し じん そう の 殺人 明智 さん 最後 の 言葉。 屍人荘の殺人(しじんそうのさつじん)ネタバレありで映画と原作の違いを考察。明智ロスが最後まで残る|永遠の未完成これ完成である4

【屍人荘の殺人】は面白くない?最後明智は何て言った??これは浜辺美波のB級映画!(褒めてます)なんじゃこりゃ?!の展開から驚きのラストまでのネタバレ感想&レビュー

し じん そう の 殺人 明智 さん 最後 の 言葉

Contents• ネタバレ解説! バイオテロによって ゾンビが大量発生! 登場人物たちはペンション 「紫湛荘(しじんそう)」に立てこもってゾンビから身を守ろうとします。 ペンションからの脱出は不可能• 食料は残りわずか• ゾンビは少しずつバリケードを突破してくる ただでさえ絶望的な状況なのに、さらに 殺人事件まで発生! 周囲をぐるりとゾンビに囲まれている以上、 犯人は閉じ込められている人間のうちの誰かとしか考えられません。 はたして犯人は誰なのか?• ラストはゾンビに噛まれて全滅してしまうのか!? ネタバレの前に、まずは登場人物などの基本情報を簡単にまとめておきましょう。 「屍人荘の殺人」はゾンビによる「クローズド・サークル」という新しい切り口でも注目されました。 登場人物 ペンション「紫湛荘」に集まったのは、大きく分けて3つのグループ。 映研の合宿に参加する大学生たち• 映研に同行を依頼された探偵たち (大学生)• こうして、頼れる先輩を失った葉村は、もう一人の探偵『剣崎比留子』の助手を務めることになったのでした。 しかも、星川 (進藤の彼女)はこの時点で行方不明です。 不可解な3つの事件 「屍人荘の殺人」では 3つの殺人事件が発生します。 それぞれの事件の概要は、以下の通りです。 第一の事件 最初の被害者は映研部長の進藤。 紫湛荘の自室で遺体が発見されました。 紫湛荘の個室はホテルと同じオートロックタイプなので、 密室殺人です。 遺体はボロボロに噛み千切られていて、ゾンビに喰われたように見えます。 ただ、部屋の内外にはそれぞれ「いただきます」「ごちそうさま」という紙が差し込まれていました。 ゾンビには知能がないので、犯人は人間だということになります。 ・ 犯人がゾンビだとすると、密室内にメッセージが残されている点が説明できない。 ・ 犯人が人間だとすると、遺体の損傷状態に説明がつかない。 この矛盾が最後まで犯人の特定を妨げることになります。 また「人間とゾンビが手を組んだ説」も考えられません。 第二の事件 次の被害者はOBの立浪。 立浪の場合、不可解なのはその殺害方法です。 犯人は睡眠薬で立浪を眠らせ、エレベーターに乗せました。 エレベーターの行き先は ゾンビに占拠されている1階。 1階に送られた立浪はゾンビに噛まれて命を落とします。 犯人はエレベーターを2階に戻すと、 すでに絶命している立浪を改めて鈍器で殴り、頭部をぐちゃぐちゃに潰しました。 疑問点は2つ。 ・ なぜ犯人はこんな手間のかかる殺し方をしたのか? ・ なぜ1階から2階にエレベーターを戻したとき、一緒にゾンビが乗ってこなかったのか? ゾンビに噛ませるだけ、あるいは絶命させるだけならもっと安全で簡単な方法が考えられたはずです。 それなのに犯人はこの方法にこだわった理由とは? 第三の事件 最後の被害者はOBの七宮。 彼はずっと自室にこもっていたのですが、いつのまにか亡くなっていました。 犯行の機会があったとすれば一度だけ。 2階の剣崎を助けるため、真上にある七宮の部屋から梯子を下したときだけです。 しかし、このとき特に怪しい動きをしていた人間はいませんでした。 七宮は潔癖症で、飲料や食料は厳重に管理していたため、 飲食物に毒物を盛られたとは考えられません。 一方で、七宮の遺体には目立った外傷はなく、 何かしらの毒物が使われた可能性が高いと判断できます。 はたして七宮はどうやって殺されたのでしょうか? 被害者の共通点 今回の被害者 (進藤・立浪・七宮)には 「昨年の合宿にも参加していた」という共通点があります。 では、昨年の合宿では何が起こったのでしょうか? そもそもこの映研の合宿は、 部活のイベントというよりも、七宮たちOBのためのコンパという側面が強いものです。 そんなわけで昨年も七宮・立浪・出目の3人は女子部員を狙っていました。 その結果、がさつな出目は失敗したものの、金持ちのボンボンである七宮とイケメン紳士な立浪はそれぞれ彼女をゲット。 しかし、2人とも夏休みが終わる前には破局…というか 手酷く彼女を捨てています。 その後、 七宮がふった女子部員は自ら命を絶ち、立浪が捨てた女子部員は退学し実家へと戻りました。 これが昨年の合宿での事件です。 そんな事件があったにも関わらず再びコンパ合宿を命令する七宮たちOBも悪質ですが、女子部員が食い物になるとわかっていながら今年も合宿を企画した部長の進藤もちょっと信じられませんよね。 実は進藤の目的は七宮のコネによる就職だったのです。 うわぁ、最悪… 進藤・立浪・七宮は恨まれて当然のことをしていました。 犯人は「七宮や立浪が弄んだ女子部員の関係者」だと推測できますが、それが誰なのかはわかりません。 