エリクソン 発達 段階。 エリクソンの発達段階とは|特徴や概要を徹底解説

エリクソンの漸成的発達理論

エリクソン 発達 段階

人の発達については、心理学、教育学、社会学といった分野の学者が、様々な視点から研究して結果を世の中に発表しています。 発達心理学者のE・H・エリクソンもその一人です。 エリクソンという名前は聞きなれない人も多いかもしれませんが、エリクソンが提唱した「心理社会的発達理論」に登場する「アイデンティティ」や「発達課題」という言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。 エリクソンの心理社会的発達理論が発表されたのは20世紀の話ですが、今でもなお、人の発達を考える上で重要な理論の一つとされています。 この記事では、エリクソンのライフサイクル理論における発達段階と発達課題について、紹介します。 なお、この記事では、一般の方向けにかみ砕いて記載しています。 エリクソンの心理社会的発達理論や発達段階について、より専門的かつ詳細に理解したい場合は、関連記事を読んでください。 関連記事(外部リンク) エリクソンの心理社会的発達理論(ライフサイクル理論)とは エリクソンの心理社会的発達理論とは、発達心理学者E・H・エリクソン(エリク・ホーンブルガー・エリクソン)が提唱した、人が生まれてから死ぬまでの発達に関する理論です。 エリクソンは、人の発達について、「加齢による生物学的な成熟 身長や体重の増加など や衰退 身体機能や認知機能の低下など だけでなく、年齢を基準とする時期に応じて生涯を通して発達する。 」と考えました。 そして、乳児期から幼児期、児童期、青年期、成人期、壮年期、老年期まで、つまり「人が生まれてから老いるまで」の発達を包括的に捉える生涯発達の視点から、心理社会的発達理論 ライフサイクル理論 を提唱しました。 心理社会的発達理論 ライフサイクル理論 の特徴 社会心理的発達理論では、エリクソンが心理学者としての臨床経験に加え、偉人の伝記の研究、アメリカ・インディアンの生活についての文化人類学的な関わりなどを通して、人の一生における発達を円環的に説明しています。 この理論では、人の一生を8つの発達段階に分け、それぞれの発達段階には成長や健康に向かうプラスの力 発達課題 と、衰退や病理に向かうネガティブな力 危機 がせめぎ合っており、その両方の関係性が人の発達に大きく影響すると仮定しています。 その上で、プラスの力がマイナスの力より強くなることで社会に適応した健康な発達を遂げ、社会の中でより良く生きるための力が獲得されていくと説明しています。 一方で、マイナスの力がプラスの力より強くなると必ず人生がうまくいかないわけではなく、また、プラスの力が一時的に強くなれば良いわけでもないとも説明しています。 つまり、プラスの力とマイナスの力は、人生の全ての段階でせめぎ合いを続けており、各段階において両者のバランスをうまく保ちながら、プラスの力がマイナスの力より強くなるような経験を積み重ねていくことが大切だということです。 心理社会的発達理論 ライフサイクル理論 の8つの発達段階 心理社会的発達理論における8つの発達段階と発達課題・危機は、以下のとおりです。 各段階の発達課題と危機は、「vs」または双方向の矢印で対の形になるように表記されます。 乳児期(0歳~1歳6ヶ月頃):基本的信頼感vs不信感• 幼児前期(1歳6ヶ月頃~4歳):自律性vs恥・羞恥心• 幼児後期(4歳~6歳):積極性(自発性)vs罪悪感• 児童期・学齢期(6歳~12歳):勤勉性vs劣等感• 青年期(12歳~22歳):同一性(アイデンティティ)vs同一性の拡散• 成人期(就職して結婚するまでの時期):親密性vs孤立• 壮年期(子供を産み育てる時期):世代性vs停滞性• 老年期(子育てを終え、退職する時期~):自己統合(統合性)vs絶望 それぞれの発達段階における発達課題と危機について、詳しく見ていきましょう。 エリクソンの発達段階と発達課題:乳児期(基本的信頼感vs不信感) 乳児期は、赤ちゃん(子供)がママとの一体感やママへの信頼感を経験する時期で、発達課題は「基本的信頼感vs不信感」です。 基本的信頼感とは、他人からありのままを受け入れてもらえる安心感と、他人に受け入れてもらえる自分を価値のある人間だと思える自分への信頼感のことで、他人と情緒的で深い人間関係を築くための基礎になるものです。 乳児期のうちに、パパママからおっぱいやミルクをもらい、おむつを交換してもらい、あやしたり寝かしつけたりしてもらうなど、たくさんお世話してもらうことで、基本的信頼感が育まれていきます。 しかし、乳児期に基本的信頼感が十分に育まれないままになると、安心感や自身が持てず、自分や他人に対する不信感が募っていきます。 例えば、虐待や育児放棄、不適切な養育などを受け続けた赤ちゃんは、親を信頼することができず、親との信頼感に基づく他人への信頼感も育むことができず、他人に対する不信感を強めることになります。 乳児期に芽生えた不信感は払しょくすることが難しく、その後の人生を通して心の中に残ることが多い深刻なものになりがちです。 エリクソンの発達段階と発達課題:幼児前期(自律性vs恥・疑惑) 幼児前期は、全身の筋肉や運動機能が発達し、自分の意思で行動できるようになる時期です。 パパママから「しつけ」を受けるなどありのままを受け入れてもらえなくなりますし、保育園に通園すれば一緒に過ごす時間も短くなり、子供は不安を感じることが多くなります。 幼児前期の発達課題は自律性vs恥・疑惑です。 トイレットトレーニングなどに成功すれば褒められ、失敗すると恥ずかしい思いをする経験を積み重ねることで、自律性(自分をコントロールすること)を身につけようとします。 しかし、パパママから過剰に干渉されたり、頭ごなしに叱られたりしていると、自分の行動を恥ずかしく思って自信が持てなくなります。 結果、常に「失敗するのではないか。 」、「バカにされるのではないか。 」といった疑惑を持つようになり、表面ばかり取り繕うに用になる傾向があります。 表面上はうまく適応しているように見えても、内面は自律性が育まれておらず、その後の成長の中で徐々にボロが出るようになります。 エリクソンの発達段階と発達課題:幼児後期(積極性(自発性)vs罪悪感) 幼児後期は、自分の意思で行動する一方で自制心が育まれていき、ルールを守ったり、パパママやともだちに合わせたりできるようになります。 