつまでも見ていたい、と思うような名シーンでした。 しかし、ストーリー後半では無理に無理を重ねてかろうじて維持されていた「万引き家族」は、初江の死と共に「砂上の楼閣」のように一気に崩れ去ってしまいます。 その過程で、残された5人が見せる様々な表情もまた味わい深いです。 家族だった他の4人の幸せを願い、獄中で強さと知性を見せる信江。 短絡的で頭が悪く、小狡いところもあるけれど、最後まで家族の復活を望んでいた純粋な治。 再びDV家族の元へと戻り、孤独な毎日を送るりん。 物語が暗転してから、各キャラクターの心情を読みといていくだけでも非常に充実した鑑賞となりました。 見どころ2:是枝監督が作品内に込めた現代社会への強烈な問題意識 また、作品内に込められた社会批判や問題意識に目を向けるのも面白いです。 是枝監督が 「10年分の問題意識をこの作品に全て打ち込んだ」という通り、作品中では社会の底辺で生きる弱者がリアルに描かれると共に、 年金不正受給問題、死因不明社会、高齢者お一人様問題、学校にも通えない子供家庭内暴力、育児放棄、ギャンブル依存症、雇い止め、労災事故、貧富の格差、現代日本社会が抱える、負の側面に思いっきり焦点をあてています。 (ネットではあまりに詰め込みすぎて、かえってリアリティがないという意見もちらほら見かけました) 中でも特に注目したいのが、「万引き家族」6名の中でも、祥太とりんの子供二人の置かれた過酷な状況です。 引用: りんは、両親が家庭内で常に言い争い、母親が父親から絶え間ないDVを受ける中、精神的に追い詰められた母親から育児放棄された挙げ句、虐待を受けていました。 そんな生死にかかわるギリギリのタイミングで、治と信代に拾われたのです。 また、物語後半で明らかになる、祥太と治の出会いについての秘密もインパクトがありました。 パチンコ屋の駐車場で閉め切った車の中、放置されて死にそうになっていたところを、たまたま車上荒らしをしていた治に拾われたという衝撃のエピソード。 しかし、もっと問題なのは、たとえりんと祥太が「万引き家族」に拾われたとしても、それは長期的に見て何の解決にもなっていなかったという点です。 もちろん、家族らしいぬくもりやを知ったことや、治・信代たちと過ごした時間も、彼らにとって大切な思い出になったことでしょう。 引用: 「他に教えてやれることがなにもないんです」と警察の取調中に治が告白した通り、11歳になるまでに祥太が身につけたスキルは、治から教わった万引きの技術だけでした。 戸籍がないから学校にも行けず、自宅の押入れの中で愛読しているのは小学校2年生の国語の教科書(スイミー)。 同じく、6歳で拾われてきたりんも、読み書きさえ危うく、数字も1~10までしか数えられない有様です。 信代や治がいかに善意を持って、彼らを父親、母親代わりに育てようとしていたとしても、子供たちの発育状況を鑑みると、信代と治がやっていたことは、ゆるやかな虐待でしかないわけです。 極度の貧困が子供から教育の機会を奪い、子供の将来を潰していくというインパクトの大きさに衝撃を受けてしまいました。 見どころ3:映画ならではの細やかな映像表現・演出 もちろん、映画ならではの見応えたっぷりの映像表現も秀逸でした。 まず何と言っても見どころは、柴田家の生活空間です。 家の中はカオス寸前まで汚され、乱雑にモノが折り重なり、汚部屋寸前。 引用: 不要不急なモノは家の中にあふれているのに、本当に必要なものは家の中にないのです。 しかもこれだけ散らかり放題なのに、1度も掃除や洗濯など、家事をするシーンが出てきません。 映画「家族はつらいよ」シリーズで、映画中一度は必ず史枝さんが疲れた顔して掃除機をかけたり洗濯物を干すシーンが出てくるのとは対照的です。 さらに、「MOVIE WATCHMEN」で宇多丸さんも言ってましたが、 何ですかあの汚いお風呂は! また、 家の中を映し出すカメラは、必ず子供二人か足の不自由な初江の目線に固定されているのも印象的でした。 小津安二郎監督の名作「東京物語」の低い固定カメラをほうふつとさせます。 低いカメラ位置のほうが、よりカオスな室内が際立つ効果がありますね。 もう一つ感心したのが、都心の下町で聞こえてくるリアルな生活の雑音。 僕も都心の築30年のアパートで生活しているのでわかるのですが、 東京都心って、静かな朝でさえ、通奏低音のように「ゴーーーーッ」というまとわりつくような低周波音がどこからともなく聞こえているんですよね。 