3つの事件の真相 物語終盤。 ゾンビはもう3階まで侵攻してきていて、残る空間は屋上のみ! そんな危機的状況の中、 剣崎による謎解きの時間が設けられることになりました。 「犯人はお前だ!」 ……の前には、必ず事件の謎解きがあるものです。 というわけで、まずは 3つの事件の真相から見ていきましょう! 第一の事件の真相 進藤の事件では、 「遺体はゾンビに噛まれているのに、人間が残したメッセージがある」 という矛盾が推理を妨げていました。 しかも、現場は密室。 バリケード・非常扉に加えてオートロック式の扉に守られている個室にゾンビが迷い込んでくることなんて考えられません。 しかし、どう考えても進藤はゾンビに噛まれているのです。 この矛盾を解決する糸口になったのは、進藤の部屋のベッドに残されていた痕跡。 『かけ布団の裏側にも血がついていた』 これは 手傷を負った人間がそこに寝ていたことを意味しています。 しかし、進藤はおろか他の生存者のなかにも当てはまる人物はいません。 さて、ここで思い出していただきたいのは、 実は1人だけ行方不明になっている人物がいるということです。 その人物は、 進藤の恋人である星川麗花。 ……もう、おわかりでしょうか。 この事件の全貌は次とおりです。 進藤に襲い掛かり、ボロボロの遺体をつくりあげた。 3.その後、ゾンビ星川はベランダから転落して地上へ。 4.その様子をたまたま目撃していた犯人が、部屋の内外にメッセージを残した。 では、なぜ犯人は部屋の内外にメッセージを残したのでしょうか? その理由はズバリ 『アリバイ工作』です。 部屋の内外に残されたメッセージによって、誰もが犯人は人間( =立浪・七宮の事件と同一犯)だと思い込んでしまいました。 そうして進藤殺害を一連の事件に組み込むことで、犯人は 「第一の事件を起こすのは不可能だった」というアリバイをつくりだしたのです。 アリバイを成立させるためには、進藤の遺体が密室内でゾンビ化する前に発見される必要がありました。 だから、犯人は 部屋の外にもメッセージを残していたんですね。 ちなみに部屋内にあった紙 (「いただきます」)は、全員で進藤の部屋に突入した際に犯人がこっそり置いたものでした。 これで密室のトリックは破られたというわけです。 第二の事件の真相 立浪事件の謎は2つ。 『なぜ1階から戻したエレベーターにゾンビが乗っていなかったのか?』 『わざわざ危険で時間のかかる方法を選んだ理由は?』 まずはエレベーターのトリックから説明しましょう。 実はネタがわかれば簡単な話で、 犯人は立浪と一緒に銅像をエレベーター内に乗せていたのです。 エレベーターには大人4人までという 重量制限があるので、ゾンビが乗った状態ではエレベーターは動かない、という仕組みですね。 こうして1階でゾンビに立浪を噛ませ、その遺体だけを2階に引き上げることに成功した犯人ですが、銅像にかかった血をふき取り元の位置に戻す…など後処理にも時間がかかったはずです。 では、なぜ犯人はわざわざ手間のかかる方法を選んだのでしょうか? その答えは 「立浪を2度殺害したかったから」 生きている立浪とゾンビ立浪、2回引導を渡すことに犯人は執着していました。 というのも、 実は立浪が捨てた女子部員は妊娠していたのです。 退学して実家に帰った女子部員はそのことを立浪に告げましたが、立浪からは金が送られてきただけ。 絶望した女子部員は自ら命を絶ってしまいました。 犯人が立浪に2度の終焉を与えたのは、母子それぞれの仇を取るためだったんですね。 第三の事件の真相 これまでの2人に比べると、七宮の事件はかなりあっさりです。 犯人が使ったのは ゾンビ化した人間の血。 それを 七宮の目薬にこっそりと入れておいたんです。 ゾンビ化現象はいわば 「感染症」ですから、たったそれだけで七宮はジ・エンド。 目薬に血を入れるだけだったから、他人の目がある中でも目立たずに行動できたというわけです。 犯人は意外すぎる人物! 犯人は、静原美冬! 静原美冬は立浪が捨てた女子部員のことを昔から姉のように慕っていました。 神紅大学に入学したこと• 映研に入部したこと• 誰も行きたがらない合宿に参加こと 静原美冬にとって、すべては 彼女の復讐を果たすための行動でした。 立浪だけでなく七宮も手にかけたのは、同罪だからですね。 昨年の合宿の事件を知っている高木は、同じ過ちを繰り返さないよう、合宿を中止させたかったんですね。 高木が合宿に参加したのは、後輩女子の静原をOBの魔の手から守るためでした。 ラストはどうなる? 謎解きの後、生き残った7人はゾンビに追い立てられて屋上へと避難します。 逃げる中で 静原美冬はゾンビに噛まれてしまい、最後は屋上から身を投げて自ら命を絶ちました。 その後、 政府による救助ヘリが到着し、一行は無事に「紫湛荘」から脱出! 最終的な生存者は葉村、剣崎、名張、高木、重元、菅野の6人でした。 なお、野外ロックフェスの参加者たちがまるまる変身したゾンビたちは政府活動により隔離・鎮圧に成功。 被害は一地方のみで収束し「日本中がゾンビに!」みたいな世紀末な結末は避けられました。 