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お雛様の由来・飾る時期、雛人形の登場人物って誰? [暮らしの歳時記] All About

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紙の人形でおままごとをする「ひな遊び」から、紙製立雛が誕生しました もうひとつは、ひな遊びです。 平安時代に、貴族の子供達の間で紙の人形でおままごとをする 「雛遊び」(ひいなあそび/ひなあそび)が盛んになりました。 「雛」は大きなものを小さくする、小さくてかわいらしいものという意味で、「ひな」の古語が「ひいな」です。 人形と身の回りの小物でおままごとをするのは、今も昔も変わらぬ人気の遊びですね。 これらが結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。 これが、いわゆる 「ひな人形」の原型です。 やがて人形作りの技術が発展し、立派なひな人形ができてくると、ひな人形は流すものから飾るものへと変化していきました。 また、上流階級では、嫁入り道具に豪華なひな人形を持たせるようになり、婚礼の様子や婚礼道具を模したものが好まれるようになりました。 やがて、江戸幕府によって上巳の節句(桃の節句)が五節句のひとつとして女の子の節句に定められると、財力のある商人達は競い合うように絢爛豪華なひな人形を誂えるようになり、立派なひな人形をひな壇に飾るようになりました。 自慢のひな人形を見せ合う 「ひな合わせ」や、ご馳走を持って親戚を訪ねる 「ひなの使い」、おひなさまに春の景色を見せてあげる 「ひなの国見せ」が流行し、美しいひな人形を持って 「ひな祭り」をすることが人々の憧れとなり、町をあげて祝うようになりました。 ついには等身大のひな人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどでした。 また、地方によっては土や紙で作った「土人形」や「押絵人形」などを飾るようになりました。 こうして、女の子が生まれると、その娘にひな人形を用意して初節句を祝うようになり、不幸はその娘の身代わりとなって人形に受けてもらい、健やかな成長と幸せな人生を願うようになったのです(詳しくは「」もご覧ください)。 上から1段目:内裏びな/2:三人官女/3:五人囃子/4:随身/5:仕丁/6と7:調度品や御所車など• 内裏びな 内裏(だいり)とは天皇の住まいである御所のことなので、内裏びな(男びなと女びな)は、御所にお住まいの天皇、皇后の姿をあらわしています。 また、皇太子、皇太子妃の姿などをあらわしたものもあります。 ちなみに、おひな様とはひな人形のことをいい、女びなのみを指すのではありません。 本来、男びなのみを「お内裏様」、女びなのみを「おひな様」と呼ぶのは間違いですが、童謡の歌詞の影響などで、そのような誤解が浸透しました。 また、日本古来の並べ方は、左上位の考え方により向かって右に男びな、左に女びな(人形側から見ると、左上位で左に男びな)でしたが、大正天皇や昭和天皇が国際マナーにそくして右上位に並んでいるのを見習い、昭和初期に関東の人形業界が、向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになりました。 今でも伝統を重んじる京都などでは、日本古来の並べ方をすることが多いです(詳しくは「」もご覧ください)。 三人官女 女官長は既婚なので眉がありません。 内裏に仕える女官たち。 中央の女官長はお酒を飲む盃を三方にのせて持ち(上方では松竹梅の飾りのついた「嶋台」)、既婚の象徴として眉を剃り、お歯黒をしています。 向かって左の女官は、お酒の入った「加えの銚子」を持ち、口を開いています。 向かって右の女官は、お酒を注ぐ「長柄の銚子」を持ち、口は閉じています。 五人囃子 お囃子の演奏をする人たち。 