乳児後期の発達課題は、積極性(自発性)vs罪悪感です。 何事にも果敢にチャレンジしていく積極性(自発性)が高まる一方で、失敗して叱られたり失望されたりするのではないかという恐れ(罪悪感)を抱くようになります。 幼児後期の発達課題をうまく乗り越えると、失敗を恐れず何事にも自発的にチャレンジできるようになります。 しかし、パパママや幼稚園で怒られてばかりであったり、他の子と比べられてばかりであったりした子供は、罪悪感が募って周囲の目を気にしたり、自発的に行動できなくなったりします。 エリクソンの発達段階と発達課題:児童期・学齢期(勤勉性vs劣等感) 児童期・学齢期は、子供が学校に入り、それまでとは比べ物にならないくらいの知識や技術を学習したり、ともだちとの集団生活に適応したりする時期です。 発達課題は勤勉性vs劣等感です。 ここでいう勤勉性とは、社会に関心を示して自発的に加わろうとしたり、宿題など物事を完成させることで周囲から認められたりといったものを学習することです。 児童期・学童期にいくら頑張ってもうまくいかず、周囲に認められない経験が積み重なると、自信を無くして劣等感を募らせていきます。 例えば、いくら勉強しても同級生より成績が悪かったり、どれだけ練習しても運動ができなかったりすると、周囲からバカにされる経験が積み重なり、劣等感が募ります。 劣等感が強まると、ともだち関係や学力など様々なところに影響を及ぼし、学校不適応に陥る可能性も高まります。 エリクソンの発達段階と発達課題:青年期(同一性(アイデンティティ)vs同一性の拡散 青年期は、子供が第二次性徴や性的欲求の高まりなどによって男らしさや女らしさを意識するようになると同時に、「自分とはどんな人間か。 何になりたいのか。 」に関心が向くようになります。 以前は22歳頃(大学卒業前後)までとされていましたが、最近では30歳前後までがこの青年期に当てはまると指摘する人もいます。 発達課題は同一性(アイデンティティ)vs同一性の拡散です。 同一性とは、「自分は自分である」という確信や自信のことです。 子供は、「自分は自分である」という自信を持つためにもがき苦しむ中で、自分なりの価値観や仕事などを見出して、社会生活を送っていくようになります。 しかし、心も体も揺れ動く不安定な時期なので、自分のことが分からなくなって混乱し、うまく同一性を確立できないままになると、人格や情緒が安定せず、社会にもうまく適応できなくなってしまいます。 青年期に獲得されるアイデンティティは、その後の人生の芯になるものですが、不変というわけではありません。 社会生活を送る中で結婚、出産、昇進・昇格、転職、転居、親の死など様々な経験をする中で「自分とは何か」は常に変化していくのです。 そして、その変化の基礎となるのが、青年期に獲得されたアイデンティティなのです。 つまり、青年期に確信した「自分」と、その後の人生の中で「自分とは何か」と問われてイメージする「自分」とは何かしらの共通点はあっても、全て一致することはありません。 エリクソンの発達段階と発達課題:成人期(親密性vs孤立) 成年期は、就職して結婚するまでの時期です。 発達課題は親密性vs孤立です。 親密性とは、自分の関わる物事に親密さを感じることであり、他人(異性)と互いに親密な関係性を築くことです。 年齢相応に親密性を持つことで、就職や恋愛・結婚といった人生の節目をうまく乗り切ることができるようになります。 親密性の獲得に失敗すると、情緒的で長期的な人間関係が維持できず、表面的で形式的な人間関係しか築けずに孤立していきます。 結婚相手と情緒的で対等な関係を築くことができないと、別居や離婚に至ることもあります。 青年期の発達課題を乗り越えられないままだと、本人がその後にやって来る壮年期や老年期を生きる意欲を失うことになるだけでなく、その子どもの成長にも悪影響を及ぼすことがあります。 例えば、夫婦関係が悪化して離婚した場合、その子どもは片親と強制的に離され、自分という存在を肯定的に受け止められなくなり、青年期にはアイデンティティの拡散に悩まされ続けるおそれがあります。 エリクソンの発達段階と発達課題:壮年期(生殖(世代性)vs自己吸収(停滞性) 壮年期は、結婚して子供を産んで育てていく時期です。 親として過ごす時期とも言えます。 発達課題は世代性vs停滞性です。 世代性とは、親密な存在や次の世代を育てていくことに関心を持つということです。 この時期は、子供を産み育てることだけでなく、所属する社会の後輩などを教育したり、地域の伝統を継承したりするなど、自分を犠牲にしても自分以外の何かに関わり、そこから自分一人では得難いものを得られるようになります。 しかし、世代性がうまく獲得できないと「自分が第一」という感覚が抜けず、人間関係は停滞し、次第に疎遠になっていくことも少なくありません。 壮年期には「自分は自分のやりたいことを突き詰めるんだ。 」と好き勝手に振る舞い、そのことを問題と思っていなくても、老年期になると「どうして自分のことばかり考えていたのだろう。 」と後悔することになります。 エリクソンの発達段階と発達課題:老年期(自己統合(統合性)vs絶望) 老年期は、子育てが終わり、退職して余生を過ごす時期であり、身体の老化と直面し、死と向き合うことになる時期です。 加齢に伴って認知機能も衰えていき、認知症などの問題を抱えることもあり、それらとどう向き合うかが問われます。 発達課題は自己統合 統合性 vs絶望です。 自己統合 統合性 とは、老年期までの各発達段階で獲得してきたものを振り返ってみて、自分の人生を受け入れて、ポジティブに統合することです。 統合性を獲得することで気持ちや情緒が安定し、円滑な人間関係を維持したり、趣味・ライフワークを心の底から楽しんだりすることができます。 しかし、自分の人生を受け入れられないままだと、人生を後悔して新たな自分を探し求め、身体の老化や時間のなさに不安や焦りが募って絶望してしまいます。 まとめ エリクソンの心理社会発達的理論 ライフサイクル理論 について紹介しました。 エリクソンは、ライフサイクルという円環的な視点から人の発達を捉えており、ある段階の発達課題は、その後の発達段階へ進んでも繰り返し現れてくると考えています。 この考え方は知育のやり方にも通じるところが多いので、今後、もう少し詳しく紹介したいと考えています。 ikujilog.