事件の裏には黒幕が…… 今回のバイオテロの首謀者は 浜野智教という人物なのですが、その背後には 「班目機関」という黒幕的組織が存在していました。 「班目機関」は国からも危険視されている秘密組織であり、とても個人が首を突っ込めるような案件ではありません。 ただし、警察の事件解決に幾度も協力している探偵少女・剣崎比留子であれば、なんとかその情報を辿ることは可能。 葉村譲と剣崎比留子。 たった二人だけのミステリ愛好会にして新生「神紅大学のホームズとワトソン」となった2人は、 諸悪の根源である「班目機関」を相手に戦いを挑んでいく…というところで小説「屍人荘の殺人」は終わり。 続きがとっても気になるラストでした。 というのも、 面白いと感じた点が多すぎてどれから伝えればいいのか迷ってしまうからです。 例えば、 剣崎比留子という探偵役の魅力。 比留子は令嬢で美少女で天才探偵という一見完璧な人物なのですが、物語が進む中でどんどん本当の姿が明らかになっていきます。 その真の姿とは 「普通の女の子」 実は比留子は「行く先々で事件に巻き込まれてしまう」という特異な体質の持ち主であり、明智や葉村と違って事件やミステリには一切興味がありません。 しかし、呪われた体質のせいで否応なく事件に巻き込まれてしまうため、自分の身を守るために探偵役を務めてきたのです。 本当の比留子はクールで天才的な探偵ではなく、犯人に怯えるただの少女。 そんな比留子が合宿に同行した目的は本来 「ワトソン役としての葉村が欲しかったから」でした。 それなのに すぐに葉村に恋してしまったものですから、さあ大変! 世間ずれしてない比留子の気持ちはバレバレで、その言動は男性的には無防備そのもの! 正直、物語中盤では 事件そっちのけで2人の微笑ましいやり取りを楽しんでいました(笑) 結局、とある個人的な事情から犯人である静原を見逃そうとしていた葉村は、自分を許せず比留子のワトソン役になることを断ってしまうのですが、それでも明智の仇を取るために比留子と手を組むことになったのですから、まだ脈はあるはず! この2人の関係がどうなっていくのか気になるので 「続編出てくれ!」と強く願っています。 ちなみに、私が大好きなセリフはラストで明智のゾンビに噛まれそうになった葉村を助けたときの比留子の一言。 「あげない。 それまでの小動物的なキャラから一転し、憎悪と冷酷さが浮き彫りになったラストの静原。 個人的なトラウマから女性問題で苦悩していたという事情を持つ、憎みきれない立浪。 ワトソン役 (語り部)でありながら個人的な信念のために犯人を見逃そうとしていた葉村。 もちろんミステリとしてのトリックも本格的かつ丁寧で好印象だったのですが、それ以上に登場人物たちが織り成す人間ドラマに心動かされました。 なので「探偵よりも早く謎を解きたい!」というガチ勢の方はもちろん、 「屍人荘の殺人」はライトな読者でも100%楽しめる作品だと思います。 「何か面白い本ないかな~」とお探しの方には、ぜひおススメしたい一冊ですね。 まとめ 今回は「屍人荘の殺人」のネタバレ解説をお届けしました! では、最後にまとめです。 最新の配信状況は各サイトにてご確認ください。 U-NEXTなら初回登録から31日間無料! もらえるポイントを使えば、最新作 (レンタル作品)でも 課金なしで見ることができます。

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屍人荘の殺人のストーリーや結末ネタバレ!犯人やゾンビは誰?明智の最後の言葉は?|マシュとマロのふたりごと

し じん そう の 殺人 明智 さん 最後 の 言葉

Contents• 明智君「うまくいかないものだな」じゃないですよ! 明智恭介といういかにもな、名前で、冒頭から多少無理がありながらもほほえましい推理合戦を主人公と繰り広げていた強烈なメガネキャラが、物語序盤でまさかの退場! しかも あっさりとゾンビに食われるという展開に、度肝を抜かれたかたも多かったのではないでしょうか。 明智と名の付く登場人物が これだけあっさり退場したことは 古今例がなかったのではないかと思います。 明智君いらない説 さらに、この小説のヒロインである剣崎比留子嬢は、なぜか主人公を理想のワトソンと見定めて、かれを自分の相棒にするべく、なぜか映画研究会の合宿に明智君とセットで参加させるという強引な手段でお近づきになるわけですが、この理由がまったくわからない。 主人公が自称探偵の明智君の相棒だからということが理由になっていますが、だからといって、それが 彼女の「殺人事件が寄ってくる体質」の良き理解者になる保証はどこにもありません。 なぜなら主人公はまだ明智君と殺人事件のような危ない橋を渡った経験があるわけではないから。 そんな危ない橋に黙ってついてきてくれる人物だという保証は全くありません。 明智君が主人公に執着する理由は、まだわかります。 冒頭で少なくないページ数を費やして語られたミステリー研究会とミステリー愛好会のいきさつを読めば、明智君が主人公を手放したくない理由はまだわかります。 そんな明智君をあっさりとゾンビに食わせておいて、剣崎女史と主人公の物語にする必然性は実は全然ないのです。 