カフェー 建築。 吉原のカフェー建築 (東京都台東区)

カフェー (風俗営業)

カフェー 建築

遊郭や赤線、カフェー建築に決まりごとはあるのでしょうか。 31歳、主婦ですが古い建物に興味があります。 かつての繁栄が読み取れる貴重な文化財だと思います。 今はさびれてしまっていますがそのギャップに哀愁を感じてしまうんですよね。 近所には元遊郭や旧赤線、カフェーとして使われていた建物が現存しています。 どの建物も玄関の門柱にはアールがついていてモザイクタイルが張られています。 2階には格子窓があり、華やかな装飾も施されていてとても興味深いです。 その付近には同じような造りの建物が何軒かあるのですが、なぜタイル張りなのでしょうか。 それがお店の印だったから? また新築でそのような意匠を取り入れた家を建てているお宅はあるのでしょうか。 やはりそんな家を建てたら変な顔をされるでしょうか。 質問ばかりですみません。 建築カテよりこちらかなと思いまして。 ご回答よろしくお願いいたします。 「玉ノ井」の辺りに現存する、戦前からの売春宿の建物のことですよね。 こういった建物が 『どの建物も玄関の門柱にはアールがついていてモザイクタイルが張られています。 2階には格子窓があり、華やかな装飾も施されていてとても興味深いです』 というのは、 「当時、少ないコストでモダンで華やかな雰囲気を演出するのに最適だったから」 だと思われます。 こういった建物は、構造としては普通の木造建築です。 外壁に漆喰を塗ってタイルを貼っている『だけ』です。 木造建築を建てるのは街の大工でできますし、漆喰を塗ってタイルを貼るのは、同じく街の左官屋で出来ます。 デザインが統一されている 悪く言えば画一的 なのは、当時、ある一定の「ひながた」があって、その「ひながた」に沿って作ったからでしょう。 玉ノ井の売春宿 私娼窟 は、戦災を受けず、戦後に再開発される度合いも少なく、比較的残っていますが、戦前の東京の繁華街には「カフェー」と称する今の「スナック」のような店がたくさんあったはずです。 恐らく、そういった店は、質問者さんが指摘されたような「どの建物も玄関の門柱にはアールがついていてモザイクタイルが張られています。 2階には格子窓があり、華やかな装飾も施されていてとても興味深いです」といった様式で建てられていたのではないかと思います。 つまり、当時の最新流行ということです。 繁華街にあったそうした店は、少なからぬ数が戦災で焼失し、戦後まで残ったとしても、東京は建物の入れ替わりが激しい 土地が貴重なので、古い建物はどんどん壊されて新しい建物が建っていく 場所ですので、ほぼ全てが消えてしまい、玉ノ井のような限られた場所にだけ残っているものと思われます。 戦災を受けなかった京都にも、質問者さんが指摘されるような建築が残っているようです。 『また新築でそのような意匠を取り入れた家を建てているお宅はあるのでしょうか』 建売りやプレハブでない「注文建築」で、アールヌーボーのデザインをきちんと理解している設計士を選んで「アールヌーボーの様式で設計してくれ」と頼めば、問題なく建てられるでしょう。 恐らく、戦前に街の大工や左官屋が「見よう見まね」で建てたものより、ずっと完成度の高いものが出来るでしょう。 ただ、そのようなデザインですと、周りの家から浮きまくりますから、そういう家を建てるのはかなり度胸が要るでしょうね。 タイル張り玄関は、戦後の経済成長期に流行った建築法です。 他の時代でも流行った頃があったかもしれませんが、とりあえず経済成長期の流行はとても顕著なものでした。 小洒落た雰囲気を出したい人達がこぞってタイル張りを取り入れ、とりわけ「ガラスタイル」がセレブの象徴とされました。 彼らは、本当に「猫も杓子も」タイル張りに飛びつきました。 タイル張りは現場での組み立てが必要なため、ツーバイフォー工法・ラーメン工法の家では別料金になります).

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吉原のカフェー建築 (東京都台東区)

カフェー 建築

アーカイブ• 35 メタ情報• 私は戦後すぐに歓楽街で流行したカフェー建築が大好きで関東エリアのほとんどのカフェー建築を見てきました。 70年以上前の建築なのでほとんど残っておらず、また色街に集中して建築されたため、ほとんど情報もありません。 ところが写真家・飯田鉄先生の街歩き隊と北千住を撮影していたところ、素晴らしいカフェー建築を発見してしまい、声が震えるほどの感動を覚えました。 カフェー建築の写真は 木村聡著 「赤線跡を歩く」 にたくさんありますので興味ある方はご覧になるといいでしょう。 千住は江戸時代から日光街道の宿場町として発達し、それに付随して千住遊郭がうまれ、戦後は千住カフェー街が売防法が施行される昭和33年まで存在していました。 この当時の様子は五木寛之の「風に吹かれて」の中で生き生きと語られています。 千住カフェー街は日光街道の西側にあたる千住柳町にありました。 2012年ごろ、私はフィールドワークを実施し、当時の建築物はほとんど残っていないことを確認していました。 ところが... 日光街道・千住寿町交差点から南東方向の路地を入ったら.... ややっ? 丸窓...カフェー建築の特徴のひとつです。 そしてさらに近づくと... 豆タイルの円柱とアールのついた庇...間違いないっ!ビンゴだ! 美しい...うっとり(このあたりで血圧あがりまくり!) 戸袋もおしゃれそうだけど、柳で見えない... そして玄関も昭和レトロでオサレだっ! さらにぶっとんだのは、隣の物件.... 今度はピンクだっつ! もう、鼻血がでそうっ! このピンクの円柱、だきしめたいっ! でも、なんだかおかしい。 カフェー建築があったのは、日光街道の西側の千住柳町で、ここは千住3丁目です。 完成したのが2014年5月だそうです。 わかってしまえば、なーんだ、ということなのですが、この完成度、美しさ、カフェー建築への並々ならぬ愛情が感じられます。 本当にいいものを見せてもらいました。 感謝の気持ちでいっぱいになりました。 , , , , ,.