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【看護学生向】年代別発達段階まとめ|エリクソン、ハヴィガースト

エリクソン 発達 段階

これまでに述べてきたように、人間の発達論は、フロイトの心理・性的発達論がかつての中心的なアイディアであり、精神の発達を性的衝動の発展として捉えるものであったが、エリクソンは家族の人間関係を重視し、社会的、対人的な側面から発達を見直そうとし、人間は「身体、心理、社会的な存在」として捉えた。 そして人間は、確かに3歳くらいまでの精神発達が、性格を決め、人生後半におきる様々な問題も、元を正せ子供は母親をとおしての父親イメージ像を作るので、ばこの幼児期の葛藤に還元される要素が高いことは認めるが、それだけではなく、生涯の各年齢に要求される社会的な課題が解決されず精神的問題が発生する場合も少なくない、とした。 生涯全体を変化して行く主体の発達として捉えて行こうとしたのがエリクソンのライフサイクル論であり、生涯を8つの発達段階に分け、そのおのおのに必要な心理社会的な能力、自我の力を心理力動的な観点から捉えている。 各段階における課題と、その対立的な課題を提示し、生きて行くためには、心の中で両者のバランスが必要であり、バランスを崩すと危機的状況に至り、その後の自我の発達に影響し障害を来すので、順番に漸成して行く必要があるとし、ライフサイクルの概念を報告した。 (エリクソン「幼児期と社会」仁科弥生訳、1992、みすず書房) 前回では第一期の乳児期に基本的信頼が獲得されるのが非常に大切であることを述べた。 自分を律すること、自らをコントロールすることである。 例えば、躾というような、外からの圧力を受け入れ、自分の衝動を統制し自分のなかで折り合いをつけ、どう振る舞うか決めて行く枠組みを作ることが、自律性を築く中心的な仕事になる。 自律性とは、外からの要求と自分の内からの要求とがバランスと取ることであるが、うまくいかないと、「うまくやれていない」という、外からの要求に応えられない恥の意識が生まれ、また「自分はいったいどうなっているのか?」と言った自分に対する疑惑を持つようになり、生きて行くことが苦痛になってくるという。 自律性は、乳児期に自信が育っていないと獲得できない。 そして自信は、乳児期に基本的信頼が獲得できていないと生まれないのである。 基本的信頼は母親への愛着が必須で、母を信じ依存することで信頼感、安心感を得ることなしに、自分を信じ、人を信じるようにはなれないので、自律性は基本的信頼の延長上にあることになる。 つまり、自信のない子にセルフコントロール 例えば躾など を教えること、つまり自律性を身に着けさせることは、乳児期に基本的信頼を獲得していないので極めて困難なことになるのである。 幼児期は、「ボク スル」の一言から始まる。 すべてを母親に頼り、親まかせにしていたものが、自分でやろうとする。 母親の言う通りにしなくなる。 ぐずったり、駄々をこねたり、口答えをしたり、憎まれ口をたたいたりする。 これが、第一反抗期と呼ばれるものであり、3つ4つの憎まれ口は自律の為の行動化(acting out)とみられる。 この時期の子供の行動は、母親をイライラさせたり、不安にさせたりするが、母親が行動化に伴う危険を見守り、母親自身の不安を乗り越えて育児に当ることが、子供の自律を達成させる鍵になる。 この第一反抗期を示さず自律を済ませないと思春期の自立(親や世間や今までの自分自身への反抗である「第二反抗期」を通して自己を確立する)に際してアイデンディティの確立が困難となり、思春期に、不登校、家庭内暴力、リストカット、摂食障害等の問題行動を招くことになる。 第一反抗期を思春期の第二反抗期に持越し一度にやらなければならないために問題が大きくなるのである。 自律しようとすると、自分の判断が必要となる。 親の判断と異なる判断をしなければならない。 最初は判断というより、「母親はこうしろと言ったが、自分はこちらの方が面白そうだ」という衝動である。 フロイトは衝動を抑える働きとして「超自我」の概念を仮定し、超自我は幼児期に形成され始めるとしている。 超自我は社会的良心であり、社会的秩序であるが、まず家庭内の秩序をモデルとして生まれてくる。 家庭内に秩序が無かったり、家庭内のモデルが社会の秩序と大きく食い違っていると子供の超自我は混乱を起こし、超自我形成が不全を起こす。 子供の超自我モデルの最初は父親であり、父親イメージは、「尊敬と畏怖」「寛容と厳格」の両方が必要だが、母親がこの二律背反的なものをバランスをとって、子供に伝えることで、子供は自分の衝動の統御と解放のバランスを学ぶことが出来る。 従って父親の不在は、超自我形成におおきなひずみを残すことになる。 また母親の不在は「母なるもの」の形成に大きな影響を与える場合が多い。 具体例を見ると、幼稚園では、協調出来ていい子であるが、家では駄々っ子で手のかかる子供が、基本的信頼を獲得し自律性を持っている子供に相当する。 幼稚園でルールを守れない子は、自律性が得られていないのであり、それは、その前の段階で基本的信頼を感じる相手が持てなかったこと意味し、従って躾をするのは簡単なことではない。 躾とは子供に大人の文化を教えて行くことであり、言葉が理解できるようになる頃に、例えば、手ではなくスプーンで食べよう、おしっこはトイレでしようなどと教え、何をするか、しないかは、子供が考え、選べるようにするのが躾であり、自律性です。 教えたら待つことで自律性は育っていく。 また、 サリヴァンによれば、人間は人との関係によって人間になる。 他者があるから自己がある。 他者の存在をしっかり実感し、他者を認めることが、その後の社会的人格を形成する基盤になると言い、自律とは他者と調和がとれることを意味し、そうすることで、対人関係を作ることが出来るようになる、としています。 色んな研究によれば、いじめっ子は、親子関係に問題がある子に多いという結果が出ている。 母親を信じることが出来、依存出来、親子で喜びや悲しみを共有できるコミュニケーションが取れれば、いじめっ子になる確率は低いとされる。 また将来、不登校、家庭内暴力、リストカットなど問題行動や適応障害などの症状は、乳幼時期に基本的信頼と共感性と自律性が獲得できていない場合が多いとされている。 