さらに、狭い部屋の中で動き回る、柴田家の生活から漏れ聞こえてくる雑多な音。 劇伴音楽をできるだけシンプルに抑え、都心特有の生活雑音をリアルに反映させようと工夫した作り込みには舌を巻きました。 さらに、治と祥太の関係性を表す仕草や演出もひねりが効いていて面白かったです。 「万引き」仕事に取り掛かる前の儀式やサイン、仕事の前後に交わすグータッチなど。 後半、治に不信感を持った祥太が治の出した拳にグータッチを返さなくなる描写ひとつで、二人の間に広がった微妙な距離感や不信感をスマートに表現する巧さが光ります。 一方、治と祥太が同じ体の部位を怪我してしまうのは、彼らの切っても切れない縁を暗喩するようで味わい深いです。 治は工事現場で、祥太は万引きから逃げる途中、右足を「労災」で骨折するのです。 (信代とりんも、腕の同じ場所をアイロンでやけどした痕を見せ合うなど、同じような演出がありましたね) 他にも、髪を切って家族の一員となったりんが、「赤い服」を捨て、それ意向は「青い服」しか着なくなる演出(母親のもとへ戻ったら、また「赤い服」に戻っていた)や、 最後まで治のことを「父ちゃん」と呼ばなかった祥太が、バスの中で声にならない声で「父ちゃん」とつぶやくシーンなど、味わい深い演出が本当に多数ちりばめられていました! このように、本作は、登場人物それぞれの心情描写の妙や、それを支える俳優の確かな演技力、映画ならではの細心の注意が払われた各種演出、監督が本作に込めた強烈なテーマ性、これらが絶妙にブレンドされたハイレベルな作品だったと思います。 内容上、映画を1度見終わった人向けのコンテンツとなりますので、ここからはネタバレ要素が強めに入ります。 予めご了承下さい。 疑問点1:タイトル「万引き家族」の意味とは?当初の原題は別のタイトルだった? 海外版のタイトルは「SHOPLIFTERS」 このタイトルには、2つの意味が含まれていますね。 治と祥太はもちろん、信江はクリーニング屋で衣類のポケットから出てきたアイテムを持ち帰っていますし、初江はパチンコ屋で他人のドル箱を大胆にネコババしています。 もう1つは、家族そのものを万引き=盗んだという意味合いです。 治は、祥太をパチンコ屋で拾い、りんを団地の廊下で拾いました。 また、考えようによっては、初江は信代、治、亜紀を拾ってきたとも解釈できます。 ちなみに、現在の邦題「万引き家族」に最終的に決定する以前に、本作に付けられていた当初の仮タイトルは、 「声に出して呼んで」です。 確かに、作品のハイライトとなるような重要シーンで、各登場人物が声にならない思いを伝えようとした場面がいくつかありました。 マグロに仲間を食い殺された小魚であるスイミーが、失意から立ち上がり、再び仲間を集めて、今度は沢山の仲間で大きな魚の形をしてマグロを追い払うという話です。 是枝監督は、 映画の準備中に児童虐待の保護施設を取材で訪問した際、一人の児童がずっとスイミーを是枝監督へ読み聞かせてくれたことが印象に残ったことがきっかけで、劇中で祥太に「スイミー」を朗読させるシーンを作ったのだそうです。 祥太がスイミーを朗読するシーンには、複数の読み解きができそうです。 まず、1つ目は、極度の貧困は、子供から最低限の教育を受ける機会をも奪うということです。 祥太は学校に通っていません。 かつて初江の息子が使っていた古い教科書を押入れから取り出して、自分で勉強しているのです。 本来、11歳になる祥太は、小学校4年生または5年生でなければならない年齢ですが、未だ小学校2年生程度の学力しか持ち得ていないのです。 スイミーは小学校2年生用のテキストなのです。 祥太は元々地頭の良い子です。 駄菓子屋の店主に一言注意されただけで世の中の善悪を正しく把握する力がありますし、読み書きも、治が教えてくれるわけではなく自分で勝手に習得しているのですよね。 実際、柴田家が解散した後、児童養護施設から小学校に通うようになった祥太は、めきめき学力をつけて賢くなっていました。 (釣りの知識を治に披露したり、学校のテストで8番を取ったり・・・) そんな地頭の良い祥太でさえ、正規の学校教育を受けられなければ、同年代の子供たちに追いつくこともままならないのです。 もう1つは、スイミーのストーリー自体が、柴田家の構造の暗喩になっているということです。 家族を失ったスイミーは、再び仲間を集めて、一つの大きな大家族を形成します。 この大家族が力を合わせてマグロをやっつけるのです。 (この場合マグロは苦難の象徴) これは、家族との絆を失った柴田家の各メンバーが、一つ屋根の下お互いが支え合って生きていくことで、幸せな生活を取り戻したい・・・という彼らの「希望」をメタファーとして表した映画的な表現だったと解釈することもできますね。 疑問点3:初江が亜紀の実家を訪問していた理由とは? 引用:映画パンフレットより 初江が訪問していたのは、初江と離婚した元夫が別の女性と結婚して、その間にできた息子夫婦が住む家でした。 息子夫婦には、二人の娘がいます。 長女が亜紀、次女がさやかです。 (ちょうど映画ではちらっと部活バッグを抱えたさやかが学校に行くところが写りましたね) 初江は、すでに亡くなった元夫へお線香を上げに行くという名目で、亜紀の父から慰謝料・迷惑料に相当するお金を定期的に受け取っていたのです。 だからこそ、初江は自らの家に転がり込んできた亜紀からは生活費を取ろうとしなかったのでしょう。 (もうもらってるから)でも、死後、手付かずのまま数回分のお金が残されていたあたり、まとまったところで亜紀に還元するつもりだったのかもしれませんね。 疑問点4:なぜ亜紀は家を出て柴田家へ転がり込んだのか 引用: 亜紀は、何をやっても自分より才能のある妹、さやかに両親の愛情を一手に奪われ(たと少なくとも本人はそう感じていて)、実家に居場所がなくなったため、初江を頼って初江の家に転がり込んだのでした。 さやか自身はどう思っているかどうかわかりませんが、少なくとも亜紀自身は、妹に対して深いコンプレックスを抱いていたのでした。 疑問点5:祥太はどのようにして柴田家の一員となったのか? 引用: 治は万引きの他に、パチンコ屋での車上荒らしをなりわいとしていました。 数年前、治がいつものように車上荒らしをしていた頃、偶然にパチンコ屋の駐車場で直射日光の刺す中、置き去りにされてぐったりしていた祥太を見かけて、そのまま拾ってきてしまったのでした。 物語のラストで、祥太は警察の斡旋した児童養護施設へと入居しますが、その後収監された信江と面会した時 、信江から本当の父母を探す手がかりとして、彼が乗っていた車の車種とナンバーを告げられます。 その後、祥太が両親を探したのかどうかは、鑑賞者の想像に任せられています。 疑問点6:亡くなる前日、初枝は海辺で5人を見ながら何と言ったのか? 引用: 物語前半のクライマックスとなる、柴田家6人で海水浴へ行った日。 初江は、彼女を除く5人が海岸で仲良く波と戯れる様子を見て、聞こえない声で何かをつぶやいていましたが、何と言っていたのでしょうか。 これは、おそらく 「ありがとうございました」という感謝の言葉です。 (小説版でははっきりセリフとして言っている) つかの間の刹那的な一瞬のきらめきであることは自覚していたにせよ、自らが「選んだ」家族達に囲まれて、家族であることの幸せを人生の最後で噛みしめるように味わった初江が、思いがけず口にした言葉だったのでしょう。 疑問点7:治と信代は過去にどんな殺人を犯したのか? 信代(本名:田辺由布子)は、治(本名:榎勝太)と付き合い出す前に別の男性と結婚していました。 しかし、結婚後、この男性から日常的な家庭内暴力(DV)を受け、どうにもならないところまで精神的に追い詰められていたのです。 その時、ちょうど信代が経営していた店の常連だった治は、信代と謀って信代の夫を殺害し、その死体を埋めたのでした。 裁判では、治が「正当防衛」の結果、信代の夫の旨に包丁が刺さったという言い分が認められ、執行猶予が付いたのでした。 疑問点8:なぜ治と信代は初枝の死体を自宅の床下に埋めたのか? 引用: これにはいくつかの理由が考えられます。 まず、単純に葬式費用を拠出することが難しかったこと。 結果的に死んだ初江のへそくりが数十万円戸棚から出てきましたが、彼らは基本的にその日暮らし。 葬式すら出せる金はなかったはずです。 もう一つは、彼ら自身の身分がバレるわけには行かなかったからです。 彼らは初江の家に転がり込んでいただけで、戸籍上は家族でもなんでもありません。 あかの他人です。 彼らが家族であることの、法律的な裏付けはまるでないわけです。 となると、初江の葬式とともに、彼らの関係性が公の下にさらされるわけにはいきませんよね。 さらに、もう一つは劇中でも描かれましたが、初江の死亡届を出さない限り、約11万円の年金受給が続くわけです。 だから、実際は亡くなっていても、定期的に口座に入ってくるのであればこれを利用しない手はありません。 もちろん、不正受給にあたるのですが、彼らにとっては背に腹は代えられないところだったでしょう。 