向かって左から太鼓(たいこ)、大鼓(おおつづみ/おおかわ)、小鼓(こつづみ)、笛(ふえ)、謡(うたい)。 それぞれの表情も違います。 なお、雅楽を奏する「五楽人」の場合もあります。 随身 お内裏様を警護する人たち。 向かって左の若者が俗にいう右大臣、右の髭をはやした老人が俗にいう左大臣で、弓矢を持っています。 仕丁 宮中で雑用をする人たち。 怒りじょうご、泣きじょうご、笑いじょうごの3人なので、三人上戸(さんにんじょうご)ともいい、台笠(だいがさ。 帽子をかけます)、沓台(くつだい。 靴をのせます)、立傘(たちがさ)を持ち、出掛けるときの様子をあらわしています。 ほうき、ちりとり、熊手を持っている場合は、宮中を掃除する様子をあらわしています。 ひな人形を飾る日、しまう日にも意味があります ひな祭りは春を寿ぐ意味もあるので 二十四節気の立春(暦の上で春が始まる日、2月4日頃)を迎えたら飾りはじめてもよいと言われています。 また、ひな祭りは水に関係する行事なので、 二十四節気の雨水(2月18日頃)に飾りはじめると良縁に恵まれるという言い伝えもあります。 いずれも、その節気に入る日や吉日を選ぶことが多いです。 そして、 ひな祭りがすんだらすぐに片付けると良いとされています。 なるべく早くしまうのは、「ひな人形を早くしまわないと、嫁に行きおくれる」という言い伝えによるものですが、そこにはこんな親心がありました。 そこで、厄を移したひな人形をいつまでも身近に置いておくと幸せな結婚もできないと考え、早く片付けて災いを遠ざけたほうが良いとされました。 また、いざ片付けるとなると面倒です。 しかし、いつまでも飾っておくと梅雨も近づきカビの心配もあるでしょう。 そこで、片付けも満足にできないようではきちんとした女性になれず、いいお嫁さんにもなれないと考え、早く片付けるようしつけました。 早く飾り出すと「早く嫁に出す」、早くしまうほど「早く片付く(嫁に行く)」ととらえ、早くおひなさまのような幸せな結婚ができるよう願いました。 ひな人形を早くしまえないときの裏ワザ! このような意を汲んで早めに片付けるようになりましたが、時間がないときや湿気が多い雨の日は、片付けには向きません。 そんなときは、内裏びなを後ろ向きに飾り、「お帰りになった」「眠っていらっしゃる」と解釈する方法もあります。 もちろん、気にしないで飾っておいても構いませんが、春を寿ぐという意味では、3月中旬、遅くとも春分(3月21日ごろ)までにはしまいましょう。 また、ひな祭りを旧暦で祝う地方や、旧暦の3月3日まで飾っておく地方もあります。 【関連記事】•

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時期 [ ] までは、()の3月の(、桃の節句)である(現在の頃)に行われていた。 の改暦以後は()のに行なうことが一般的になった。 一部の地域では、引き続きに旧暦3月3日に祝うか、新暦に祝う(・など・に多い)。 旧暦の3月3日は、の花が咲く時期であるため「桃の節句」と呼ばれることが多い。 現代の雛祭りは新暦3月3日に室内で行うことが一般的であるが、かつて農村部などでは暖かく春らしくなった旧暦3月3日に子供が野遊びに出掛けて「草花びな」を作ったり、や野外料理を食べたりする風習が一部にあり、現代でも伝承している地域がある。 また、江戸時代には、のの節句に雛人形をもう一度飾る「後(のち)の節供」という飾る習慣があった。 仁尾町の一部では、雛祭りは行わず、に雛人形を飾る。 これは、に仁尾城が落城したのが旧暦3月3日であったためとされる。 地区では、ひな祭りをに行っていた。 『室津追考記』によると、戦国時代の9年()、室山城主・の次男・との娘との間で挙げた(結婚式)の夜に、かねてより対立関係にあった龍野城主・の急襲を受けて政宗は清宗もろとも戦死し、花嫁も亡くなり、室山城は落城した。 