ぼ せい あふれる ちょう こく。 ふこくきょうへい【富国強兵】

釣研「瞬黒(しゅんこく)」「大征黒(だいせいこく)」

ぼ せい あふれる ちょう こく

生産者 小野寺 實 小野寺 ひかる 私たちのおコメ作りでは、環境ホルモンなど人体への影響が心配される除草剤などの農薬や化学肥料を必要としません。 私たちはもちろん、子どもや孫たちにまで安心して食べてもらえるお米がそれだけ増えていきます。 いつまでも残ってほしい美しい日本の田園風景や自然環境がこの農法によって維持され、守られてゆくことを願っています。 「生命あふれる田んぼのお米」を精一杯のこだわりと愛情で生産する小野寺家に嫁ぐこと、はやウン年。 大家族の中で育児に東北弁に苦戦しながらも、田んぼの生き物調査などに没頭する生活を月一回楽しく書いた『』をぜひご覧下さい! ラムサール条約登録・蕪栗(かぶくり)遊水地 近年食に対する不安感と共に安全性の要求が高まってきています。 私ども株式会社スカイフードでは自社基準を設け、自分の足で現地を歩き、自分の目で確認することをモットーにしてまいりました。 お米の栽培に関しても例外ではありません。 厳しい社内検査基準 例えば、有機肥料では鹿児島にある工場を訪ね、原料である鶏糞の餌に遺伝子組み替えの餌を使用していないこと、抗生物質を使用していないこと、そしてその餌を食べた鶏糞が完全に発酵されて肥料に最適な状態にまで作られていることを確認してきました。 充分発酵されない肥料はかえって土を汚してしまい稲の成長に良くないからです。 さらに稲にとって大切な水源も源流まで遡り、源流から出水口までに化学品工場のない確認、また水に有害物質が含まれていない分析も行いました。 お米の検査も徹底体制 勿論収穫物のお米に残留農薬がない分析確認。 苗作りの段階でも殺菌剤を使用しない技術確認。 取り決めた農薬・化学肥料不使用の栽培マニュアルの実施記録と検査を現地在住の社員に確認させています。 このように安全性をお客さまの目線と同じ位置で見てまいりました。 こうして初めてお客さまに安心して提供できるお米が出荷の段階までできるようになりました。 より一層の管理と規格のもとで、生命あふれるたんぼのお米が収穫されようとしています。 「生命あふれる田んぼのお米」は、JAS有機米から農薬・化学肥料無使用米へ移行いたします。 JAS有機米から農薬・化学肥料無使用米へ移行する背景 平成17年に有機JAS法が改正され、新有機JAS法が制定されました。 新法は、海外の有機栽培を基準として制定され、特に「肥培管理~有機質肥料の種類など」が大きく見直されました。 日本の伝統的な稲作では、家畜由来の有機質堆肥を活用することにより、同じ作物を作ることによる大地 田んぼ の養分不足を補い、食味の向上の役割を担ってきましたが、改正された有機JAS法では、田んぼ及び田んぼ周辺で算出された有機畜産による堆肥以外は使用禁止となりました。 もとより、私たちは有機JAS法制定以来それに適合した栽培と管理を行い、全ての有機JAS認定条件を満たすお米をお客様にお届けして参りましたが、これまで通りの有機JAS法認可の有機質肥料が使えなくなりますと、充分な稔りを得ることが出来ず、収穫量の大幅な減少と共に、生産農家の生計を危うくします。 また有機JAS法の解釈は、認定団体によって異なり、生産者は認定団体の解釈の違いにより振り回されている現状です。 このような背景のもと、国の政策によって左右されることなく、「田んぼに生きるたくさんの生命たちと共生した稲作り」との理念に基づいたお米作りへの第一歩を踏み出すことに至りました。 農林水産省の分類では、特別栽培米 農薬・化学肥料無使用米 となりますが、これまで通りの有機JAS法に基づく栽培と管理を継続し、皆様に美味しく安心してお召し上がりいただけるお米作りに全力で取り組んでまいる所存です。 どうぞ、私たちの趣旨をご理解いただき、ご支援・ご愛顧を賜りますよう、重ねてお願い申し上げます。 末筆となりましたが、時節柄くれぐれもご自愛下さいますよう、お祈り申し上げます。 炊いているうちに、釜から漂ってくる薫りがますます食欲をそそります。 一粒一粒がふっくらと炊き上がった米粒の内側から、はじけるような弾力を感じさせます。 時期 通常の農法 「生命あふれる田んぼのお米」の農法 耕起 何度もトラクターで耕し、春になってから、化学肥料を投入します。 自然のリズムに従い、ゆっくりと春の訪れを待ちます。 田んぼに棲む様々な微生物が元気になるように、有機質肥料(米ヌカ、モミガラ)をまきます。 種モミ ホルマリンなどの薬剤によって消毒が行われます。 そして発芽に必要な水分を吸収するだけの時間、水に浸します。 薬剤に漬けて病原菌を殺すのではなく、温湯消毒で熱殺菌し、病気を予防します。 その為、急激に成長しまずが、茎や葉は細く、軟弱従長した苗となります。 育苗日数は、約20日(2. 5葉の稚苗植え)。 さらに外気にさらし、葉が5~6枚になるまで田植えをしないので、冷害にも強い苗になります。 育苗日数は、通常の2倍の約40日(4. 5~5. 5葉の成苗植え)。 代かき 田んぼは丁寧に代かきされ、水面は鏡のようになります。 田植えしやすいように表面を5~7cmだけ浅く耕します。 さらに、稚苗のか弱さを補うために化学肥料を与え、農薬を使用します(稲は急激に生育するが、根は深く張らない)。 田植え後しばらくすると、除草剤がまかれます。 植え付けられた稲は、堅い土壌の中に、なんとか根を張ろうとします(稲の野生化)。 