疑問点9:なぜ柴田家のメンバーは警察に捕まってしまったのか 引用: 万引きを見つかった祥太が、店員から逃げる途中、右足を捻挫・骨折して気を失い、病院に搬送されます。 そこで、警察が祥太から事情聴取を行う一方、りんは祥太のピンチを伝えに、家族の元へ戻りました。 病院へ駆けつけた治と信代は、動転して、つい名前と住所を警察に伝えてしまったのです。 不審に感じた警察は、柴田家の住所へ先回りし、治たちが逃げようとしているところを取り押さえた、というのが逮捕に至る簡単な経緯でした。 疑問点10:ラストシーン・結末の考察 引用: 警察で勾留され、取り調べを受けた結果、亜紀がこれまでの経緯をすべて話し、柴田家の秘密は警察に全て把握されてしまいます。 りんの誘拐、死んだ初江の年金不正受給、死体遺棄など主な罪状は、信代が一身に引き受け、亜紀と治は解放されました。 映画では描写がありませんが、亜紀は恐らく実家へ戻ったのでしょう。 治は、一人暮らしを始めていました。 対照的な結末を迎えたのは、二人の子供たちです。 祥太は児童保護施設に入居し、小学校に通い始めました。 友達も出来て、学校で正規の教育を受けた結果、普通の子供らしい生活を手に入れていました。 対照的に、りんの生活は悲惨でした。 母親からの虐待や育児放棄が復活し、団地の廊下で一人寂しく遊ぶ毎日でした。 エンディングでは保育園・幼稚園には通えず、未だに10までしか数えられない様子が映し出され、寂しげに団地の廊下から外をじっと見つめるシーンで終わりました。 初江の死後、「万引き家族」は解体され、一人ずつその後が丁寧にフォローされましたが、 「家族」の元へ帰れたことで、本来は幸せな生活を取り戻せるはずだったりんが、一番悲惨な状況へと落ちていったのです。 そんな彼女の 後日譚を敢えてラストに持ってきて、寂しげなりんの表情でラストを締めたところに、是枝監督の並々ならぬ問題意識の強さが感じられました。 ただのヒューマンドラマで感動して終わり、ではなくて、 鑑賞者一人ひとりの潜在意識下に「あなたならこの問題、どう考える?」と重い課題が突きつけられたような、そんなラストシーンでした。 6.まとめ 素晴らしい映画作品は、何度見返しても新たな発見や楽しみが見つかるものですが、本作もまさにこれにあてはまります。 家族となった6人のそれぞれの心情の動きにフォーカスして愉しむのもよし、映画に込められた社会批判、問題提起に思いを馳せるのもよし、様々な映画独自の映像表現やメタファー、脚本の構造をじっくり味わうもよし。 様々なレベルで何度も何度も楽しめる大傑作だと思います。 素晴らしい作品でした。 是非映画館で楽しんでみてくださいね! それではまた。 かるび 7.映画をより楽しむためのおすすめ関連映画・書籍など 映画パンフレットが本当に素晴らしい 本作をもっとより深く楽しみたい人には、まず映画パンフレットがおすすめ。 是枝監督へのロングインタビューを始め、 主要キャスト全員に1ページずつ割かれたインタビュー系コンテンツが非常に充実しています。 特に、内田樹氏のコラムは必読。 「万引き家族」の住居空間の「狭さ」に着目し、狭さ故に逆説的に生じた「豊かさ」の理由や、なぜ「万引き家族」が崩壊するに至ったのか、本質を突いた分析が本当に素晴らしかった。 調べてみたら、 Amazon等で買えるようになっているみたいなので、リンクを置いておきますね。 映画では「監督・脚本・編集」まで全部一人でやってしまうスーパーな才能を持っている是枝監督。 もちろんノベライズ版だって人に任せたりはしません(笑)自分でちゃんと書くのです! この小説版は、映画版とストーリーは全て同じですが、映画を気に入った人なら、読んで絶対損がない優れたノベライズです。 なぜなら、 一度映画を見ただけではわかりづらかったストーリーの全貌や、各シーンで是枝監督が表現したかった内容を、手に取るように把握することができるからです。 外注のノベライズ作家がやっつけ仕事で書いたものとはワケが違います!僕は映画の前後に2回読み返してしまいました! 自著エッセイ集「映画を撮りながら考えたこと」 映画だけでなく、文筆業の方でも、かなりの健筆な是枝監督。 ここ数作、新作映画が公開されるたびに何らかの関連書籍が出版されていますが。 このミシマ社のエッセイ集は本当にオススメ! 是枝監督の日常生活で考えたこと・感じたことから、社会時事問題への鋭い問題提起、さらには過去に製作した作品の振り返りなど、様々なテーマで書かれたエッセイは、一流文化人なんだなと唸らされます。 