室津の人々はこの出来事を悼み、非業の死を遂げた花嫁の鎮魂のために、3月3日ではなく、半年遅れの八朔に雛祭りを延期したとされる。 戦後、この風習は長く途絶えていたが、近年、町おこしの一環の「八朔のひな祭り」として復活した。 歴史 [ ] 「雛祭り」はいつ頃から始まったのか歴史的には判然とせず、その起源説は複数ある。 ので既にの子女の雅びな「遊びごと」として行われていたとする記録がある。 その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。 初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためである。 一方、平安時代には川へ紙で作った人形を流す「」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。 江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。 3月の節句の祓に雛祭りを行うようになったのは、の年間以降のことだと推測されている。 江戸時代初期にはの名残を残す立った形の「立雛」や、座った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対のを飾るだけの物であった。 しかし、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財の一つに数えられるようにもなった。 そのため、自然と華美で贅沢なものになっていった。 時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。 年間からは、が倹約政策のとり、大型の雛人形が一時禁止された。 『御触書宝暦集成』十五では、「雛は八寸以下、雛諸道具はは不可」という制限が見られる。 しかし、この規制を逆手に取り「芥子雛」と呼ばれる精巧を極めた小さな雛人形(わずか数センチの大きさ)が流行した。 ひな遊 文久頃婦人(三十六佳撰) 江戸時代後期には京で「有職雛」とよばれる宮中の雅びなを正確に再現したものが現れた。 さらに江戸では新たに独自の内裏雛として今日の雛人形につながる「古今雛」が現れ、京に伝えられた。 江戸で製作された古今雛には、原舟月などの作家ものがあり、ガラス製の玉眼も比較的早く用いられた。 製に玉眼が入るのは江戸の名職人であった渡辺玉翁が京で修行した際にこれを伝えた幕末である。 またまでには官女・・仕丁などの内裏人形につき従う従者人形が考案されたほか、特に江戸ではの終わり頃から五人囃子人形が現れて人気を集めた。 さらに大道具や小道具も増え、京では京都御所のを模した雛御殿や台所用具 が作られて御殿飾りとして発展した。 いっぽう江戸では御殿飾りが広まらず 、代わりに雛壇と嫁入り道具を用いた大規模な段飾りが発展するなど、東西で異なった形によりスケールが大きくなっていった。 戦後になると西日本の御殿飾りは大きさと複雑さにより組立と収納が大変であったことにくわえ、百貨店等の流通業者により取扱商品の全国的統一が進んだことなどにより昭和30年代に急速に廃れ、壇飾りに押されて姿を消した。 現在では関東で多くひな人形が作られており、特にが多く 、とは名高い。 雛人形 [ ] 天神さま飾り 「雛人形」は、の装束を模している。 立纓冠は以降に始まったため、伝統的には男雛の冠には、女雛の冠には天冠が適切である。 髪型は主に「(おすべらかし)」と「古典下げ髪(こてんさげがみ)」がある。 「大垂髪」は、平安時代からの垂れ髪形式が鎌倉・室町を経て、江戸時代後期に完成された比較的新しい髪型で、ビン(前髪部分)を大きく張った髪型である。 「古典下げ髪」は、割り毛とも呼ばれ、平安時代では長く黒い髪が美人の条件とされていたため、髪を全て後ろへ流し、わずかに垂らした両頬の毛を切りそろえた髪型で、顔を髪の毛で三方から包むことで面長に見せ、肌色の白さを強調し、より美しく見せるためとされる。 