米ぬかなどの自然の力、手刈りなどを行い除草剤は使いません。 雑草と競い合って生き抜いてこそ野生のたくましい稲に育つのです。 稲の生長 密植で化学肥料を多投するため、初期生育が盛んですが、6月にもなると株どうしが込み合い、病害虫の住処となります。 そして、十分な日光を浴びることができず、茎は細くなります。 水温が上昇してくると、土中でガスが湧くために根腐れが起こります。 はじめのうち生育は緩やかで、分けつ茎の発生は少ないのですが、植付け本数が少ないので、十分な日光を浴びることができ、親茎は太く生育します。 水温が安定し根に酵素が供給されるため、根腐れは起こらず、根は葉や茎に養水分を与えられます。 田んぼの 生き物 除草剤をまいているので、稲以外の植物は一切ありません。 病害虫が発生しても、それを食べる天敵が少ないので、害虫の大発生がしやすい状態になり、さらなる農薬の使用につながります。 サヤミドロは光合成により、大量の酵素を発生させるので、田んぼの水質浄化にも貢献しています。 また収穫後は、土に還り自然の肥料となります。 入水後、最初にミジンコが大発生します。 そして水が湿まってくると、クリーンな水質の田んぼにのみ発生するサヤミドロ(藻)が付着します。 サヤミドロの発生とともに、動植物プランクトンが増殖し、おびただしい数のタニシやドジョウ、トビムシ、メダカが棲みつき、夏の早朝、田んぼからは数千匹のトンボの群が飛び立ちます。 ここには、害虫も益虫もいて、食物連鎖の網を形成し、安定した環境を作り出しています。 収穫 硫化水素などの害により、根腐れを起こすため、秋落ちや倒伏の危険性があります。 根に活力がないため、穂に養分や水分を送りつづけることができず、米粒は小さくなります。 雑草と競い合って生き抜いた とにかく元気なお米です! 従来の精米機よりもはるかにお米を優しく丁寧に精米するダイヤモンド精米機により、胚芽に強い圧力をかけることなくお米をじっくりと磨き上げるので、胚芽が欠けずにほぼ原型のまま米粒に残り、ヌカもきれいに取り除かれます。 そのため、胚芽の甘みたっぷりの、今までにないお米のおいしさが引き出されました。 精米によりヌカ層を取り除くため、食感がやわらかく、消化吸収に優れており、ギャバ(ガンマアミノ酪酸)、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンE、食物繊維等滋養たっぷりのごはんをおいしくお召し上がり頂けます。 粉にしないで丸粒のままお煎餅にしております。 うるち米以外の穀物も全て国産を使用し、調味料にもこだわり、醤油・砂糖・みりんは全て国産原料で無添加のものを使用しています。 化学調味料は不使用です。 香ばしく、さっくりと美味しい味わいはお茶うけにぴったりです。 原材料: 精米、米油、玄米、醤油、餅米、黒米、裸麦、はと麦、もちきび、もちあわ、ひえ、粗糖、みりん、昆布、鰹節(原材料の一部に小麦、大豆を含む) 賞味期限: 製造日より120日 保存方法: 直射日光や高温多湿をさけて保存してください。 プレマ株式会社は「第4回 これからの1000年を紡ぐ企業認定」を受けました。 『売れる商品』のバイヤーが存在しない会社です! 「売れる商品」が必ずしもほんまもんの価値を備えているとは限りません。 私たちは「売れる商品を売る」ことよりも、「良い商品」が私たちの行動によって徐々に評価されていくことを非常に大切だと考えています。 また、一見立派で、実際にはザルのような科学的っぽい基準を振りかざして商品選定の正当性を強調するよりも、私たちは人間の可能性に着目し、直感と感性をよりどころにしています。 この姿勢を端的に表す言葉として「愛」と「叡智」を掲げており、その広がりのなかで世界が「弥栄(いやさか)」してゆくことを確信しています。 プレマとつきあう人への5箇条• 自分に勝る名医なし 感性と直感、自分の潜在意識を信じてみよう• ありがとうございますは魔法のことば 言葉の力はすさまじい よくもわるくも• 完璧を目指すより、よりよくを目指そう 完璧主義は自分も人も追いつめる• 健康食品への期待はほどほどに 食と生活習慣、こころのあり方をまんなかに• 迷ったら買わないようにしよう 無理な決断はお金の無駄遣い、素直に行こう 元気になりたい人のための5つのキーワード• 減らす• 許す ご注意 弊社では医薬品(いわゆる「お薬」)は一切取り扱っておりません。 弊社でご案内しております商品の一部に健康食品がございますが、これは医薬品とは全く別のものです。 健康食品は健康に役立つ場合もありますが、そうでない場合もあります。 過剰な期待は絶対厳禁です。 あくまでも補助であり、本筋ではありません。 弊社の事務所や倉庫には、商品のエネルギーを高めるための工夫を重ねています。 それはそこに存在するものの抗酸化力(還元力)、癒しの力を高めるためのものです。 、 、 、 、 、 を配置し、さらに常に の音楽を聴かせています。 考えられるエネルギーを高めるための施策を多重に施して、最高の状態でお届けやサポートができるように宇宙の摂理と「場」を高め続け、お客様の人生をさらによいものに変えられるよう、「見えない力」と強い想いを載せて今日もガンバリます。 是非弊社の「ほんまもんたち」を手に取って頂き、「見えない違い」=ポジティブエナジーを脳の右側で、そして全身の細胞で感じてみて下さい! 『愛する人に心から与えられるものを』 『子どもたちに生き続けられる未来を』 『かけがえのない、あなた自身に力を』 そんな願いが私たちの提供する全てに息づいています! 中川信男.

