フォーク ダンス de 成子 坂 死亡。 桶田敬太郎さん死去で再注目 「フォークダンスDE成子坂」お笑い評論家が分析

悲劇のコンビ、フォークダンスDE成子坂 運命を狂わせた「ボキャ天」 ポスト・ダウンタウンを阻んだもの(withnews)

フォーク ダンス de 成子 坂 死亡

フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎の死に 有吉弘行がコメント 元「フォークダンスDE成子坂」の桶田敬太郎(おけだ・けいたろう)さんが亡くなられたのは、昨年2019年11月23日のことだといいます。 アイドルグループ「欅坂46」のニュースに言及した直後に「成子坂」についての話題となり、有吉が「しかしフォークダンスDE成子坂って、悲しいけど、お2人ともお亡くなりになっちゃいましたね」とポツリ。 「早いよね。 2人とも50になる前に亡くなっちゃったってことでしょ?ちょっとびっくりしたよね」と話すと、アシスタントの「デンジャラス」安田和博(52)も「そうですね…」と神妙なトーンで返答していた。 引用:スポニチアネックス 桶田さんが取締役を務めていた芸能プロダクション「MR」は、「桶田敬太郎は、広く創作活動に勤しんで参りましたが、昨年11月23日に病により永眠いたしました」と発表しています。 病気ということですが桶田敬太郎さんの具体的な病名は不明です。 お笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂」は「ボキャブラ天国」で活躍しましたが、ボキャブラが終了した99年にコンビは解散、桶田さんはその後、バンド活動などを経て、放送作家として活躍していました。 一方で桶田さんの元相方・村田さんは、2006年11月に35歳で、くも膜下出血によって亡くなっています。 フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎・村田渚の画像 画面左が今回訃報があった桶田敬太郎さん、右が2006年に亡くなられた村田渚さんです。 フォークダンスDE成子坂のネタ動画 下はフォークダンスDE成子坂のネタ動画です。

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桶田敬太郎の死因は!?フォークダンスDE成子坂解散後の活動内容は?[訃報]

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デビュー間もなく認められた才能 桶田と村田は、中学校の同級生として出会った。 ともに小学生の途中で三重へと引っ越してきた転校生組。 桶田は兵庫、村田は大阪で、幼少期に関西のお笑い文化を吸収していたことは想像に難くない。 高校在学中の1989年にコンビを結成。 当時から、東京の大手芸能プロダクション・ホリプロのネタ見せ勉強会にも顔を見せていた早熟な高校生だった。 1990年の高校卒業後に2人は上京。 アルバイトで生計を立てながら、毎週行われる勉強会に足しげく通った。 その成果はすぐに実り、ホリプロのお笑いライブでレギュラー出演を獲得。 翌年には事務所所属が決定し、テレビデビューを果たしている。 ジワジワと人気が高まっていく中、賞レースでも結果を残した。 1994年には『GAHAHAキング 爆笑王決定戦』(テレビ朝日系・1993年10月~1994年3月終了)で2代目チャンピオンに。 同時期に『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)内の企画で開催された「第14回 高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュ」で優勝を果たしている。 ポストダウンタウンを思わせたシュールさ 彼らの面白さは、コントのなかに凝縮されている。 先に触れた『GAHAHAキング』で披露した「誘拐」は、その真骨頂とも言えるネタだった。 桶田扮する誘拐犯が、道端で見つけた少年・村田を連れ出そうとする。 「おいしい玩具がある」といった小ボケを繰り出しつつ、玩具やお菓子で気を引こうとするが、村田は「誘拐犯では?」と疑って乗ってこない。 最後にひねり出したのが「芋泥棒」という遊びだった。 どちらかが片腕をゆっくりと上下に動かすあいだ、もう1人が立ったまま頭の上で手のひらを合わせ、フラフープを回すように腰をよじらせる。 桶田の主導でひとまずゲームをはじめるも、「ルールぜんぜん分からん!」と村田がツッコミを入れて強制終了。 今度は村田が誘拐ごっこをやろうと提案すると、桶田が「そのまんまやないかい!」とツッコんでしまい、誘拐犯だったことがバレるというネタだ。 ひょうひょうとした桶田のシュールなボケに、鼻にかかった甲高い村田のツッコミ。 関西弁でありながら、都会的なセンスを感じさせるコントだ。 これは、1990年代に若手芸人のカリスマだったダウンタウンの2人に非常によく似たコントラストである。 誤解を恐れずに言えば「当時、もっともダウンタウン的なコンビだった」のだと思う。

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元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが死去(2020年2月27日)|BIGLOBEニュース