「古典下げ髪」は、「大垂髪」よりも結髪の技法が難しく、結髪師の技量が問われるため現在は希少となっている。 多くは藁で作られた土台に衣装を着せ付け、別に作られた頭部を合体して作られているものが多い。 また木目込みの技法で比較的小さなサイズで作られているものも人気がある。 その他、土製のものや陶器・木製などのものもあり多くの種類がある。 段飾りのように主に内裏雛が座っている形のものが多いが、立雛のものもある。 古くから嫁入り道具の一つとされたため雛人形は、母方のから贈ることが一般的とされた が、現在では家庭により異なる。 このため代々伝わっているものや遠方から嫁いできた時に持ち込まれたものもあるため、地域差は一概には言えないが、関東地方と関西地方と二分され、飾り方や各人形の形・持ち物が異なっている。 関東地方では主に武家の持ち物・暮らしを表したものが多く、関西地方では御所・宮中の暮らしを模したものが多い。 (乗り物で関東は「駕籠」、関西は「牛車」の違いなど) 種類 [ ] 内裏雛(だいりびな) [ ] 男雛と女雛が一対である。 とを模したものとされる。 皇族用の繧繝縁(うんげんべり)のの親王台が敷かれる。 男雛は束帯(縫腋袍)に冠、飾り太刀をつけ、手には笏を持つ。 女雛は五衣唐衣裳装束(十二単)に頭には平額(ひらびたい)に 釵子(さいし)櫛をつけ手に檜扇を持つ。 メーカーや好みによって男雛はおおむね同じ型のが多いが、女雛の装束は一番上の唐衣の形が違うなどバリエーションがある。 昨今では従来の座ったもののほか、立ち姿の立ち雛の形のものやの婚礼にあやかった装束を模した内裏雛を作るメーカーもある。 「内裏雛」とは男雛と女雛の2人で一対を指す 、江戸前期からあった表現で 、とは天皇の宮殿(御所)を意味する。 また「お雛様」は雛壇の人形全てを指す。 本来、男雛のみを「お内裏様」、女雛のみを「お雛様」と呼ぶのは誤りであるが 、現代では誤用ながらも広く用いられている。 この誤用はが作詞した「」の歌詞から広まったといわれる。 サトウハチロー自身はこの誤りを恥じ、後々まで気にしていたという。 宮中のしきたりに拠り、内裏雛に近侍する(2人が多い)が飾られることもある。 段飾りの場合は男雛と女雛のそれぞれ外側に、御殿飾りの場合は親王台の前に配置する。 官女(かんじょ) [ ] 宮中に仕えるをあらわし、二段目に配置する。 現在では通常3人1組であるため「三人官女」と呼ばれることが多いが、戦前の豪華なものなどでは「五人官女」や「七人官女」のこともある。 三人の場合手に持つ道具は、中央が主に関東においては三方・関西においては島台(松竹梅)、向かって右に長柄(ながえ)、左には提子(ひさげ)、高坏がある例では各女官の間に飾る。 中央の官女が座って両側が立っているものが多いが、逆に中央の官女が立ち両側が座っているもの、さらに全員が立っているものなど、時期や製作者により形態はさまざまである。 また、中央の官女はリーダー格とされ、眉を剃りをつけた既婚者の姿で表される。 五人囃子(ごにんばやし) [ ] のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし、三段目に配置する。 向かって右から、(うたい・扇を持っている)、(ふえ)、(こつづみ)、(おおつづみ)、そして(たいこ)の順であり、右から楽器が小さい順番に並んでいる。 能囃子の代わりにの楽人の場合もあり、5人もしくは7人であることが主である。 「五楽人」の場合は向かって右から、(かっこ・楽太鼓)、(しょう)、(かえんだいこ)、(ひちりき・縦笛)、横笛(竜笛)の順に、「七楽人」の場合はの2人が加わり、向かって右から、羯鼓、、笙、火焔太鼓、篳篥、横笛、またはの順に並べる。 随身(ずいじん、ずいしん) [ ] 四段目に配置する。 通称:と。 向かって右が左大臣で年配者、向かって左が右大臣で若者である。 