明智恭子でいいんじゃないか説 いっそのこと、 明智恭子さんにして、序盤の設定はそのままに、横から当て馬のごとくちゃちゃを入れてくる剣崎女史をゾンビに食わせる方がよほどしっくりくるのではないかと思うのです。 いや、いっそのこと剣崎女史はまったくいらず、明智恭子が最後に主人公に恋慕してくるモブキャラのゾンビを「これは私のワトソン」といって打ち倒せば、それでよかったのではないかと。 そもそも、剣崎女史がなぜ主人公にこれだけ気持ちを寄せるのか、その理由もわからない。 ほぼ初対面です。 これはもののけ姫で、なぜ、あの短期間でサンがアシタカに惚れたのかまったくわからない、いわゆるサンアシタカ問題と同じです。 まだ明智君が主人公に入れ込んでいる理由の方が読者は納得できます。 犯人の動機が浅い説 犯人はゾンビに囲まれながらも、目的を遂行するというシリアルキラーさんですが、その理由が昔からお世話になっていた先輩が男に弄ばれて自殺したから、という確かに重いんですが、まわりを ゾンビに囲まれながらも淡々と連続殺人を実行できるほどのトラウマとはとても思えない。 実は被害者に肉親でした、というくらいのフォローがあってもよかったのではないかと思われるくらい、動機が浅いのです。 これはシリアルキラーに動機はいらない問題と私は呼んでいますが 新本格は本当にトリック重視で動機がないがしろにされるので、逆にこれこそ、新本格の証ではないかと思うくらいです。 また主人公も叙述トリックで犯行に荷担しますが、その理由がまったくわからない。 震災のトラウマの軽重についてはもちろん論じることはできませんが、犯行を秘匿するほどのトラウマかといえば、被災者の方に逆に失礼ではないかと思うレベルです。 しかし、トリックはフェア説 とはいえ、この小説はれっきとした新本格です。 トリックはあくまでもフェアに、ゾンビや明智君の突然の退場などツッコミどころは満載ですが、トリック自体はじっかりと練られており、消去法でしっかりと読み込めば自力で犯人にたどり着くことができます(ただし、モブキャラをすごい勢いでゾンビが平らげてしまうので、容疑者が絞られまくっており、だいたいのあたりをつけるのはそれほど難しくないのですが…あと叙述トリックも彼の動機の浅さからちょっと説得力がない) そもそも新本格には動機もキャラも必要ないという説もあります。 私も綾辻先生の館シリーズの登場人物は名前も覚えていませんし、動機も忘れています。 しかし、時計館のトリックは本当に見事でした。 そういう意味ではこの屍人荘の殺人は見事な新本格です。 読んで損はありません。 明智君は、まあいらなかったと思いますけど…。 でも、これほど、読んで人に話したくなる小説はなかなかありません。 カテゴリー• 223• 33 アーカイブ アーカイブ.

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『屍人荘(しじんそう)の殺人』ネタバレ感想!斬新なクローズドサークルで起こる連続殺人事件!

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ネタバレあり。 この記事にはネタバレが含まれています。 ネタバレ記事によくある「改行連打」を、あまり好きになれない。 インターネットには、いわゆる「ネタバレ感想小説ブログ」「ネタバレ感想映画ブログ」と言うものが 星の数ほどある。 タイトルや記事冒頭に「ネタバレ」の一語を入れるのは良いとして、そのネタバレ警告文の直下から、 いきなりネタバレ全開で記事を書いて良いものかどうか、と言うのは記者それぞれ頭を悩ますところだと思う。 一部の「ネタバレ感想ブログ」では、以下のような感じで「ネタバレされたくない読者の視界」から、 その「ネタバレ文」を遠ざけている。 しかし私は「こういう表現は、ちょっと無粋だなぁ」と思ってしまう。 HTMLタグを駆使してレイアウトされていた、1990年代インターネット黎明期の悪しき「ホームページ」カルチャーを 若干、引きずっているようにも思える。 そこで私は考えた。 ネタバレの本題に入る前に、ちょっとした小話というか、本題とはあまり関係のない話を書けば良いのでは ないか、と。 メインディッシュの前に前菜を食べてもらう、という感じだ。 今回は、これくらい「前菜の章」を書けば良いだろう。 さて本題、「屍人荘の殺人」のネタバレ感想だ。 「屍人荘の殺人」にゾンビが出ると書くのは「ネタバレ」か? ネット界隈では、この小説の感想文に「ゾンビ」という一語を入れるのはネタバレか? 否か? という議論があるらしい。 しかし、ゾンビものに少しでも興味がある人ならタイトルの「屍人荘の殺人」でピンッと来るはずだ。 現に私も、この「屍人」というタイトルに惹かれて版を買った。 の商品紹介ページに書かれていた、 『2018年版』第1位 『』ミステリーベスト第1位 『2018・ベスト10』第1位 という煽り文句にも少しだけ興味を持ったという事もあるが……それはそれとして、ともかく「屍人荘〜」 というタイトルだ。 