「自発性」とは、自分の衝動のままに行動することではなく、外的・内的な力が統合できる能力(すなわち自律性)がついてから、自分の欲求を表現できるようになることを自発性という。 すなわち外的・内的なバランスを保ちつつ、行動出来ている状態、自分が行動の中心になることを意味し、このような心の状態を「自主性」ともいう。 自主性がうまく獲得されないと、行動が規範を冒し、はみ出た行動になり、「悪かった」「失敗した」「規範を冒した」という罪の意識(罪悪感)になるとしている。 「自発性、自主性」は、好奇心を持って自分から活動することで、積極性、主体性、目的性という側面も合わせ持っている。 このように、この時期に、自分が心の中心であるという意識を持つことが,アイデンディティを形成する上での心の基礎になるとされている。 エリクソンは児童期を遊戯期とも言い、探求心、実験的に活動する力、創造力、空想力,想像力は皆遊びのなかで育つとし、この時期に最も大事なことは「遊び」であるとしている。 児童期の子供は、昨日出来なかったことを今日は出来るかな、と遊びのなかで実験的な発想を繰り返し目標に達成していき、限界を伸ばそう、広げようとし始める。 この時期に遊んだ子は、将来努力することが出来るようになる。 遊びのなかで壁にぶち当たり、それを乗り越える工夫をして可能性を広げた体験は、目標を設定し、努力出来る自主性、積極性、主体性に繋がっていくからである。 ピアジェは「この時期に遊んでおかないと、将来優れた想像力のある仕事は出来にくい」としている。 この時期にうまく遊べなかった子は、 ニートになる傾向が強い。 「遊ぶのが仕事」というのは本当であるが、遊びが豊かに発展するのは次の学童期(小学校時代)であるが、このころから慣れ準備をしておくことが必要なのである。 中嶋 英雄 形成外科医、精神科医、専門は頭蓋顔面外科、美容精神科 1973年 慶應義塾大学医学部卒業、形成外科入局し、1975年から4年間に渡り、一般外科、脳神経外科、整形外科など外科系研修をする。 1980年フランスに留学、頭蓋顔面外科の創始者. Tessier に師事し、本邦に導入する。 1988年 同上助教授、(のちに准教授に改変)2010年 同上退職、精神科に転科し、群馬会群馬病院(精神科病院)勤務。 2014年 同上退職。 美容整心精神医学の概念を創案、それに基づいた美容整心精神科を9月クリニークデュボワ(帝国ホテルプラザ4F 内に開設し、11月千代田区紀尾井町に美容整心クリニックを開設。

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エリクソンの「発達段階」を知ろう。年齢別「発達課題」はクリアできてる?

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これはエリクソンが、日々の臨床に加えて、アメリカ・インディアンの生活についての文化人類学的な参与や、偉人の伝記研究などを通じて、人生の経過を円環的に書いて説明したもので、 人生を8つの時期に分けて論ずるを編み出しました。 そして、ポジティブな力がネガティブな力よりも強くなれば、より健康的な発達をしていくことになります。 その結果、自我の強さである「人格的活力」、換言すれば、「よりよく生きていくための力」が生まれるとしました。 この時に、ネガティブな力の方が勝って経験すると、今後の人生がすべてうまくいかないというわけではありません。 逆に、各段階にて、いったん獲得すれば問題ないというわけでもありません。 このポジティブな力とネガティブな力の拮抗は、生涯にわたって続き、様々な形で何度も獲得し実感しながら、ポジティブな力の方が勝るような体験・経験をすることによって、自分自身の人生をよりよく生きていく力を蓄えていくのです。 全ての発達段階において重要なのは、ポジティブな力のみが備わればいいという訳ではなく、ネガティブな力との拮抗(バランス)の結果、ポジティブな力が勝っている形での経験のプロセスが大切と言えます。 人間に最も近い霊長類、ゴリラやチンパンジーは生まれたばかりで、感覚器官はある程度成熟しており、移動能力もあります。 しかし、ゴリラやチンパンジーよりも複雑な組織、脳の進化を持っている、我々人間は、非常に未成熟な状態で生まれてきます。 このことを「生理的早産」と呼びます。 つまり、正常の出産であるにも関わらず、生理的に「早産」となるのです。 生理的早産の状態で生まれる人間の赤ちゃんは、単独では生きていくことはできません。 イギリスの精神分析医のウィニコットは、このような赤ちゃんと母親の関係を 「単独の赤ちゃんと言うものは存在しない。 ただ一組のお母さんと赤ちゃんが存在するだけだ」と述べています。 そのような関係性を踏まえて、ライフサイクルの理論に基づくと、この乳児期は 「基本的信頼感」と「基本的不信感」というポジティブな力とネガティブな力の拮抗がテーマとなります。 具体的には、赤ちゃんがいつも自分の欲求がすぐに満たされない状態において 「不信感」を持ちつつも、そこに関与し、世話をする母親の存在によって「他人や社会を信じても大丈夫」といった 「信頼感」も持つことがテーマです。 ここでのポイントは「不信感」も経験しておくことです。 親としてはできるだけ、赤ちゃんの欲求を満たしてあげたいと思うでしょうが、すべての欲求を満たすことは容易ではありません。 いや、むしろ無理と言ってもいいでしょう。 (ここで完璧を求め過ぎてしまうことは、母子ともにあまりいいことではありません。 )多少の不信感を経験することがないと、悪い人まで信じ過ぎてしまうこともあるわけです。 乳児期において、このような 「基本的不信感」よりも 「基本的信頼感」の方が勝って体験することによって、「 希望」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)が備わるとしたのです。 その「 希望」は今後の人生において「安定」や「安心」に繋がります。 「自分が生きていてもいいんだ」、「誰かがちゃんと自分の事を見てくれているんだ」という思いや体験を十分にすることによって、人生の土台となっていくのです。 この時期の赤ちゃんと母親は情緒的に強く結び付き、母親(時に父親も)の世話のもと、成長・発育をしていきます。 その中で赤ちゃんは母親に対し、様々な言動や表情を発信し、その言動や表情の裏側にある感情や情緒を母親は読みとっていき、赤ちゃんに母親の言動や表情を返していきます。 (このことを「情動調律」(D・スターン)や、「情緒的応答性」(R・エムディ)と専門的には呼ばれます。 )そのような相互交流によって、赤ちゃんと母親との間に良好な愛着関係が育まれ、既述の「希望」といった力が定着していきます。 しかし、この時に、赤ちゃん側の要因(例えば、未熟児や言動や表情を発信する力が弱いなどといった要因)、あるいは母親側の要因(知的な問題、心身的な問題、虐待体験など)があると、相互交流が阻害され、よい関係性がもてなくなってしまうことがあります。 (語彙爆発の時期とも呼ばれます。 )同時に、自我の目覚めとして、「ぼく・わたしがやる!」といった自己主張が出てくる時期とも言えます。 これまでは身振りや表情といった非言語的なコミュニケーションから、その身振り手振りに加えて、言語が伴うようになってきます。 その中で、赤ちゃん自らの「知りたい」、「やってみたい」、「仲間に入りたい」といった積極的な行動が見られるようになります。 (2歳頃にみられる「イヤイヤ病」は健全な発達段階の一部と言えます。 ) 赤ちゃん本人は「やりたい」と思っていてもなかなか上手に出来ないことが多いです。 失敗すること(水をこぼしたり、物を壊したり…)によって、保護者から怒られることもあるでしょう。 そういった、「やりたい」けど「うまく出来ない」といった 「自律性」と 「恥や疑惑」というポジティブな力とネガティブな力の拮抗がテーマとなります。 (「しつけ」というテーマとも言えるでしょう。 ) 具体的には、赤ちゃんが「失敗するかも??」、「怒られるかも??」という 「恥や疑惑」を持ちつつも、自ら「自分でやってみる」、「出来た!」といった 「自律性」を持てるようになることがテーマです。 ここでのポイントは先の乳児期と重なりますが、保護者(主に母親)の見守りです。 失敗するかもしれないけれど、うまく出来た時には誉められるといった体験が重要となっていきます。 もちろん失敗した時には、注意も必要です。 しかし、注意ばかりを受けてしまうと、行動や自分でやってみようという思いが萎縮してしまいます。 (これは成人でも同様でしょう。 ) 一方、何をやっても良い状況だけになってしまうと、失敗に気付きにくくなったり、わがまま放題になってしまうかもしれません。 失敗しつつも、成功体験をより築いていくことが幼児期初(前)期のテーマとも言えるでしょう。 このことは排便・排尿といったトイレットトレーニングや、他者(外界)を傷つけない、他者(外界)から傷つけられないなどといった、「しつけ」の習得の時期でもあります。 始めは、保護者の手を借りながら、徐々に自分自身の力で行えるようになるプロセスです。 以上のように、この時期は、 「恥や疑惑」よりも 「自律性」の方が勝って体験することによって、ここでは「 意志」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)が備わるとしたのです。 その「 意志」は今後の人生において「積極性」や「自主性」となっていきます。 (心理学ではこれを「内発的動機」とも称します。 )言語的にも動作的にも発達し、保護者(大人)との会話も成立するようになります。 大人の真似や、子ども自身で考えた遊びをするようになります。 しかし、そのような自らの意志での行動は、時に善悪の判断や安全・危険の判断がまだ出来ない段階とも言えます。 そこで保護者からの規制や助言といった、自分とは異なる大人との関わりによって、その善悪の判断、安全・危険の判断(俗に言う、社会性やルール等)が育まれていきます。 また、同年代の子どもとの交流の中では、各家庭での出来事を子ども同士で真似てみたり、「ごっこ遊び」と呼ばれるような遊びが見られたりするようになるのもこの時期に多いと言われています。 そのような「ごっこ遊び」を通じても、先の社会性やルールを身につけていくとされています。 言語的にも身体的にもより高度なやり取りが出来るようになり、様々な外界の興味に積極的な行動をとることは、時に同年代の子どもとの衝突や競争が生じてきます。 その際に、自分の思い通りにならないことや、親からの注意・叱責を受け、処罰されるかもしれないという不安を引き起こすことになります。 (この時に生じるのは 「罪悪感」と呼べるでしょう。 )この時の不安(罪悪感)を精神分析の生みの親のフロイトは「去勢の不安」と名付けています。 ここでは 「積極性」と「罪悪感」というポジティブな力とネガティブな力の拮抗がテーマとなります。 具体的には、「積極性」を伴う様々な場面への介入や関わりによって、「うまくいった!」、「自分の思い描いた通りになった!」という体験のもと、自信の形成がポジティブな力となります。 逆に、「うまくいかない…」、「怒られた…(怒られるかも?)」といった体験により、「罪悪感」を持ってしまうことがネガティブな力となっていきます。 そのような、プロセスにおいて、 「罪悪感」よりも 「積極性」の方が勝って体験することによって、ここでは 「目的(を持つこと)」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)が備わるとしたのです。 その「目的(を持つこと)」は今後の人生において「希望」や「夢」の土台となっていきます。 生活の主な場所や時間が保護者(家庭)から学校や同年代へと舞台が移っていく時期でもあります。 子どもたちは、小学校に入学すると、必ずと言っていいほど、同年代の友人に興味・関心を抱き、行動を共にし、関わりを持つようになります。 また学校という教育の場から、知識や教養を学ぶ機会に身を置き、テストや成績といった外的な評価・数値化もなされていきます。 競争が少なく、守られた状態の家庭から徐々に離れ、先の 「積極性」と「罪悪感」の拮抗を抱えながら、今度は学校という環境の中で、同年代と関わりながら、自分の得意・不得意を感じとっていく段階でもあります。 そしてその中で、自分で工夫や努力(積極性を生かし)をし、自分の望むことを達成していきます(目的の達成)。 そのための原動力を 「勤勉性」と呼びます。 一方、そうした新しい環境の中で、失敗や叱責といった「傷つき体験」もしていくのです。 ライバルに運動や勉強で負けることや、合唱祭や体育祭での勝ち・負けに伴う喜びや悔しさ( 「劣等感」)を体験していきます。 