いずれも武官の姿であり、正しくはまたは少将である。 ・も参照。 仕丁(しちょう) [ ] 従者と護衛(あるいは衛士)や雑役をあらわし、通常3人1組の人形を五段目に配置する。 怒り、泣き、笑いの表情から、三人上戸(じょうご)の別称もある。 を剃っていることが多い。 主に関東においてはそれぞれ、をかざしてお供する係、殿の履物をお預かりする係、雨をよける丸い笠(かさ)を竿(さお)の先にのせてお供する係を分担している。 向かって右から立傘(たてがさ・雨傘)、沓台(くつだい)、台笠(だいがさ・日傘)の順に飾る。 また主に関西では、、、を手にすることもあり、宮中の清掃の役目をする。 この時は向かって右から竹箒、塵取、熊手の順に飾る。 なお御殿飾りの場合などでは清掃役の代わりに炊事役として火にかけた鍋を囲んでいるものもあるほか、護衛としての2人1組の侍が追加されていることもある など、従者と護衛と雑役をそれぞれ別に設けた大所帯となっていることもある。 メーカーによる追加 [ ]• 三歌人(、、)・久月の八段飾り雛• 三賢女(、、) 配置 [ ] 七段の雛人形の例 三人官女以下のその他大勢の随臣、従者人形を「供揃い」という。 現代日本では男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多く 、の新郎新婦もそれに倣っているが、人形の配置の仕方は下記のとおり近代前後で変化があり、それが現在も地域差として残っている。 壇上の内裏雛はの宮中の並び方を模している。 かつての日本では「左」が上の位であった。 人形では(雛では髭のある年配の方)が一番の上位で、から見ての左側(我々見る側からの向かって右)にいる。 ちなみに飾り物の「、」での桜は天皇の左側になり、これは宮中のの敷地に実際に植えてある樹木の並びでもある。 の時代までは左が高位というそのような伝統があったため天皇である帝は左に立った。 西日本の一部ではこの配置を続けている家庭もある。 しかしのによって日本もし、その後に最初の即位式を挙げたはに倣って右に立った。 それがのとなり、はいつも右に立ちが左に並んだ。 それにならい、男雛を右(向かって左)に配置することが一般的となった。 飾り方 [ ] 飾り方にも全国各地で色々あるが、多くはこの3種の飾り方である。 御殿を模しての全部の飾り方(段飾りなどを含む)• 御殿の内の一室を拝しての飾り方• 屏風を用いて御座所の有り様を拝しての飾り方 元々、雛人形は室内の一室に平面に各人形や道具類・調度類を並べて飾り楽しむ飾り方をされてきた。 そのため、この元々の平面で飾っていたものが、今で言うドールハウスのように、人形専用の御殿を作りそれを中心とした飾り方に変化していく。 九州地方や古い雛人形では「雛御殿」という建物を使った「御殿飾り雛」という飾り方をしているものも多い。 これは江戸末期から昭和の初めまで飾られていた。 また、段飾りは一説によると箪笥の引き出しを階段状に整えて、そこに緋毛氈を敷き飾ったとも言われているが、江戸時代頃から行われるようになり現在でもその形が引き継がれている。 さらにはお囃子に使うや、(ぼんぼり)、などの家財道具を一緒に飾ることもある。 昭和時代を中心に上段の写真にあるような五段、七段(七段飾りは高度経済成長期以降に主流になる)が多く、昭和後期には八段の檀飾りも登場し、従来より増えた段に菅原道真・小野小町・柿本人麻呂の三歌人や、紫式部などが乗せられたものが多かったが、以後昭和の後期から平成になると団地やマンションなど和室がなく七段飾りを飾るスペースがないなどの理由から、本来の内裏雛のみ、または内裏雛と三人官女のみの簡素化されたセットが作られるようになり、こういった段数を減らしたものが主流となっている。 この際、収納に便利なように人形がしまわれている箱がそのまま飾り台として用いられるようになっているなどの工夫がされていることもある。 