「死人」ではなく「屍人」、「死」ではなく「屍(しかばね)」という漢字をわざわざ当て字した場合、 それは「リビング・デッド」すなわち「生きている屍(しかばね=死体)」を表すというのは、 もはや日本のゾンビもの製作者と、その消費者であるゾンビ愛好家との間での共通認識になっていると思う。 だから、見る人が見れば、この「屍人荘の殺人」というタイトルは「ゾンビ荘の殺人」と読み替えられる。 直ぐにピンッと来る。 「ほほう……ゾンビものとの融合か」……と。 そもそも「ゾンビがペンションを取り囲む」というのは、本作においては開幕数十ページ で発生する「初期設定」であり「状況設定」だ。 バラされたからといって物語への興味が削がれるような物ではない。 それにしても……いや、困ったな……俺もゾンビ小説書いている最中なんだが…… 私も小説投稿サイト「」と「」に、ゾンビ小説を投稿している。 「リビング・デッド、リビング・リビング・リビング」という題だ。 最近、更新が滞っていて読者の皆さんには大変申し訳なく思っているのだが、興味がある人は読んでみてほしい。 さて、この拙作「リビング・デッド、リビング・リビング・リビング」では、人々がいわゆる「ゾンビ」 のようになってしまう理由として未知の細菌あるいはウィルスが原因という説明を登場人物にさせているのだが、 その描写が、偶然にもこの「屍人荘の殺人」とやや似てしまっていた。 まあ、しょせんゾンビなんてを親とする兄弟なんだから似ていて当たり前、むしろ似ていなかったら 不自然とさえ言えるのだが…… 登場人物の名前がそのまま背格好や性格を表すというちょっとした「遊び」も含めて、 この三冠を達成した「屍人荘の殺人」と拙作が、偶然とはいえ「小説としてのキャラが若干被ってしまった」 のはマズいだろうか……拙作の設定や描写を変更すべきだろうか……うーん、悩む。 まずは何より、とにかく文体が読みやすい。 この小説の最大の美点は、実はこれに尽きると思う。 何しろスルスルと頭の中に入っていくる。 そう書くと、一部のやウェブ小説のようなスカスカの文体を想像する人も居ると思うが、 そうではない。 ちゃんとした……いや、それどころか日本語として端正とさえ言える文章であり、同時に読みやすく、どんどんページを めくって行ける。 探偵役の少女がらみの描写は、ちょっと子供っぽい。 いわゆる「萌え」を意識した言動が目立つ。 ワトソン役である主人公の語り口も、この探偵役の少女が絡むと、途端に「天然ボケ少女に対して心の中でツッコミを入れる主人公」 といった感じの、っぽい、甘ったるいモノローグになってしまっている。 ひょっとしたら、こういう「的」「萌え」要素はとしては正しいのかもしれないが、 正直、私は感心しなかった。 「萌え」要素や「ラ」要素それ自体を私は一概には否定しない。 場合によっては、ちょっとした アクセントとして、物語に花を添えると思う。 しかし、事この「屍人荘の殺人」に関して言えば、ホラー映画に笑えないラ・シーンが挿入されているようで、 興ざめだった。 そもそもミステリーというのは、その始まりて「」だった。 の主人公「名探偵」が、「過剰なまでのキャラ属性」を持った変人キャラクターとして登場するというのは、 実は19世紀からの伝統だ。 だから「屍人荘の殺人」の探偵がのキャラっぽくても、その探偵と主人公がラっぽいやりとり をしたとしても、それは仕方のない事なのかもしない。 私は筋金入りの「マニア」という訳では全くないが、それでも「本好き少年」だったオッサンの1人として、 10代の頃は、エルキュール・ポワロ、ブラウン神父あたりを良く読んだ。 今でもブラウン神父は時々読み返す。 20世紀初頭のイギリス上流階級あるいはアッパーミドル階級特有の何とも言えないオシャレ感と ブラウン神父の飄々としたキャラクターが合わさって、独特の雰囲気を醸している所が好きだ。 余談だが、少年時代の私が外国の小説をどう読んでいたかというと、一種の「ファンタジー」として 読んでいたと思う。 なら19世紀霧の都ロンドン、ブラウン神父なら20世紀初頭のイギリス、 もう少し成長してから読み始めたハードボイルドなら、20世紀半ばのアメリカ…… もちろん書かれた当時の読者にとっては同時代の物語だ。 しかし私にとっては、行ったこともない時代、行ったこともない場所で繰り広げられる冒険活劇だった。 エキゾチックな「ファンタジー」だった。 あるいは「異国の時代劇」だった。 物語の主人公である探偵たちを、私は、ある種ファンタジーの住人として見ていたように思う。 しかし多感な少年時代に楽しんだの物語も、大人になり多少は分別がつくようになってから読み直すと、 正直、主人公ホームズの「あざといまでのキャラクター造形」が鼻につくばかりだった。 キザで、常に他人を小バカにして、超人的な推理力があり、格闘術を会得していて滅法つよい。 や、いわゆる「なろう小説」の主人公も真っ青な、まさに「俺TUEEE」(俺、強ぇぇぇ)と揶揄される ようなキャラクター設定だ。 そして気づいた。 これは当時の人たちにとってのなんだ、と。 19世紀イギリスにおいて急速に勃興しつつあった「大衆消費社会」の中で、が 消費者たちから絶大な支持を得ていた。 