また、 是枝監督が何をどのように考えて、映画制作に取り組んできたのかがよくわかる重要資料でもあるのです。 分厚い本ですが、読みやすいので是枝作品をもっともっと深掘りしたい人は是非!! 是枝監督作品は、まとめてU-NEXTで! 本作を見て、もう少し是枝作品の過去作を見てみたいなと思った人は、1つずつDVDを買うよりも、まずは ビデオ・オンデマンドで時間とお金を節約してみてはいかがでしょうか。 是枝監督作品では、 が一番おすすめ。 過去作は全部で 12作品と、品揃えは配信サービス中No1です。 見放題以外の有料作品も、初月付与される600ポイントを使えば、2本まで無料で見れます。 さらに、 毎月自動的に1200ポイント付与されるため、月額料金も、実質上業界最安クラスの800円なのですよね。

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家族の在り方を問われた「万引き家族」

万引き 家族 終わり 方

この家族が、とても特殊な状況でできた家族だったことで、たくさんの反響を呼びました! 家族という設定ではありますが、 実は家族全員血縁関係はありません・・・。 いろんな理由で集まった、 疑似家族だったのです! そんな疑似家族を演じる柴田家ですが、物語序盤では5人家族として描かれていました。 ところが、ある日の冬空の下で、外に放り出されていた子供を発見することになります。 その子は「ゆり」という名前の女の子でした。 柴田家は一時的にゆりを保護することにします。 後日、親元へ返そうとゆりの家を訪ねようとしたのですが、家の中から嫌な話し声が聞こえてきます。 それは、ゆりがいなくなったことを喜ぶような話でした。 ゆりの体にある傷跡や親の言動から、ゆりは虐待されていると知ることになります。 なので 柴田家はゆりを親元に返さずに柴田家の家族として迎え入れることにしました。 ゆりが見つからないように名前を変えて 「りん」と名乗り、柴田家と共に過ごしていくのでした。 スポンサーリンク りんのラストシーンが切ない 上記の流れから、柴田家として生活していたりん。 しかし、柴田家はお世辞にもまともな家庭とは呼べず、 日雇いの父親は子供に万引きをさせる家族でした。 りんも教えられるがままに万引きに手を染めていくのですが、兄である祥太が徐々にそのことに違和感を覚えていきます。 そして、ある日祥太はりんが万引きした時に、 りんが捕まらないように自分が囮になることに。 その後、 祥太が捕まったことから家族もそれぞれ捕まることになります。 やってることは悪いながらも、 家族としては幸せに過ごしてた柴田家はバラバラになってしまいました。 そしてりんも、本当の親の元へ帰ることになります。 本当の親のもとで、変わらず虐待を受けるりん・・・。 そんなりんの悲しげな表情で本作は終了となっています。 スポンサーリンク りんの最後の行動の意味は? 悲しげであり、寂しげに外を見て何かを感じるりんの最後。 りんが何を思って遠くを眺めていたのか、恐らく映画を見た方の想像に任せる、と言えるような最後になっていますよね。 最初は治達がりんを見つけてくれましたよね。 その時のりんは特に反応しませんでしたが、同じ時を過ごしたことで「柴田家は家族」という認識があり、 その家族の誰かが来ることを期待して、外を見ていたのではないか? というのが一つの考察になるかなと。 ^^ 「また来てくれないかな」と期待して外を眺めたと言ったほうが近いかも知れませんね。 それまでのりんは家族に虐待され、ベランダに出されるという限られた状況の小さな世界で暮らしていました。 そんなりんは柴田家と出会ったことで外の世界を知ります。 序盤のりんと違い、外にはいろんな世界があると知ったりんが前向きな思いで、 いずれは自分の力でその世界へ行こうと思い外を見ていた。 明確な描写こそありませんが、変に答えがあるよりは、こういった感じのほうが可能性は高いかと思いました。 祥太のように前向きだと、上手くいけば親の虐待を大人に知らせ、最終的には施設に入ることができるかもしれませんが・・・。 それが難しそうな終わり方だったので、心に残る感じですね。 自分が大人になったら幸せな家族を作ることを夢見て、りんが前向きに成長してくれることを望むばかりです。

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