ここでは 「勤勉性」と「劣等感」というポジティブな力とネガティブな力の拮抗がテーマとなります。 この段階になると、多くの方々が体験したことのあるようなエピソードが出てきます。 特に小学校高学年ともなれば、創意工夫や独自のやり方で、勉強にしろ、運動にしろ、レベルアップを目指していくようになります。 時に、努力したが結果が伴わず、悔しい思いをすることや、落ち込むときも出てきます。 その時に必要となるのは、他者からの労いや、「よくやったね」という優しい言葉で、それが自信となっていきます。 それが「自分はやれば出来るんだ」という 「自己効力感」と呼ばれるものになっていきます。 (エリクソンは「有能感 Competence」と呼び、学ぶことで得られる喜びや困難な仕事に取り組み問題を解決していくプロセスで得られる喜びを支えるものとしました。 ) しかし、この時期に、頑張ることや、苦労を乗り越える体験をせずに(つまり 「勤勉性」を養わずに)、過ぎてしまうと自ら学ぶことや物事に取り組む力も弱くなってしまいます。 加えて、自分なりの頑張りや努力をけなされたり、認められなかったりすることばかりだと、「自分はだめなんだ」、「頑張っても意味がないんだ…」という 「劣等感」を抱いてしまうことになります。 「劣等感」を抱えつつも、 「勤勉性」の方が勝るような体験を積むことがこの時期に重要な課題であり、その結果、 「自己効力感」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)を養うことに繋がるのです。 この時期は第2次性徴や異性への関心、性的欲求の衝動といった様々な変化が多く起きる時期でもあります。 非常に多感な時期で、この時期はある種の病的なこだわりや言動も見られることがあります。 (一過性の場合もあるので、この時期の精神的な揺れや、それに伴う症状と思われるような言動や発言の判断、及び解釈には、慎重を要する必要があります。 ) 小学校時代とは異なる、より大きく、様々な地域や特性を持った同年代の集団の中で生活をすることになる時期です。 よって、この時期はそのような集団の中で「家族の中で自分とは…??」、「学校において自分の役割とは…??」、「相手にとって、自分の存在って…??」、「生きている意味は…??」といった「~~である自分」についての疑問や葛藤を生じやすい時期でもあります。 このような「~~である自分」というのをエリクソンは 「アイデンティティ」と呼びました。 このアイデンティティは日本語で「自我同一性」とも呼ばれます。 親に対して子どもである自分や、部活動の中での部員としての自分、異性との交際において男性・女性である自分、といった様々な場面や文化の中で異なる役割を担うことになります。 (このような様々な場面での役割をユング心理学では「ペルソナ」と呼びます。 ) そのような様々な集団の中で、理想とする先輩や先生に「自分も近付きたい」、「あの人のようになりたい」という思いで、自分もその人のように振る舞ったり、考えを真似たりといった言動を取るようになります。 このような言動をエリクソンは 「同一化 Identification」と呼びました。 「憧れ」を原動力に、その「憧れ」の人物になりたいという想いゆえの言動です。 (アイドルの服装を真似たり、尊敬している人物が勧めていた本を読んだりといった行為で、多くの方が通る道でしょう。 ) しかし、それらの理想の人物も、よく観察していくと、その人の至らない点や、自分の中での考えが生まれてきます。 (例えば「アイドルもただの人間だ」と思い、テレビの中の理想よりも現実の異性へ関心が高まることや、「この先生はこう考えているけれども、自分としてはこう思う…」といった独自の思考の展開・構築といったプロセスです。 )そして、「本来の自分」や「求めていた自分」というものを獲得していきます。 このような言動をエリクソンは 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」と呼びました。 このような理想化と失望・発見の経験のプロセスを通じて、自分独自のスタイルを獲得していくことになります。 その獲得には大きなエネルギーやストレスはつきものです。 なぜなら、これまで理想とした人物や思考という、お手本があった訳です。 それらに向かって 「同一化」していた(ある意味、模倣していた)自分から、オリジナルな自分を作りださなくてはならないわけですから、人のせいにしたり、他人に任せたりできなくなります。 その作業の際に、「孤独感」や「自己不信感」などを抱きながら「オリジナルな自分」を形成していくのです。 以上のような、プロセスがここでは 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」と「アイデンティティの拡散」といったポジティブな力とネガティブな力の拮抗となります。 ここでの拮抗のプロセスは大変な労力が必要となります。 「自分が自分であることに誇りを持ち、属する集団や周りの人々の中での自分の居場所の確保」をしながら、その反面「自分は属する集団や周りの人々に受け入れられているのだろうかといった孤独感や迷い・動揺」といった葛藤と向き合わなくてはなりません。 その葛藤の結果、これまでの発達段階と同様、 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」が 「アイデンティティの拡散」を上回っている状態になることによって、「自分はこの集団にいていいんだ」、「この人々に所属しているんだ」という「 忠誠心や帰属感」の獲得に繋がるのです。 しかし、この時期の拮抗(葛藤)は、これまでの発達段階のものよりも、より複雑で高度なものと言えるでしょう。 そのため、エリクソンはアイデンティティが形成されていく一定の時期を「モラトリアム」と呼びました。 (この「モラトリアム」については後述にて詳細を記したいと思います。 ) 日本では幸いなことに、このモラトリアムの時期は長く保証されていると言えます。 つまり義務教育以降の、高校・大学制度です。 この時期に様々な社会的集団や属性の中での役割習得を、実験的に試みることや獲得の練習を行うことが出来るのです。 