現代日本において「ソード・アート・オンライン」の主人公が大衆文化の消費者=オタクたちに支持されている。 この二つは、別の時代、別の国で起こった同じ現象だ。 つまり、初期のは19世紀イギリスの大衆に向けて書かれた「」だった、という訳だ。 「ー」の意味 「本格」とは、「本来の格式(しきたり、礼儀作法)にのっとった」という意味の言葉だ。 以前の日本で活躍していた探偵小説作家たちが、自分たちの小説を「本格探偵小説」と呼んだのが 「ー」という呼び名の始まりだ。 欧米の大衆エンターテイメント小説を咀嚼しきれいていなかった戦前の日本では、 ホラーもSFもみんな一緒くたに「探偵小説」というレッテルが貼られていた。 当時の探偵小説の作家たちは、自分たちが書いている(本来の意味での)探偵小説と、 ホラーやSFなどの周辺ジャンルとを区別する必要があった。 そこで生み出されたのが「本格探偵小説」という言葉だ。 だから、ホラーやSFなどのジャンル分けが一般に認知されている現代日本においては、もはや必要のない言葉のはずだ。 にも関わらず、今だに「ー」という言葉は使われ続けている。 どういう意味として使われているかといえば……やエルキュール・ポワロが 活躍していた初期の伝統を守っている、という意味だ。 ハードボイルド、サスペンス、政治スリラー、小説など、比較的後発でありながら今や主流になってしまった スタイルに対抗して、「古典の伝統的スタイルを守っていきましょう」という意味合いが強い。 早い話「19世紀末〜20世紀初頭に欧米の大衆に向けて書かれた(のようなもの)」 だった初期の探偵小説スタイルを復古した小説群のことだ。 リアリティー・レベルという言葉がある。 映画や小説などでは「リアリティー・レベルを揃える」という言葉をよく使う。 人間は、どんなに荒唐無稽な話でも、語り手が前もって「これは荒唐無稽な話ですよ」と言ってくれさえすれば、 それを受け入れる。 「ここまでなら騙されてやろう」と思う。 スーが空を飛ぼうが機関車をなぎ倒そうが「これは、そういうお話=フィクションです」と前もって 言ってくれれば、それを受け入れる。 これを「リアリティーのレベルが揃っている」という。 しかし、例えば「これは現実にあった事件です」という触れ込みでアメリカととの息詰まる 諜報戦を描いた映画に……いきなり途中からが現れて、 機関銃を持った敵を素手でバッタバッタと薙ぎ倒し始めたら、どうだろうか。 観客は困惑し、 「だったら最初から主演の痛快娯楽作品って言ってくれよ。 そしたら、 こっちもそのつもりで観たのに……」 と、思うのではないだろうか。 歌舞伎の世界では「黒子は見えない」ことにするのが観客のマナーだという。 物語の導入部で、作者がちゃんと「今回はこのリアリティー・レベル行きます」と宣言し、 読者がそれを共有してくれれば……そして作者が、最初に約束したリアリテー・レベルを最後まで守ってくれさえすれば、 リアリティー・レベルの高低それ自体は問題ではないということだ。 逆に、そこの部分の共有ができなければ、読者は「おいおい、そういう話だったのかよ……」と困惑してしまうだろう。 ーは「一種のファンタジー」だ。 人間は誰しも平凡な日常から逃れたいと思っている。 宇宙を飛び回り、異星人をレーザー光線で倒したいと思っている。 へ行って、悪い魔法使いを伝説の剣で斬り倒したりしたいと思っている。 だから、ファンタジーやSFを読む。 しかし、や別の銀河のお話は、現実社会のルールや科学の法則に縛られず自由に想像力を発揮できる反面、 あまりに突飛すぎて「肌で感じるリアリティー」に乏しい。 どこまで行ってもで他人事だ。 だから我々は、さらに、こう思う。 「今、僕の住んでいるこの町に、僕らが知っている常識やルールに矛盾しない形で、リアルに感じられる『』 が出現してくれないかな」と。 虫の良い話だが、その虫の良い話を書いちゃおうというのが「ー」の本質だと思う。 悪い魔法使い(=犯人)が、魔法(=トリック)を使ってこの世界を瘴気漂う『』に変えてしまう。 そのに迷い込んだ主人公たちは、逃げ惑い、元の世界に帰ろうと必死に足掻く。 しかし、1人また1人と悪い魔法使いの餌食になって殺される。 そこに颯爽と1人の英雄(=名探偵)が現れ、伝説の剣(=超人的な推理力)で悪い魔法使いを倒す(=お前が犯人だ!)• 英雄によって瘴気は払われ、世界は再び秩序を取り戻す。 のような「ファンタジー」のプロットを、に行かずに、この現実の世界で、現実世界のルールに矛盾しないように 書く。 それがーというジャンルの本質だ。 リアリティーレベルの高い「現代日本の出来事(事件)」と、リアリティーレベルの低い「ファンタジー」を 融合させようという試みだ。 しかし、それは、21世紀の現代においては、恐ろしく困難な試みだ。 19世紀のロンドンや20世紀初頭のアメリカ、あるいは直後くらいまでの日本なら、 まだ社会も科学も充分に発達していなかったから、現実の社会にも「空想」の入り込む余地があった。 「現実」と「ファンタジー」の両立は可能だった。 