次の

蒟醤(きんま)

ぼ せい あふれる ちょう こく

こんにちは、ここ数日天候が崩れて気持ちもどんよりしちゃいますね。 うかがった日は大雨でした…晴れている日はお店の前に看板が出ていますので、わかりやすいですよ。 店内は細長く、本当に小さくて可愛いお店という表現がピッタリ。 突き当りにケーキのショーケースがあり、左側のカウンターには可愛らしい焼き菓子が並んでいます。 本日の私のお目当てはチーズケーキ!菓詩屋さんはチーズケーキの種類が多く、季節ごとのチーズケーキも出しているんです。 注文をするとお茶とお菓子がやってくる!? 菓詩屋さんは注文をすると、お茶とお茶菓子がまずやってきます。 あれれ?お茶とお菓子頼んでないけど…と、不安にならないで下さい。 なんとこちら、サービスなのです!菓詩屋さんは注文するケーキなどによっては、注文を受けてから仕上げをしてくれる時があり少しお時間がかかるんですね。 その待ち時間中にお茶とお茶菓子でお待ち下さいという、素晴らしい心遣い。 本日は可愛いクッキーとごまのケーキをいただきました。 ごまのケーキはごまが濃厚!老若男女問わず楽しめます。 緑茶、紅茶などさっぱりとしたお茶などに合わせてもいいですね。 くまさんクッキーは食べるのが気がひけるくらい可愛くて…(でも一口で食べましたけど・笑)クッキーにキャンディーがのっていて、このキャンディーのアクセントがまたいいんです。 菓詩屋さんはケーキだけじゃなく焼き菓子もたくさんあって、見ているだけで心がわくわく童心に戻っちゃいます。 人気ナンバーワンの型抜きクッキーから。 とうもろこしクッキーや、パイクッキー、色んな味が楽しめるMix。 ロックケーキにカントリークッキー。 スコーンもあります。 どれも丁寧に作られており、見ているだけで心が踊ります。 現在はバレンタイン向けのクッキーもあって、とっても華やか。 一つ一つに手書きの商品名が貼られており、本当に心がこもっているなぁと、こちらまでほっこりしてきます。 クッキーに使用しているのは100%バター。 ショートニング、マーガリン、添加物一切なしというこだわりも素敵。 ドリンクも販売しているそうで、今回は購入しませんでしたが、どれも美味しそうで次回是非購入しようと心に決めました 笑 こちらはおすすめのチョコレートケーキ、びっくりするほど濃厚との事。 こちらも心惹かれたのですが、すでにチーズケーキを3つ注文してしまったので…こちらも次回に持ち越しです。 お茶とお茶菓子を美味しくいただき、店内のお菓子を抜かりなくチェックし 笑 お会計。 チーズケーキを3種類購入し990円。 お支払いを済ますと…なんとお土産に『シフォンケーキのラスク』をいただきました。 お茶とお茶菓子に続き、お土産まで。 ミルクティのチーズケーキとコーヒー合うかな?と思っていたのですが、ものすごくぴったり!チーズケーキなのに、後味ふんわりミルクティ。 ミルクティの風味が強すぎないのでコーヒーにもぶつからないんです。 こちらは大人のためのチーズケーキですね。 お土産でいただいたシフォンケーキのラスク。 見た目硬そうに見えますが、ふわふわのシフォンケーキで作ってあるので、とっても軽いラスクでホロホロです。 ほんのり甘く優しい気持ちにさせてくれるお味です。 いやぁ、今回も大満足! 胸を張っておすすめできる癒やしのお菓子屋さん どのケーキ、お菓子も美味しいのは勿論の事、菓詩屋さんの魅力は真心、気遣い、優しさですね。 どの商品も丁寧に作られていますし、お店の方はとても誠実で安心して商品を購入する事ができます。 お店の方とお話をさせていただいたのですが、お客様の中には菓詩屋さんに合う雑貨などを持ってきてくださる方もいるとの事。 そのお話を聞いて納得! 一人一人に丁寧に心を込めて接客をしてくれる、行くだけで癒やされるお菓子屋さんなんですもの。 私もあらためて菓詩屋さんのファンになりました。 変更される場合がありますので、お出かけの際はHP等で最新情報の確認をしてください• 特派員No. 545 「杜の都の仙台」の魅力をたくさんお届けします。 特派員No. 特派員No. 547 趣味は自家焙煎珈琲店巡り、ジャズ&ブラジル音楽です!• 特派員No. 特派員No. 549 美味しい沖縄そばが食べたいさー。 特派員No. 550 せっかち、短気、毒舌な三十路の新米ママ。 特派員No. 551 「食べたい!でも痩せたい!」食べても太らない生活研究中• 特派員No. 552 4歳と2歳の兄弟とあちこちおでかけしています。 特派員No. 553 アロマ、ハーブが大好き。 特派員No. 554 目標は生涯現役!!マイペースで走り続け人生を謳歌します。 特派員No. 555 子連れで楽しめる観光地公園巡りが趣味です!• 特派員No. 556 街歩きと自然をこよなく愛する天然系女子。 特派員No. 特派員No. 特派員No. 634 小麦lover!! 特派員No. 特派員No. 636 日本酒コスメにハマってます• 特派員No. 637 毎日カフェでまったりしたい。 特派員No. 638 6人とネコ2匹と同居。 友達100人計画実行中!!• 特派員No. 639 美味しいもの・楽しいことが大好きです!• 特派員No. 640 子供達と毎日、外で遊んでいます!• 特派員No. 特派員No. 805 ご当地グルメが大好き!旬な情報をお届けしていきます!• 特派員No. 806 旅行・温泉・食べ歩きの好きなミーハー私です。 特派員No. 807 娘と食べ歩きや自然に触れ合うのが好きな主婦です。 特派員No. 808 東北各地をぐるぐる• 特派員No. 特派員No. 810 あんことチーズが大好きな一児の母。 特派員No. 811 仙台在住、約9年。 もっと仙台の魅力を見つけたい!• 特派員No. 812 肩書きはパート主婦• 特派員No. 929 仙台生まれ仙台育ちの好奇心旺盛アラフィフ女子• 特派員No. 特派員No. 特派員No. 932 休日や仕事帰りのひとときを楽しくゆったり過ごしたい。 特派員No. 933 食べたり、呑んだりするのが大好きです!• 特派員No. 特派員No. 935 お出かけスポット・100均・コストコなど出没します!• 特派員No. 936 新しいもの探しが大好きです~.