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キャッチフレーズは「戦慄の不協和音」 桶田さんの訃報を受け、ネット上ではツイッター上やネット掲示板に桶田さんの死を悼む声が続々。 その中でもツイッター上を見てみると、解散前のフォークダンスDE成子坂が出演していたボキャブラ天国に触れつつ、故人を偲ぶ声が多い。 あるアカウントは当時の動画をアップしつつ桶田さんを偲んでいるが、その動画を見ると、桶田さんと村田さんが登場する直前のカットに、「戦慄の不協和音 フォークダンスDE成子坂」との紹介文があるのが分かる。 ボキャブラ天国放送当時、出演していたお笑い芸人たちに注目が集まっていたのは当然のことだが、それに加えて話題になっていたのが、お笑い芸人たちが登場する直前に画面に映し出される紹介文。 フォークダンスDE成子坂の場合は前述の通り「戦慄の不協和音」だったが、同番組には他にも「邪悪なお兄さん」海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)、「不発の核弾頭」爆笑問題、「電光石火の三重殺」ネプチューンといった、今やベテランとなった錚々たるメンバーが出演していたことを覚えている方は多いことだろう。 当時の放送では、フォークダンスDE成子坂はこれら3組と互角にしのぎを削る才覚を示し、放送の度に大きな話題になるなどしていた。 しかし、同番組が終了したあたりから、フォークダンスDE成子坂は徐々に活躍の場が狭まり始め、99年末にはコンビを解散。 その後、2006年には桶田さんとコンビを組んでいた村田渚さんがくも膜下出血で35歳で死去。 それから12年後となる2018年には「ザ・発言X」(日本テレビ系)で、村田さんにスポットを当てつつフォークダンスDE成子坂を扱った特集が放送されるなどしていた。 ボキャ天終了は「関係ないと思います」 多くの視聴者の記憶に残るフォークダンスDE成子坂。 輝きを放ったのは今となっては遠い過去だが、視聴者に対して強烈なインパクトを残したことは今も忘れられていない。 そこで、J-CASTニュース編集部は同コンビについての評価を、お笑い評論家のラリー遠田氏に聞いてみた。 まず、コンビ解散の時期がボキャブラ天国放送終了に近く、番組終了と共に活躍の場が狭まっていったように多くの視聴者からは見受けられたほか、番組終了がフォークダンスDE成子坂にはマイナスとなったようにも思える点について、ラリー遠田氏は、 「彼らにとってマイナスだったかどうかと言われたら、あまり関係ないと思います。 フォークダンスDE成子坂は『ボキャブラ』が始まる前から業界内では実力派の芸人としてその名が知られていました。 人気も知名度もそれなりにありました。 『ボキャブラ』に出たことでさらに人気が飛躍的に上昇したのは事実ですが、同じ番組に出ていたほかの芸人に比べると、この番組に出たことの影響は少なかったと思います。 さらに言うと、『ボキャブラ』で芸人が演じていた言葉遊び的な要素の強い『ボキャブラネタ』というのは、本人たちがやりたい方向性の笑いではありませんでした。 そのため、彼らは必ずしもこの番組を重視していなかったのです」 と、番組終了はあまり関係ないと説明した。 「自分の理想」へのこだわり ラリー遠田氏に続けて、その解散理由について聞いてみると、 「解散までの経緯は、数年前に桶田さんが個人で始めたポッドキャスト(インターネットラジオ)番組の中で詳細に語られていました。 そこで長い時間をかけて説明されていた解散理由を一言でまとめるのは難しいのですが、自分のやりたい笑いをどこまでも追求したいと思っていた桶田さんと、所属事務所や相方の村田さんとの間の溝が少しずつ広がっていき、解散に至ったのだと思います」 と、さまざまな要因があったのではとの考えを示した。 また、ネット上には 「おふたりがご健在であれば、今の爆問、くりぃむしちゅーと同じ立ち位置にいたでしょう。 残念でなりません... 」 「フォークダンスDE成子坂 世代的には、さまぁ? ず、くりぃむしちゅーと同じかな。 彼らのように、ブレイクすることはなかったけど」 と、フォークダンスDE成子坂には才能がありつつも、ボキャブラ天国に出演していた他のお笑い芸人のようには売れないまま解散してしまったことを嘆く声は多いがこの点については、 「桶田さんの中では、自分の理想とする笑いのようなものがあり、それに対するこだわりも人一倍強かったのだと思います。 テレビという場でそれを実現できる機会を与えられなかった、または勝ち取れなかったということが、のちに売れっ子になる芸人との違いだったのだと思います」 と分析した。 (J-CASTニュース編集部 坂下朋永).

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