しかし、21世紀は髪の毛一本から犯人のDNAを割り出せる時代であり、1丁あれば世界中の あらゆる場所のを閲覧できる時代だ。 最初から最後までリアリティーのレベルを揃え、失笑を買わずに「名探偵」を活躍させることは相当難しい のではないだろうか。 一つの方法は、初期設定時に意図的に物語のリアリティー・レベルを下げ、あるいは後退させて 「今回は、この(低めの)レベルで行きますから。 対応よろしくお願いします」と宣言してしまうことだろう。 例えば、江戸時代を舞台にしたミステリーにしたり、明治時代の話にしたり、大正、昭和初期、あるいは 直後の混乱期の話にすれば、それだけで社会レベルおよび科学レベルを下げられる。 現実社会とファンタジーが共存する余地が増える。 この「屍人荘の殺人」には、大前提となる「ゾンビが跋扈する世界」という「大きな嘘」の他に、 しれっ、と本作のリアリティー・レベルを左右するセリフが挿入されていた。 物語の途中で、探偵役の美少女が「私、事件を引き寄せる体質なの」と主人公に言い、主人公も特に拘(こだわ)らずに それを受け入れるくだりだ。 もし、ーという物をあくまでリアリズムの小説と捉えるなら、これは看過できないオカルトめいたセリフだ。 これは、 「一部の設定のリアリティー・レベルを下げます。 そこにツッコミを入れないでください」 という、作者から読者への宣言だ。 暗に「黒子は見なかったことにしてください」と言っている訳だ。 その目的は、おそらく「ダイハード問題」の回避だ。 つまり「ダイハード・シリーズの世界では、なぜ毎回毎回ばかりが大変な目にあうのか」という、 シリーズ物のリアリティー・レベルに必ず付いて回る問題に対して、 あらかじめ「読者の皆さん、その部分のリアリティー・レベルは下げておいてください」と宣言しているわけだ。 ジャンルもののこれから ディーン・R・クーンツというホラー作家が居る……少なくとも、かつては居た。 1990年代に日本で・ブームが起きた時、と並び称され、当時の日本で 次々に翻訳出版されていた。 結局、ブームが終わってみれば、アメリカの界で、継続的に翻訳出版されているのはキング唯1人で、 他の人たちは、生きているのか死んでいるのかも(少なくとも日本人の私にとっては)分からない状態になって しまっているが…… そのクーンツの著書に「ベストセラー小説の書き方」という1980年代に書かれた本がある。 うろ覚えだが、昔、その本を読んだとき、その中に以下のような一節があって驚いた。 「もはやSF、ミステリー、ホラーなどのは儲からない。 を書くべきではない。 私(クーンツ)もも、は書いていない」 なんと、日本で「作家」として紹介されていたクーンツもキングも、(クーンツ自身の定義に従えば) ホラー作家ではないというのだ。 クーンツの「ベストセラー小説の書き方」を読んで随分経つが、今なら、私にも彼の言いたかった事が分かる。 「私(クーンツ)やキングが書いているのは、コアなホラー小説ではない。 ホラー風味の総合エンターテイメント小説だ」 と言いたかったのだろう。 考えてみれば、人はSFだからSFを読むわけでもないし、ホラーだからホラーを観るわけでも無い。 大事なのは、その小説が面白いかどうか、感動できるかどうかだ。 の書いた小説が、SFなのかホラーなのかなのかなどという事は、 読者にとっては究極的にはどうでも良いことだ。 だとすれば、これからますますジャンルの境界は溶けて曖昧になり、全てのは「総合エンターテイメント小説」 を目指すだろう。 もちろん人は、日によって「今日は何となくラーメンが食べたい」「今日は寿司が食べたい」と思うように、 「何となく今日はSFが読みたい気分」「今日はーが読みたい気分」と思って書店の棚の間をさ迷うこともある。 また、書店によっては「SFコーナー」「ホラーコーナー」という棚わりにするかもしれないし、アマゾンのカテゴリーから、 「ミステリー」とか「SF」とかの名称が消えることも無いだろう。 しかし、それは便宜的なものに過ぎない。 客の利便性を考えた「とりあえずのジャンル分け」に過ぎない。 ミステリーの棚に並んでいるのが「本格的なミステリー」なのか「ミステリー仕立てのヒューマン・ドラマ」 なのかは、読者にとってはどうでも良いことだ。 大事なのは、面白いのか、感動できるのか、だ。 「本格的なSF」「本格的なホラー」そして「本格的なミステリー」は衰退して行き、最終的には一部の好事家の ためのものになるだろう。 そしてジャンル同士の境界が無くなり「総合エンターテイメント小説」という大きな枠組みの中で 「SF風味」「ホラー風味」「ミステリー風味」および、それらのハイブリッドという形に変容していくだろう。 ゾンビ小説でもあり同時にでもある「屍人荘の殺人」が今年の「このミステリーがすごい」 1位に選ばれたということは、「このミステリーがすごい」というムックの内容も既に変容し始めているということだ。 辞書的な意味はともかく、このタイトルの実質的な意味は「この『総合エンターテイメント小説』がすごい」だ。 この傾向は今後ますます加速するだろう。 その波は、にもいずれ押し寄せる。 コアなは減り、逆に他のジャンルが的要素を取り入れる形で、 「的要素を持った総合エンターテイメント小説」が増えていく。 