次の

真心あふれる町の小さなお菓子屋さん~こくちょう菓詩屋~【河原町】

ぼ せい あふれる ちょう こく

4代にわたって 三公 ( さんこう )を輩出した名門・ 汝南 ( じょなん ) 袁氏 ( えんし )の出身で、 袁紹 ( えんしょう )の 従弟 ( いとこ )。 董卓 ( とうたく )が権力を握ると、 南陽郡 ( なんようぐん )で挙兵して反 董卓 ( とうたく )連合に参加するが、やがて 袁紹 ( えんしょう )と対立する。 その後 揚州 ( ようしゅう )に勢力を拡大した 袁術 ( えんじゅつ )は、天子を 僭称 ( せんしょう )して国号を「 仲 ( ちゅう )」と 定 ( さだ )めるも、諸侯の反発を受け、 孫策 ( そんさく )が離反。 曹操 ( そうそう )に敗北した 袁術 ( えんじゅつ )は 袁紹 ( えんしょう )の元に身を寄せようとするが、その途中に発病して亡くなった。 董卓 ( とうたく )配下の 都尉 ( とい )。 董卓 ( とうたく )が朝廷で権力を握ると反 董卓 ( とうたく )連合が決起。 胡軫 ( こしん )に従って 陽人聚 ( ようじんしゅう )に侵出した 孫堅 ( そんけん )を迎撃に出るが、 胡軫 ( こしん )を嫌った 呂布 ( りょふ )が偽情報を流したため 胡軫 こしん軍は敗北。 混乱の中で 華雄 ( かゆう )は斬られ、 獄門 ( ごくもん )(さらし首)にかけられた。 『三国志演義』では、 鮑忠 ( ほうちゅう )、 祖茂 ( そも )、 兪渉 ( ゆしょう )、 潘鳳 ( はんほう )を次々に討ち取る活躍を見せるが、その後 関羽 ( かんう )に瞬殺され、 関羽 ( かんう )の強さを強調する役目を 担 ( にな )う。 解県 ( かいけん )で暴利を貪る塩商人を殺して 幽州 ( ゆうしゅう )に逃げてきたところで 劉備 ( りゅうび )・ 張飛 ( ちょうひ )と出会い、 劉備 ( りゅうび )に仕えて挙兵した。 曹操 ( そうそう )に捕らえられた際は、厚遇されても 劉備 ( りゅうび )への忠誠を忘れず、 曹操 ( そうそう )の敵であった 袁紹 ( えんしょう )配下の猛将、 顔良 ( がんりょう )を討って恩を返してから 曹操 ( そうそう )のもとを去った。 劉備 ( りゅうび )が蜀の地を得ると 荊州 ( けいしゅう )を任されるが、傲慢で敵をあなどる性格が災いし、魏を攻めている最中、呉に背後を突かれて敗死した。 朝廷の実権を握った 董卓 ( とうたく )により 冀州牧 ( きしゅうぼく )に任命されるが、その後反 董卓 ( とうたく )連合に参加する。 董卓 ( とうたく )が即位させた 献帝 ( けんてい )を認めず、 袁紹 ( えんしょう )と共に 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )・ 劉虞 ( りゅうぐ )を天子に 擁立 ( ようりつ )しようとしたが、 劉虞 ( りゅうぐ )本人の反対により失敗した。 公孫瓚 ( こうそんさん )が 冀州 ( きしゅう )にに侵攻すると、保身のために 袁紹 ( えんしょう )に 冀州 ( きしゅう )を 譲 ( ゆず )るが、すべての権力を 剥奪 ( はくだつ )されてしまう。 その後、 陳留太守 ( ちんりゅうたいしゅ )・ 張邈 ( ちょうばく )の元に身を寄せるが、 袁紹 ( えんしょう )に命を狙われていると思い込み、自害してしまった。 諱 ( いみな )は 劉協 ( りゅうきょう )。 霊帝 ( れいてい )の次子で 少帝 ( しょうてい )の 異母弟 ( いぼてい )にあたる。 母の 王美人 ( おうびじん )は、 劉協 ( りゅうきょう )を生むと 何皇后 ( かこうごう )の嫉妬により毒殺された。 霊帝 ( れいてい )の死後、朝廷で権力を握った 董卓 ( とうたく )に 擁立 ( ようりつ )されて天子に即位する。 その後、 董卓 ( とうたく )は 長安 ( ちょうあん )への 遷都 ( せんと )を強行し、 長安 ( ちょうあん )を脱出した 献帝 ( けんてい )は、 曹操 ( そうそう )に保護されて都を 豫州 ( よしゅう )・ 潁川郡 ( えいせんぐん )・ 許県 ( きょけん )に移した。 220年、 曹操 ( そうそう )の跡を継いだ 曹丕 ( そうひ )に帝位を 禅譲 ( ぜんじょう )し、400年に渡る漢王朝はその幕を閉じた。 皇甫規 ( こうほき )・ 威明 ( いめい ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 朝那県 ( ちょうなけん )の人。 祖父は 度遼将軍 ( とりょうしょうぐん )、父は 扶風都尉 ( ふふうとい )を務めた名門の出身で、自身も異民族との戦いで数々の功績をあげた。 宦官 ( かんがん )と対立し、 党錮 ( とうこ )の禁の際には 自 ( みずか )ら 党人 ( とうじん )であると名乗り出たが、 罷免 ( ひめん )されることはなくそのまま 用 ( もち )いられる。 皇甫規 ( こうほき )が亡くなると、若く美しい 皇甫規 ( こうほき )の妻を 妾 ( めかけ )にしようと 董卓 ( とうたく )が 迫 ( せま )ったが、 毅然 ( きぜん )として断ったため殴り殺された。 