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遊郭や赤線、カフェー建築に決まりごとはあるのでしょうか。

カフェー 建築

日本最大級の遊郭として江戸時代から昭和33(1958)年の売防法施行まで340年間の歴史を歩んできた吉原遊郭だが、吉原大火、関東大震災、東京大空襲と幾度も災難に見舞われてきた故に残念ながらこの土地に伝統的な遊郭建築は一切残っていない。 しかし、吉原には戦後に赤線地帯として勃興した時期に建設されたカフェー建築がいくつか残っている。 その中で最も密集しているのが江戸町二丁目通り裏手の「伏見通り」に面する一帯。 2016年1月現在、なんと5軒ものカフェー建築が現存している。 伏見通りを南側からアプローチしていくとまず最初に右手に現れるのがこちらのファサードが波打っちゃってる白いアパート。 建物名称は不明だが現役当時の屋号は「黒潮」だったと聞いております。 建物両側に玄関が付いていて一階と二階で一部屋ずつに分かれているんでしょうか。 その間に公明党の竹谷とし子議員のポスターがベターっと貼られているのがアクセントです。 最近東京の公明党ポスターはこの人ばかりですね。 次いで程無く左手に現れますは「大和田荘」という同じく白いアパート。 これも見るからにカフェー建築の特徴丸出しで狭い間口に玄関ドアが三つも取り付いている。 現役当時の屋号は「親切」。 どこがどう親切だったのかは知りませんけど、事情が分かるおじいちゃんに聞いてみてくださいね。 真正面から大和田荘を見る。 そう言えば一番左端の玄関に「貸室有」の張り紙がしてあったのだが、未だに現役賃貸物件として稼働中なのだから凄い。 売防法施行の昭和33(1958)年以前のものだと築60年近いには違いない。 お安く借りられますかね。 さらに江戸町二丁目通りの抜け道があるT字路付近にそびえる茶色い外観の「マスミ荘」。 これも転業アパートである。 隣の「皮漉所」の看板が浅草エリアならではの地場産業な訳ですが、これはマスミ荘ではなく隣の建物ですね。 茶色いペンキ一色に塗りたくられて多少見えづらくなってはいるが、二階部分のファサード上部にくっきり「マスミ」の屋号が見える。 現役当時の屋号も同じく「マスミ」。 ちなみにこの「マスミ」の元経営者は売防法施行後から現在まで土手通り沿い(いろは会商店街を出て矢吹丈の人形前の横断歩道を渡ったところ)で寿司屋「満す美寿司」を経営している。 店内には、遊郭建築の大工に内装をこしらえてもらったらしくカウンターに豆タイルを使ってたり、さすが元カフェー経営者の寿司屋だけの事はある。 Googleマップで「サークル甲冑娘」と出てくる謎のビルの正面から伸びる伏見通りと江戸町二丁目通りの間の狭い路地はかなりハイグレードな煤けっぷりで素晴らしい。 とっくに廃業したまんまの「喫茶24リゲイン」。 玄関横に置かれた立て看板から見ても、これはゲーム喫茶の類だったようです。 24時間戦えないしそもそもネタが古い。 そして「吉原のカフェー建築」で恐らく最も知名度が高いと思われるこちらの角にアールのついたモダンな建物。 みんな大好き「岩渕荘」様の登場でございます。 まあここも例に漏れず転業アパートの一つだ。 現役当時の屋号は「プリンセス」。 「岩渕荘」のこのアール部分、赤線跡探索マニアには鉄板過ぎてイカニモ裏観光スポットと化している感ありますけどね、人の住んでるアパートですんでね、建物の前でキャッキャウフフしながら記念撮影した後にinstagramなんぞに写真をアップロードしてないで黙って眺めて黙って帰ればいいんですよ。 さらに岩渕荘の横っ面もこのナイスデザインっぷりが良い!赤線愛好家系サブカル女子が住みたいカフェー建築ナンバーワンといった所でしょうか。 多分風呂なしトイレ共用だと思いますけどね。 大丈夫ですか? ちなみに岩渕荘の向かいに転業アパートの「金よし」があったが、2006年に取り壊されており現在は駐車場に変わっている。 今なお赤線愛好家のバイブルである木村聡氏の「赤線跡を歩く」に往時の姿を収めた写真が掲載されている。 仲之町通りに一番近い側に最後の5軒目「モリヤ荘」がそびえている。 現役当時の屋号は「モリヤ」。 日本人の「モリヤ」さんから取ったのか外国人の「モーリヤ」さんから取ったのか由来は今ひとつ分かりませんけども。 「モリヤ荘」の特徴と言えば、この窓枠の格子に赤い郵便ポストが各世帯分括りつけられている点である。 ここも岩渕荘同様に部屋以外は全て共用部分になった「昭和30年代のオールドファッションスタイル」(by 駒込・江戸駒旅館)なアパートメントなのでしょう。 あともう一軒吉原のカフェー建築で有名な「ハート形の建物」云々言われる物件は、この伏見通り沿いではなく角町通りと京町二丁目通りの間の路地から裏手に入ったところにそびえている。 よく見るとこの建物最大の特徴である壁の凹凸の意匠、「ハート型」と断定できる形でもなく「ハート型みたいな」と形容した方が近い。 ピンク色なので余計そう思うのかも知れないけど。 エリアから記事を探す• 811• 216• 154• 101•

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