戦前までの上方・京都や関西の一部では天皇の御所を模した御殿式の屋形の中に男雛・女雛を飾り、その前の階段や庭に三人官女や五人囃子らを並べ、横に鏡台や茶道具、重箱などの精巧なミニチュアなどを飾っていた。 祭りの日が終わった後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという話は昭和初期に作られた俗説ともされ、旧暦の場合、が間近であるため、早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやが生えるから、というのが理由だとされる。 また、地域によっては「おひな様はの飾りもの。 のできちんと片付ける」などの意味からもいわれている。 この行事に食べられる食品は、、が必須の定番で、他にやの料理(等)、が加わることもある。 地方によっては生菓子のもある。 こういった料理は「雛料理」と言われ、デパートや料理店でも季節の料理としても提供される。 雛人形の生産地・販売地 [ ] に集中しており、生産地としてはのやのであるが有名。 またのも小規模ながら生産店が存在する。 販売に関しては全国の商業施設で販売されているが、集中して軒を連ねるのは、人形の問屋街であるの周辺(・など)が有名で、「人形の」「」「(「顔が命の〜」のCMキャッチコピー)」といった専門店がある。 これらの店舗は毎年正月から2月ぐらいにかけテレビCMを流す。 ちなみに雛人形と共に手掛けるも3月3日以降にCMが流れる。 雛祭りが祝日でない理由 [ ] 江戸時代、雛祭りは「」のひとつとして「として存在した」とされる。 このため、戦後になって新たに祝日を作ろうとする動きが見られるようになる。 祝日制定にあたり3月3日の案や、のの案も出ていたが、最終的にはのの節句を祝日(こどもの日)とする案が採用された。 北海道・東北をはじめ寒冷で気候の悪い地域の多い時期を避け、全国的に温暖な時期の5月にしたというのが大きな理由の一つとされる。 特色ある雛祭り [ ] 各地で、大量に雛人形飾りを公開したり、特色ある飾りを飾ったり、少年少女、又は成人の男女が雛人形に扮したりする祭り等が、この期間中に開催される。 ひな飾りと桃の花まつり - 2月から4月。 雛壇の上に数多くのに吊るし雛を飾る。 鴻巣びっくりひな祭り - 3月上旬。 であるを巨大な「ピラミッドひな壇」に飾る。 - 、又はその直前の土日に年1日限り開催。 の「百段階段」に多くの雛人形を飾る。 茨城県大子町の「百段階段でひなまつり」 雛祭りを歌った楽曲 [ ]• (、作詞:山野三郎()、作曲:河村直則()、1936年、ポリドール)• ひなまつり(童謡、作詞:、作曲:三宅延齢/。 同じ詞に2つの曲がつけられた。 中山晋平版は1929年にが歌いビクターからレコード発売)• おひなまつり(童謡、作詞:斎藤信夫、作曲:)• ひなまつり(童謡、作詞:斉木秀男、作曲:三宅延齢)• ひなまつりの歌(童謡、作詞:、作曲:河村光陽)• おひなさま(絵本、作者不明)• たのしいひなまつり(童謡、作詞:、作曲:)• 血塗られたひな祭り(、作詞・作曲:、歌:)• (、作詞・作曲:、歌:)• 雛祭(、作者不明)• ひなまつり(文部省唱歌、作詞:、作曲:)• 雛祭り(童謡、作詞:林柳波、作曲:)• ひなまつり(童謡、作詞:水谷まさる、作曲:小松清)• 雛祭の宵(ひなのよい、童謡、作詞者不詳、作曲:)• 雛の宵(、作詞:松正子(夫人)、作曲:今藤政太郎)• 雛の宵() 出典 [ ] []• 『日本経済新聞』夕刊2018年3月3日(社会面)• 1999年. 隠居大名の江戸暮らし. 吉川弘文館. 52ページ. 五人囃は能楽の楽団であり、武家に用いられたものである• 関西ではひな祭りに台所の使い方を女の子に教える風習があり、ミニチュアとして実際に使われた• 初代原舟月が雛御殿と左近の桜・右近の橘を作ったところ、奉行所に不敬として捕らえられ、江戸より出身の大坂へ追放された• 2位の3. 