おそらく、業界最大手レーベル「」は、10年後には、• 規模を縮小してコアな・ファン向けの「本格」文庫になっているか• 要素も多少ある、総合エンターテインメント小説レーベルに生まれ変わっているか の、どちらかになっているはずだ。 最後に「屍人荘の殺人」の感想まとめ 「屍人荘の殺人」の感想にかこつけて、の今後に関する私の意見を披露してしまった。 最後に、記事のタイトル通り「屍人荘の殺人」の感想を書く。 文章が素晴らしい。 前述した通り、頭の中にスルスルと入っていく読みやすい文章であり、また同時に、端正な文章だ。 ゾンビ現象が発生してから籠城するまでの手際が良い。 名探偵の萌えキャラ設定と、主人公とのラ描写は、ちょっと困る。 少年時代にはカッコ良いと思っていたを大人になって読み返して「あざとい」 と感じてしまった私としては、本作の探偵少女の萌えキャラ設定と、彼女と主人公とのラ的会話 (および主人公のラ的モノローグ)には、ちょっと辟易してしまった。 19世紀の「」の末裔としては、それが正解だったのかもしれないが…… 「」の部分には全く興味が持てなかった。 この小説を一言で表すとすれば「ゾンビ小説+(本格)のハイブリッド」という事になるだろう。 ゾンビ小説としての部分に関しては、手際よくスピーディーに展開していて素晴らしいと思った。 しかし「」の部分には全く興味が持てなかった。 そもそも私は、「犯人VS探偵」あるいは「作者VS読者」の知的ゲームとしてのに何の興味もない。 どれだけ精密なトリックを披露してもらったところで「ああ、そうですか」としか言いようが無い。 本作の3つの殺人の中で、第2の殺人における「エレベーターの重量オーバーを利用したゾンビの排除」 には少しだけ感心したが、それだけだ。 前述した通り、における「犯人」と「探偵」の機能は、「読者への挑戦」に象徴されるような、 なぞなぞ知的ゲームの提供ではない。 「犯人」の物語上の機能は、悪い魔法使いとして世界に邪悪な魔法をかけ、登場人物たちを異次元空間に閉じ込める事であり、 「探偵」の物語上の機能は、正義の騎士として「天才的な推理力」という伝家の宝刀で邪悪な異空間を切り裂き、 犯人によって裏返されてしまった世界の秩序を再度裏返して元に戻し、囚われていた人々を解放する事だ。 別の言い方をすれば、ある共同体の中で徐々に蓄積されていた「穢れ」がついに限界点に達した時、 「連続殺人事件」という名の「祭り」が始まるというのがの本質だ。 そして、祭りの陰の主役である鬼(=犯人)は、祭りがクライマックスに達した直後、共同体の外からやって来た 異人(まれびと)で神の使いでもある英雄(=名探偵)によって裁きを受け、鬼の面を剥がされ素顔を晒し、 最後に自らが生贄となって祭りを終わらせ、共同体に再び秩序と安定が戻ってくる……というのがの本質だ。 ところが本作において人々を「」に閉じ込めたのは「ゾンビ」であり、犯人は孤立した 空間の中で淡々と3つの殺人を犯し、探偵役の少女は、それを淡々と暴いただけだ。 共同体(=大学映画研究会)に蓄積されていた「穢れ」は、その内容の深刻さはともかく、描写は淡白で 事務的だ。 だから読者は、犯人に対してプラス方向にもマイナス方向にも感情移入できず、 「鬼」としての迫力を感じることができない。 この犯人には、一時的に世界を変質させ、人々を悪しき空間の虜にするだけの「呪力」がない。 怨念が足りない。 いや……あるのかもしれないが、この小説からは伝わってこない。 犯人の代わりに世界を異空間にしているのは、周囲をうろつくゾンビどもだ。 最後に犯人が自決しても、別にそれが「世界の秩序の回復」を意味するわけでもない。 だからが無い。 そもそもこの犯人は、世界の秩序を変容させこの世ならぬ異空間を作り上げるだけの強い怨念や執念を最初から持っていない。 ただ、ゾンビが作り上げてくれた異空間に乗っかり、それを利用しただけだ。 単に、救助のヘリが来ました、僕たちは助かりました、というだけのエンディングだ。 世界はゾンビによって変容し、のヘリによって回復した……って、それじゃあ犯人も探偵も、犯人が犯した3つ(実際は2つ)の殺人も、 物語への貢献度があまりに低すぎる。 「物理的な隔離」は、「異空間の完成」ではない。 山荘に泊まったら嵐が来て閉じ込められたり、絶海の孤島に行ったら台風が来て帰れなくなったり、あるいはアルプスの山の中で豪華列車が立ち往生したり…… そういう、時代のにしばしば見られる「外の世界からの隔離」は、あくまで舞台設定であり初期設定だ。 せいぜい下地作り……やっと基礎工事が終わった程度のものだ。 ゾンビに基礎工事をさせて、そこで満足してはいけない。 その基礎工事の上に、どれほど強い呪いの力で、どれほど禍々しい異空間を建築してみせるか……(妙な言い方だが)それこそが、犯人の「腕の見せ所」というものだろう。 最後に一言。 なんだかんだ言って、一気読みしたのは事実です。 AobadaiAkira.

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