しかし、中には、このモラトリアムの期間内で、自身の 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」と「アイデンティティの拡散」の拮抗状態に耐えられない人や避けてしまう人が出てきます。 その結果、「アイデンティティの拡散」の力が強くなってしまうと、「オリジナルな自分」の決定をしないことになりますから、「自分」というものが不明瞭で分かりづらいものになってしまいます。 様々なメディアや文献において、現在の日本では、この 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」は難しいものと言われています。 その理由として考えられるのは、様々な価値観の多様化、性役割の変化、過剰な情報社会、職業選択の増大及び自由化などが挙げられるでしょう。 一昔前の日本であれば「家制度」が主流で、総領や長男といった言葉により、家を守ることに重きを置かれていた時代もありました。 そのような時代においては、その家に生まれた者は、将来の職業や住居などは決められていると言えるでしょう。 その決められた将来によって苦しむこともあったかと思います。 (もちろん、それぞれの時代によってこの「アイデンティティ」の問題に苦しむ人はいたと思いますが…)しかし、すでにある程度、決められた性役割であったり、職業であったりするため、限られた中からの選択となります。 それに比べて現在は、家や性役割などが、非常にフラットになり、ある意味、「なんでもありの状態」と言えるかもしれません。 そのことが、思春期・青年期の発達課題である、 「自我同一性(アイデンティティ)の確立」を難しくさせている要因とも考えられるでしょう。 緊急の事態が生じた際の、支払い等のある一定期間の猶予を認めることを指します。 そこから、エリクソンは、思春期・青年期における「オリジナルな自分」を形成していく、ある期間を「心理社会的モラトリアム」と称しました。 日本では小此木啓吾が「モラトリアム人間の時代」(1978)の出版以来、「モラトリアム」という言葉(概念)が一般化し、多くの人に知られるようになりました。 が小此木啓吾は、エリクソンの言うモラトリアムを古典的モラトリアムとして位置づけ、日本の状況を加味し、既述の「オリジナルな自分」を形成していく期間を引き延ばし、幼児的な万能感と欲求の追及に浸っている状況下にいることを「モラトリアム人間」と呼びました。 現在であれば、ニートと呼ばれる方々を指すとも言えるでしょう。 エリクソンと小此木啓吾の「モラトリアム」の捉え方の差異は、エリクソンはモラトリアムを「ある時期を示す時間的概念」でありましたが、小此木啓吾は一種のアイデンティティの拡散状態を指す用語となっている点です。 この点の差異は時代の流れの影響もあると言えるでしょう。 そのため、精神疾患を発症する可能性が高い時期ともいえます。 以下は、この時期に多く見られると考えられる精神疾患や状態等です。 肉体的にも精神的にも活力にあふれ先の「オリジナルな自分」をもって社会や世の中に貢献するための自我の強さが必要となってきます。 ここでは属する社会はもちろんのこと、同性の友人、異性の恋人といった信頼できる人物との親密な関係性が構築されてくる時期でもあります。 そのような関係性を構築するための能力を 「親密性」と呼びます。 この 「親密性」の基盤は、先の「アイデンティティの確立」が必要です。 オリジナルな自分の考えや価値観、思想がある程度自分のものとして確立されていなければ、違った価値観を持つ他者や異性と、それらについて語り合うことが難しくなっていきます。 一方、関係性を構築する際に、相手との相性やタイミングなどが影響し、時に自分を見失うことや、自分の価値観が揺らぐことも出てきます。 その結果、「自分は間違っていたのではないか?」、「相手に受け入れてもらえないのではないか?」という不安や恐怖を抱くことで、 「孤独感」を感じるでしょう。 ここでは 「親密性」と「孤立(孤独感)」というポジティブな力とネガティブな力の拮抗がテーマとなります。 親密な関係性の構築は特に異性との間に強く見られます。 彼女・彼氏という関係、そして人生の伴侶となる人物との関係、それに伴う性的関係が精神的な内実を伴って実現するのがこの時期ともいえます。 相手のために尽くすことや、自己をさらけ出すことによって相手との信頼や愛情というものが育まれていきます。 その際には 「親密性」が重要になっていくことは自明のことでしょう。 しかし、相手に尽くすことや、自己をさらけだすことには、相手への信頼・愛情の存在もさることながら、自分への信頼もなくてはなりません。 ここで全段階の「アイデンティティの確立」が重要となってきます。 この確立が曖昧で脆弱であると、相手に過度に依存する傾向や、相手に妥協する形の付き合いとなる可能性があります。 その結果、自己が傷つく、もしくは喪失してしまうという恐怖のために、対人関係に深く関わらず、回避や距離をとることになってしまい、 「孤立(孤独感)」に陥ってしまう結果となるかも知れません。 以上のような、プロセスを通じて、この時期に 「親密性」を築く体験が 「孤立(孤独感)」に陥る体験よりも上回ることによって、 「幸福感や愛」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)が備わるとしたのです。 この 「世代性」とは、次の世代を支えていくもの(子どもや、新しいアイデア、技術といった後世に貢献できるようなことを指します)を生み、育み、将来積極的に関心を持つということです。 この 「世代性」の言語は「Generativity」と言いますが辞書にはなく、エリクソンの新語です。 具体的には、これまで、自分の世代を中心として、家族内役割や社会内役割というものを培ってきました。 自身の社会的地位の向上や、体験の蓄積、そして家族内での立場の決定といった、出来事がなされ、俗に言う働き盛り(30代~)という時期を過ぎ、肉体的にも精神的にも、ある高原状態とも言えるような時期ともいえます。 換言すれば、自分自身の特性や属性などが、確立し、変化に富むことが少なくなってくる(いい意味でも悪い意味でも…)時期とも言えます。 自分自身で動くことが主流であったライフスタイルが子どもや後輩、後身の育成といった次世代のライフサイクルと交差してくる時期でもあります。 