5倍程度であり• 2016年3月7日, at the. コトバンク• 2012年3月3日. の2012年3月2日時点におけるアーカイブ。 2013年1月19日閲覧。 NIKKEIプラス1. 2019年2月26日閲覧。 」と言い切っている他、明治時代の並べ方として挿絵では向かって左に女雛・右に男雛が描かれている。 (坪内雄藏 著『國語讀本 尋常小学校用』 株 冨山房インターナショナル、2012年復刻版、、p. 256-257)• 2019年2月10日. 2019年2月26日閲覧。 2019年2月23日. 2019年2月26日閲覧。 ひな祭り 文化普及協會 公式ホームページ• 八楽人のこともあり、その場合は和琴と箏をともに加える。 真多呂人形博物館• ひな祭り 文化普及協會 公式ホームページ• 雛御殿に脇御殿があり階段が2箇所以上ある場合など• e-まちタウン。 『人形手帳』() P. 65では、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としている 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 雛祭りに関連する および があります。 (この流し雛という風習の始まりは古代の祓い神事の人形であったといわれる)• 外部リンク [ ]• - 1986年 カラー 25分 、科学映像館• - 大百科事典 平凡社, 1939• 武田京子、岩手大学教育学部研究年報第54巻第2号(1995.

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紙の人形でおままごとをする「ひな遊び」から、紙製立雛が誕生しました もうひとつは、ひな遊びです。 平安時代に、貴族の子供達の間で紙の人形でおままごとをする 「雛遊び」(ひいなあそび/ひなあそび)が盛んになりました。 「雛」は大きなものを小さくする、小さくてかわいらしいものという意味で、「ひな」の古語が「ひいな」です。 人形と身の回りの小物でおままごとをするのは、今も昔も変わらぬ人気の遊びですね。 これらが結びつき、人の厄を受ける男女一対の紙製立雛が誕生しました。 これが、いわゆる 「ひな人形」の原型です。 やがて人形作りの技術が発展し、立派なひな人形ができてくると、ひな人形は流すものから飾るものへと変化していきました。 また、上流階級では、嫁入り道具に豪華なひな人形を持たせるようになり、婚礼の様子や婚礼道具を模したものが好まれるようになりました。 やがて、江戸幕府によって上巳の節句(桃の節句)が五節句のひとつとして女の子の節句に定められると、財力のある商人達は競い合うように絢爛豪華なひな人形を誂えるようになり、立派なひな人形をひな壇に飾るようになりました。 自慢のひな人形を見せ合う 「ひな合わせ」や、ご馳走を持って親戚を訪ねる 「ひなの使い」、おひなさまに春の景色を見せてあげる 「ひなの国見せ」が流行し、美しいひな人形を持って 「ひな祭り」をすることが人々の憧れとなり、町をあげて祝うようになりました。 ついには等身大のひな人形まで登場し、贅沢を警戒する幕府によって人形の大きさがおよそ24センチに制限されたほどでした。 また、地方によっては土や紙で作った「土人形」や「押絵人形」などを飾るようになりました。 こうして、女の子が生まれると、その娘にひな人形を用意して初節句を祝うようになり、不幸はその娘の身代わりとなって人形に受けてもらい、健やかな成長と幸せな人生を願うようになったのです(詳しくは「」もご覧ください)。 上から1段目:内裏びな/2:三人官女/3:五人囃子/4:随身/5:仕丁/6と7:調度品や御所車など• 内裏びな 内裏(だいり)とは天皇の住まいである御所のことなので、内裏びな(男びなと女びな)は、御所にお住まいの天皇、皇后の姿をあらわしています。 また、皇太子、皇太子妃の姿などをあらわしたものもあります。 