胡広 ( ここう )・ 伯始 ( はくし ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南郡 ( なんぐん )・ 華容国 ( かようこく )の人。 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )の専横を止めず、 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 丁粛 ( ていしゅく )と婚姻関係を結ぶなど、 外戚 ( がいせき )や 宦官 ( かんがん )と共存する 老獪 ( ろうかい )な生き方を貫き、 安帝 ( あんてい )、 順帝 ( じゅんてい )、 沖帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )、 霊帝 ( れいてい )の6代に仕えて重職を担った。 また、 漢 ( かん )の制度をまとめた 『 漢制度 ( かんせいど )』を遺し、 蔡邕 ( さいよう )に大きな影響を与えた。 さ 父の 周異 ( しゅうい )は 洛陽令 ( らくようれい )、父の 従兄弟 ( いとこ )・ 周景 ( しゅうけい )とその子・ 周忠 ( しゅうちゅう )は共に 太尉 ( たいい )を 務 ( つと )めた名門の出身。 孫堅 ( そんけん )が反 董卓 ( とうたく )連合に参加した際、 舒県 ( じょけん )に移住してきた 孫策 ( そんさく )と親交を結んだ。 孫策 ( そんさく )・ 孫権 ( そんけん )の2代に仕え、 曹操 ( そうそう )の南下に際しては 魯粛 ( ろしゅく )と共に徹底交戦を主張して「赤壁の戦い」を勝利に導く。 孫権 ( そんけん )に 益州 ( えきしゅう )を得て 曹操 ( そうそう )と対抗することを進言し、出陣の準備に向かう途上、 病 ( やまい )により36歳の若さで 亡 ( な )くなった。 朱穆 ( しゅぼく )・ 公叔 ( こうしゅく ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 宛県 ( えんけん )の人。 朱暉 ( しゅき )の孫。 大将軍 ( だいしょうぐん )・ 梁冀 ( りょうき )の 故吏 ( こり )で、たびたび 梁冀 ( りょうき )の横暴を 諫 ( いさ )めた。 冀州刺史 ( きしゅうしし )に就任すると 宦官 ( かんがん )の不正を厳しく取り締まったが、その 苛烈 ( かれつ )さが 桓帝 ( かんてい )の怒りに触れて 罷免 ( ひめん )される。 その後 尚書令 ( しょうしょれい )に任命されたが、 宦官 ( かんがん )に対する厳しさは変わらなかった。 死後、 蔡邕 ( さいよう )によって「 文忠 ( ぶんちゅう )先生」と 諡 ( おくりな )される。 幼い頃に父を 亡 ( な )くすと 従父 ( おじ )の 諸葛玄 ( しょかつげん )と共に 劉表 ( りゅうひょう )を頼って 荊州 ( けいしゅう )に移住し、 崔州平 ( さいしゅうへい )や 徐庶 ( じょしょ )らと親交を持って農耕生活を送っていた。 「 三顧 ( さんこ )の礼」をもって 劉備 ( りゅうび )の 軍師 ( ぐんし )に 迎 ( むか )えられると、 蜀漢 ( しょくかん )の建国に多大な貢献をする。 劉備 ( りゅうび )が 崩御 ( ほうぎょ )すると 丞相 ( じょうしょう )として 劉禅 ( りゅうぜん )をよく補佐し、 国是 ( こくぜ )である北伐を行うが、5度目の出陣中に 病 ( やまい )に倒れて陣中で 没 ( ぼっ )した。 曹嵩 ( そうすう )・ 巨高 ( きょこう ) 豫州 ( よしゅう )・ 沛国 ( はいこく )・ 譙県 ( しょうけん )の人。 曹操 ( そうそう )の父。 宦官 ( かんがん )・ 曹騰 ( そうとう )の養子となって 司隷校尉 ( しれいこうい )、 大鴻臚 ( だいこうろ )、 大司農 ( だいしのう )を歴任し、実に1億銭を 霊帝 ( れいてい )に献上して 太尉 ( たいい )に就任する。 晩年は戦乱を 避 ( さ )けて 徐州 ( じょしゅう )・ 琅邪国 ( ろうやこく )に避難していたが、 兗州 ( えんしゅう )に地盤を得た 曹操 ( そうそう )の元に向かう途中、 陶謙 ( とうけん )の兵に襲われて殺害された。 曹節 ( そうせつ )・ 漢豊 ( かんほう ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 新野県 ( しんやけん )の人。 宦官 ( かんがん )。 順帝 ( じゅんてい )の時に 西園騎 ( せいえんき )から 小黄門 ( しょうこうもん )となり、 桓帝 ( かんてい )が崩御すると 中黄門 ( ちゅうこうもん )、 虎賁 ( こほん )、 羽林 ( うりん )1,000人を 率 ( ひき )いて 劉宏 ( りゅうこう )( 霊帝 ( れいてい ))を迎える。 竇武 ( とうぶ )・ 陳蕃 ( ちんはん )らの 宦官 ( かんがん )一掃計画を察知すると逆に彼らを 誅殺 ( ちゅうさつ )し、政治の実権を握って権勢を 誇 ( ほこ )った。 孫夏 ( そんか ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )で蜂起した黄巾賊・ 張曼成 ( ちょうまんせい )の将。 