具体的にはこれまで、自分の人生の中で培ってきた(育んできた)学問、知識、体験をより次世代、もしくは後進に伝えていくことによって、自身のより良い成長になり、自己が活性化されると考えられています。 人生の先輩として、後輩(他者)から求められることを与え、伝えていく。 そして、そのような、自身からの能動的な他者への関与をすることによって、より後輩(他者)から求められるといった良い循環が生まれることで、 「世代性」が生じます。 一方で、この時期に、次世代への関心の薄さや関わりの無さが強い場合、他者と関わりあいがなくなるため、自己満足や自己陶酔に陥りやすいと言われています。 そのような状態に陥ってしまうと、この時期のネガティブな力である 「停滞」が生じます。 (俗に言う、「頑固な中年」と呼ばれてしまうこともあります。 ) 現代の日本の現状は、この時期の問題が大いに影響しているとも考えられます。 時代の流れによる価値観の多様化などの要因も考えられますが、この年代が自身の価値観や考え方に意固地になり、後輩や後世の者たちに伝えることを避けてしまう傾向も見受けられます。 もちろん、後世の者たちにも、何らかの問題はあるとは思います。 しかし、この 「世代性」と 「停滞」という観点を考慮すると、良い循環ではなく、逆に「与えない」から「求めない」、「求めない」から「与えない」といった、悪循環に陥ってしまうことで、双方に停滞や孤独を生みだしてしまっているようにも感じられます。 成人期後期(40歳~65歳頃)の発達課題としては、自分の事しか考えられなくなってしまう 「停滞」(俗に言う「頑固」や「古い考え」などといったもの)よりも、次の世代を支え、育み、次世代の人生にも責任を持ち、良きものを次世代に託していくといった 「世代性」の方が上回ると、 「世話(ケア)」という「人格的活力」(よりよく生きていくための力)が備わるとしたのです。 「老年期」という言葉からも自明のように、この時期は「老い」の時期となります。 肉体的・身体的な衰えは万人に平等に与えられ、避けることはできません。 そのような衰えにより様々な機能の低下が生じやすくなってきます。 そのような機能の低下を補うように、これまでの経験や知識、人徳が集大成となっていく時期とも言えるでしょう。 エリクソンはこの 「自我の統合」の意味を「秩序を求め、意味を探す自我の動きを信頼する確信である」と述べています。 やや難解ですが、よりかみ砕いて言うのであれば、「家族や地域を超えた、より大きな世の中や人類の秩序や意味の伝承と、肯定的にも否定的にも、自分自身の人生を振り返った際に、「良い人生だった…」と確信をもって受け入れられる力」と言えるでしょう。 そして、この力は、最終的な「死」の受容に大いに影響を与えることは自明のことです。 その「死」を受け入れる力の乏しさや、様々な衰えに対しての恐怖などを抱くことは 「絶望」というこの時期のネガティブな力となります。 そして、この「絶望」の力が強すぎると、自ら命を絶つ(自殺)ことになってしまいます。 現在の日本では、より効率性・実用性が良しとされる風潮があると言えるでしょう。 そのような社会の中で、この老年期を捉えるとなれば、「役に立つか」、「役に立たないか」といった基準で評価される可能性が高まります。 それでは、この時期の拮抗のテーマである、 「自我の統合」よりも 「絶望」の方が上回る事は仕方ないことかもしれません。 そのような社会では、利用価値のないものは除外するといった殺伐なものとなるでしょう。 そのような殺伐としたものではなく、親子関係、兄弟関係といった小集団の段階から、学校、会社、国家、人類といった大きな集団においてまで、これまで述べてきた各段階のライフサイクルでのポジティブな力がネガティブな力より少しでも上回り、人格的活力を得たプロセスを経験していくことが最終的に、この 「自我の統合」に至ると言えるでしょう。 そのため、その衰えから精神疾患を発症する可能性が高い時期ともいえます。 以下は、この時期に多く見られると考えられる精神疾患や状態等です。 ・認知症(脳血管性認知症・アルツハイマー型認知症、レビー小体型認知症) ・うつ病 ・せん妄 ・神経症 ・アルコール依存症 9.<さいごに> エリクソンの提唱したライフサイクル論(8段階)を通して唱えられている、ポジティブな力とネガティブな力という「拮抗」のプロセスを乗り越えるには、それぞれの発達段階に応じたエネルギーが必要となってきます。 それらを全て順調に乗り越えていくことはほぼ無理と言えるでしょう。 そして、各段階を乗り越えれば、もう安心と言う訳ではなく、後戻りもあります。 つまり、様々な発達段階における拮抗のプロセスによる危機(不安)はどの年齢の時期にも存在するものであると理解されます。 例えば、幼児期後期(3歳~6歳ごろ)の拮抗のプロセスで「積極性」よりも「罪悪感」の方が勝り、何事に対しても無気力感や諦めといった目的を持つことが出来ない状態であったとしても、思春期・青年期(13歳~22歳ごろ)において、「自我同一性(アイデンティティ)の確立」と「アイデンティティの拡散」というテーマの中にいつつも、自分自身が夢中になるような対象や関心・興味に遭遇し、のめりこむ程の没頭や熱中することで、「積極性」が「罪悪感」を上回ることもあるでしょう。 そして、アイデンティティの確立と共に、人生の目的を見出すことに繋がるかもしれません。 人間が生きていく人生の中で、ライフサイクルの各時期は、前の段階の結果であり、次の時期の準備と言えるでしょう。 そのような形で各時期が親密に関わりあい、影響しあい、各個人の人生を作り上げていくといった理解が大切と言えるのではないでしょうか。 参考・引用文献 ・下山晴彦編、2003、「よくわかる臨床心理学」、ミネルヴァ書房. ・日本児童青年精神医学会監修、2009、「児童青年精神医学セミナー1」、金剛出版. ・内田伸子著、1999、「発達心理学」、岩波書店. ・鑪幹八郎著、1990、「アイデンティティの心理学」、講談社現代新書. ・鑪幹八郎著、2002、「アイデンティティとライフサイクル論」、ナカニシヤ出版. ・小此木啓吾他編、1998、「精神医学ハンドブック」、創元社. ・小此木啓吾、1978、「モラトリアム人間の時代」、中央公論社. ・森有正、1970、「生きることと考えること」、講談社現代新書..

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