ちなみに、おひな様とはひな人形のことをいい、女びなのみを指すのではありません。 本来、男びなのみを「お内裏様」、女びなのみを「おひな様」と呼ぶのは間違いですが、童謡の歌詞の影響などで、そのような誤解が浸透しました。 また、日本古来の並べ方は、左上位の考え方により向かって右に男びな、左に女びな(人形側から見ると、左上位で左に男びな)でしたが、大正天皇や昭和天皇が国際マナーにそくして右上位に並んでいるのを見習い、昭和初期に関東の人形業界が、向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになりました。 今でも伝統を重んじる京都などでは、日本古来の並べ方をすることが多いです(詳しくは「」もご覧ください)。 三人官女 女官長は既婚なので眉がありません。 内裏に仕える女官たち。 中央の女官長はお酒を飲む盃を三方にのせて持ち(上方では松竹梅の飾りのついた「嶋台」)、既婚の象徴として眉を剃り、お歯黒をしています。 向かって左の女官は、お酒の入った「加えの銚子」を持ち、口を開いています。 向かって右の女官は、お酒を注ぐ「長柄の銚子」を持ち、口は閉じています。 五人囃子 お囃子の演奏をする人たち。 向かって左から太鼓(たいこ)、大鼓(おおつづみ/おおかわ)、小鼓(こつづみ)、笛(ふえ)、謡(うたい)。 それぞれの表情も違います。 なお、雅楽を奏する「五楽人」の場合もあります。 随身 お内裏様を警護する人たち。 向かって左の若者が俗にいう右大臣、右の髭をはやした老人が俗にいう左大臣で、弓矢を持っています。 仕丁 宮中で雑用をする人たち。 怒りじょうご、泣きじょうご、笑いじょうごの3人なので、三人上戸(さんにんじょうご)ともいい、台笠(だいがさ。 帽子をかけます)、沓台(くつだい。 靴をのせます)、立傘(たちがさ)を持ち、出掛けるときの様子をあらわしています。 ほうき、ちりとり、熊手を持っている場合は、宮中を掃除する様子をあらわしています。 ひな人形を飾る日、しまう日にも意味があります ひな祭りは春を寿ぐ意味もあるので 二十四節気の立春(暦の上で春が始まる日、2月4日頃)を迎えたら飾りはじめてもよいと言われています。 また、ひな祭りは水に関係する行事なので、 二十四節気の雨水(2月18日頃)に飾りはじめると良縁に恵まれるという言い伝えもあります。 いずれも、その節気に入る日や吉日を選ぶことが多いです。 そして、 ひな祭りがすんだらすぐに片付けると良いとされています。 なるべく早くしまうのは、「ひな人形を早くしまわないと、嫁に行きおくれる」という言い伝えによるものですが、そこにはこんな親心がありました。 そこで、厄を移したひな人形をいつまでも身近に置いておくと幸せな結婚もできないと考え、早く片付けて災いを遠ざけたほうが良いとされました。 また、いざ片付けるとなると面倒です。 しかし、いつまでも飾っておくと梅雨も近づきカビの心配もあるでしょう。 そこで、片付けも満足にできないようではきちんとした女性になれず、いいお嫁さんにもなれないと考え、早く片付けるようしつけました。 早く飾り出すと「早く嫁に出す」、早くしまうほど「早く片付く(嫁に行く)」ととらえ、早くおひなさまのような幸せな結婚ができるよう願いました。 ひな人形を早くしまえないときの裏ワザ! このような意を汲んで早めに片付けるようになりましたが、時間がないときや湿気が多い雨の日は、片付けには向きません。 そんなときは、内裏びなを後ろ向きに飾り、「お帰りになった」「眠っていらっしゃる」と解釈する方法もあります。 もちろん、気にしないで飾っておいても構いませんが、春を寿ぐという意味では、3月中旬、遅くとも春分(3月21日ごろ)までにはしまいましょう。 また、ひな祭りを旧暦で祝う地方や、旧暦の3月3日まで飾っておく地方もあります。 【関連記事】•

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