『 三国志演義 ( さんごくしえんぎ )』では 孫仲 ( そんちゅう )として登場する。 張曼成 ( ちょうまんせい )、 趙弘 ( ちょうこう )の後を 継 ( つ )いだ 韓忠 ( かんちゅう )は城を捨てて撤退。 朱儁 ( しゅしゅん )の攻撃を受けて降伏するが、 南陽太守 ( なんようたいしゅ )・ 秦頡 ( しんけつ )が降伏した 韓忠 ( かんちゅう )を殺害したため、 孫夏 ( そんか )は兵をまとめて再度 宛県城 ( えんけんじょう )に 籠 ( こ )もった。 その後、 孫堅 ( そんけん )の攻撃に耐えきれず城を捨てて逃亡するが、 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 西鄂県 ( せいがくけん )の 精山 ( せいざん )で討ち取られる。 17歳の時に 銭唐県 ( せんとうけん )で海賊退治をしたことで名を挙げ、その後は 会稽郡 ( かいけいぐん )で起こった 許昌 ( きょしょう )の乱をはじめとする各地の反乱の鎮圧で活躍した。 また、 袁紹 ( えんしょう )を盟主とする反 董卓 ( とうたく )連合に応じて挙兵し、 袁術 ( えんじゅつ )の下で積極的に戦って 華雄 ( かゆう )を討ち取った。 袁紹 ( えんしょう )と 袁術 ( えんじゅつ )の対立が深まると、 袁術 ( えんじゅつ )の命によって 袁紹 ( えんしょう )派の 劉表 ( りゅうひょう )を攻めるが、 黄祖 ( こうそ )の部下が放った矢によって命を落とした。 檀石槐 ( たんせきかい ) 鮮卑 ( せんぴ )族の 大人 ( たいじん )。 父・ 投鹿侯 ( とうろくこう )が3年間 南匈奴 ( みなみきょうど )に従軍している間に生まれる。 不義の子として殺されかけるが、母の「口に入った 雹 ( ひょう )を飲み込んだところ 身籠 ( みご )もったので、きっと非凡な人物になるでしょう」という助命嘆願によって、母は離縁され 檀石槐 ( たんせきかい )の命は助けられた。 その後、勇健で知略に富んだ 檀石槐 ( たんせきかい )は部族内で 推 ( お )されて 大人 ( たいじん )となる。 初めて 鮮卑 ( せんぴ )族を統一し、 扶余 ( ふよ )・ 丁零 ( ていれい )・ 烏孫 ( うそん )を 討 ( う )って内外モンゴル一帯を支配すると、たびたび 後漢 ( ごかん )領内に侵入・略奪をくり返し、討伐軍を 退 ( しりぞ )けた。 ち 种暠 ( ちゅうこう )・ 景伯 ( けいはく ) 司隷 ( しれい )・ 河南尹 ( かなんいん )・ 洛陽県 ( らくようけん )の人。 益州刺史 ( えきしゅうしし )を務めていた時、 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )が 曹騰 ( そうとう )に私的に送った書簡を手に入れ 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )と 曹騰 ( そうとう )を 弾劾 ( だんがい )したが、逆に 曹騰 ( そうとう )はこの行為を 褒 ( ほ )め 称 ( たた )え、その後も 种暠 ( ちゅうこう )を厚く遇した。 後 ( のち )に 司徒 ( しと )となった 种暠 ( ちゅうこう )は「今の自分があるのは 曹常侍 ( そうじょうじ )( 曹騰 ( そうとう ))のお陰だ」と語った。 はじめ 公孫瓚 ( こうそんさん )に仕えたが、 後 ( のち )に 劉備 ( りゅうび )に仕える。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍の激しい追撃の中 劉備 ( りゅうび )の妻子を守りきった。 また、 定軍山 ( ていぐんざん )の戦いではみごとな 空城 ( くうじょう )の計によって敵を退却させ、 劉備 ( りゅうび )に「 子龍 ( しりょう )は一身すべてこれ肝なり」と 称賛 ( しょうさん )される。 劉備 ( りゅうび ) 亡 ( な )き後も冷静な判断と実直な人柄で 劉禅 ( りゅうぜん )を支え、死後に 順平侯 ( じゅんぺいこう )の 諡号 ( しごう )を贈られた。 劉備 ( りゅうび )の挙兵以来、 関羽 ( かんう )と共に兄弟のように仕えた 万夫不当 ( ばんぷふとう )の豪傑。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍から逃げる 劉備 ( りゅうび )を守るために 殿軍 ( しんがり )を 務 ( つと )め、一喝して 曹操 ( そうそう )軍を退けるなど、その勇名は敵味方に 轟 ( とどろ )いていた。 目上の者は 敬 ( うやま )うが、部下に対する苛烈な刑罰を改めることができず、 関羽 ( かんう )の 弔 ( とむら )い合戦の前に恨みを抱いていた部下の 范彊 ( はんきょう )・ 張達 ( ちょうたつ )に殺害された。 『三国志演義』での 字 ( あざな )は 翼徳 ( よくとく )。 太平道 ( たいへいどう )の開祖・ 張角 ( ちょうかく )の弟。 張梁 ( ちょうりょう )の兄。 張角 ( ちょうかく )が黄巾の乱を起こすと 地公将軍 ( ちこうしょうぐん )と称してこれに従った。 朝廷より討伐軍が派遣されると、病床の 張角 ( ちょうかく )の代わりに指揮をとった。 兄の 張角 ( ちょうかく )が病死し弟の 張梁 ( ちょうりょう )が戦死する中、 冀州 ( きしゅう )・ 鉅鹿郡 ( きょろくぐん )の 下曲陽 ( かきょくよう )に籠城して最後まで抵抗したが、 皇甫嵩 ( こうほすう )率いる討伐軍に敗れて討たれた。 『三国志演義』では妖術を使って官軍を苦しめた。 陳温 ( ちんおん )・ 元悌 ( げんてい ) 豫州 ( よしゅう )・ 汝南郡 ( じょなんぐん )の人。 初平 ( しょへい )元年(190年)当時の 揚州刺史 ( ようしゅうしし )。 董卓 ( とうたく )が支配する 洛陽 ( らくよう )( 雒陽 ( らくよう ))から逃亡してきた 許靖 ( きょせい )を 匿 ( かくま )った他、 曹洪 ( そうこう )と親しく、 董卓 ( とうたく )に敗れた 曹操 ( そうそう )に 廬江郡 ( ろこうぐん )の精鋭武装兵・2,000人を援助した。 その死については、「 初平 ( しょへい )3年(192年)冬に病死」とする記録と、「 初平 ( しょへい )4年(193年)3月に 袁術 ( えんじゅつ )によって殺害された」とする記録がある。 杜喬 ( ときょう )・ 叔栄 ( しゅくえい ) 司隷 ( しれい )・ 河内郡 ( かだいぐん )・ 林慮県 ( りんりょけん )の人。 順帝 ( じゅんてい )に 泰山太守 ( たいざんたいしゅ )の 李固 ( りこ )を推挙し、 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )と関係のある地方官を次々に 弾劾 ( だんがい )した。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると 李固 ( りこ )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )しようとするが、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に敗れて殺害された。 な 『三国志演義』のみに登場する仙人。 張角 ( ちょうかく )に 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』を 授 ( さず )ける。 「これを使って民を助けよ。 ただし、悪しきことに使えば天罰が下る」と忠告するも、 張角 ( ちょうかく )は 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』で習得した妖術を頼りに 太平道 ( たいへいどう )を開き、黄巾の乱を引き起こした。 南華老仙 ( なんかろうせん )は、戦国時代の思想家である 荘周 ( そうしゅう )( 荘子 ( そうし ))が仙人になった姿と考えられており、青い目を持つ子供のような顔をした老人として描かれている。 李固 ( りこ )・ 子堅 ( しけん ) 益州 ( えきしゅう )・ 漢中郡 ( かんちゅうぐん )・ 南鄭県 ( なんていけん )の人。 大将軍 ( たいしょうぐん )・ 梁商 ( りょうしょう )に 辟召 ( へきしょう )されるが、 梁商 ( りょうしょう )の子・ 梁冀 ( りょうき )と対立した。 後に 太尉 ( たいい )に昇進する。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に対抗して 杜喬 ( ときょう )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )するが、 冤罪 ( えんざい )によって投獄・殺害された。 前漢の 魯恭王 ( ろきょうおう )であった 劉余 ( りゅうよ )( 景帝 ( けいてい )の第4子)の 末裔 ( まつえい )に当たる。 霊帝 ( れいてい )の時代、政治の腐敗や黄巾の乱の影響によって 刺史 ( しし )や 太守 ( たいしゅ )の支配力が弱体化していることを理由に、軍権と民政権を兼ねた「 州牧 ( しゅうぼく )」の復活を提案し、みずから 益州 ( えきしゅう )の 牧 ( ぼく )となる。 劉璋 ( りゅうしょう )の父。 『三国志演義』では、黄巾の乱の時に 幽州太守 ( ゆうしゅうたいしゅ )として登場するが、正史にその記録はなく、後に 益州 ( えきしゅう )を治めることになる 劉備 ( りゅうび )との因果関係を強める演出である。 劉悝 ( りゅうかい ) 桓帝 ( かんてい )の弟。 勃海王 ( ぼっかいおう )。 165年に反乱を計画した罪で 廮陶王 ( えいとうおう )に格下げされる。 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 王甫 ( おうほ )に 勃海王 ( ぼっかいおう )への復帰工作を依頼していたが、 桓帝 ( かんてい )の 遺詔 ( ゆいしょう )によって復帰が 叶 ( かな )うと( 王甫 ( おうほ )のお陰ではないからと) 王甫 ( おうほ )に礼金を支払わなかった。 これを 恨 ( うら )みに思った 王甫 ( おうほ )は「 劉悝 ( りゅうかい )に帝位 簒奪 ( さんだつ )の 企 ( たくら )みあり」と 誣告 ( ぶこく )し、追い 詰 ( つ )められた 劉悝 ( りゅうかい )は自害に追い込まれる。 東海恭王 ( とうかいきょうおう )・ 劉彊 ( りゅうきょう )[ 後漢 ( ごかん )の初代皇帝・ 光武帝 ( こうぶてい ) ( 劉秀 ( りゅうしゅう ))の長子]の 末裔 ( まつえい )に当たる。 清貧で知られ、 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )に任命されて「 張純 ( ちょうじゅん )の乱」を平定。 反 董卓 ( とうたく )連合が決起すると、 袁紹 ( えんしょう )らに 天子 ( てんし )に 推戴 ( すいたい )されるが、これを拒絶した。 その後、暴走する 公孫瓚 ( こうそんさん )討伐の軍を起こすが、敗れて捕らえられ、帝号を 僭称 ( せんしょう )しようとした罪で処刑された。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第4子・ 魯恭王 ( ろきょうおう )・ 劉余 ( りゅうよ )の第6子、 郁桹侯 ( いくろうこう )・ 劉驕 ( りゅうきょう )の子孫。 若い頃から清流派の党人として名声を得る。 孫堅 ( そんけん )によって 荊州刺史 ( けいしゅうしし )・ 王叡 ( おうえい )が殺害されると、その後任に任命される。 また、 劉表 ( りゅうひょう )は学問を 奨励 ( しょうれい )したため、戦乱を逃れた名士や学者の多くが 荊州 ( けいしゅう )に移住した。 河北 ( かほく )を平定した 曹操 ( そうそう )が南下の姿勢を見せると、領土を失った 劉備 ( りゅうび )を受け入れて最前線の 新野県 ( しんやけん )を守らせるが、間もなく亡くなった。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第9子、 中山靖王 ( ちゅうざんせいおう )・ 劉勝 ( りゅうしょう )の庶子、 劉貞 ( りゅうてい )の末裔というが、定かではない。 黄巾の乱の時に挙兵。 以来各地を転戦するも確たる地盤を持てずにいたが、 軍師 ( ぐんし )・ 諸葛亮 ( しょかつりょう )を迎えると「天下三分の計」に従って 益州 ( えきしゅう )の地に地盤を築いた。 献帝 ( けんてい )が 曹魏 ( そうぎ )に 禅譲 ( ぜんじょう )すると、皇帝に即位して「 蜀漢 ( しょくかん )」を建国する。 配下の 関羽 ( かんう )の 仇討 ( かたきう )ちに 呉 ( ご )に攻め込むが、 陸遜 ( りくそん )の火計に敗退し、病を患って 白帝城 ( はくていじょう )で 諸葛亮 ( しょかつりょう )に後事を託して没する。 梁冀 ( りょうき )・ 伯卓 ( はくたく ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 烏枝県 ( うしけん )の人。 後漢 ( ごかん )第8代皇帝・ 順帝 ( じゅんてい )の 皇后 ( こうごう )・ 梁妠 ( りょうどう )の兄。 外戚 ( がいせき )として権力を握り、 順帝 ( じゅんてい )、 冲帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )の4代に渡って国政を私物化した。 成人した 桓帝 ( かんてい )が 宦官 ( かんがん )・ 単超 ( ぜんちょう )らの助力を得て 梁冀 ( りょうき )の排斥に成功したことから、一層 宦官 ( かんがん )への権力集中が進んだ。 丁原 ( ていげん )に仕えていたが、 董卓 ( とうたく )が 洛陽 ( らくよう )に入ると 丁原 ( ていげん )を殺して 董卓 ( とうたく )に従い、父子の 契 ( ちぎ )りを結ぶ。 「人中に 呂布 ( りょふ )あり、馬中に 赤兎 ( せきと )あり」と賞された万夫不当の豪傑。 その後、 司徒 ( しと )・ 王允 ( おういん )らと結んで 董卓 ( とうたく )を殺害するが、 李傕 ( りかく )・ 郭汜 ( かくし )に敗れて各地を放浪、自分を受け入れてくれた 劉備 ( りゅうび )が治める 徐州 ( じょしゅう )を奪う。 その後 劉備 ( りゅうび )と結んだ 曹操 ( そうそう )に包囲されると配下の裏切りを受けて降伏するが、命 乞 ( ご )いも 空 ( むな )しく 劉備 ( りゅうび )の進言によって処刑された。 鄭玄 ( じょうげん )とともに 馬融 ( ばゆう )に師事して儒学を学び、故郷 幽州 ( ゆうしゅう )・ 涿郡 ( たくぐん )・ 涿県 ( たくけん )で近隣の子弟に学問を教えていた。 門下には 劉備 ( りゅうび )や 公孫瓚 ( こうそんさん )がいる。 黄巾の乱が起こると 北中郎将 ( ほくちゅうろうしょう )に任命されて討伐軍の一翼を担ったが、軍の監察に来た 左豊 ( さほう )に賄賂を求められ、これを断ったために罪を着せられて免官された。 黄巾の乱が終結すると、 皇甫嵩 ( こうほすう )が 冤罪 ( えんざい )を証明したために復職したが、 董卓 ( とうたく )の 献帝 ( けんてい ) 擁立 ( ようりつ )に反対したために再び免官された。 晩年は 袁紹 ( えんしょう )の 軍師 ( ぐんし )となって病死した。

次の